第七十話 攻める②
「囮…!?」
これで安心、と思っていたら彼の口から放たれた言葉はあまりにも予想外なものだった。なんだか今日も今日とて驚かされることばかりである。絡みつく黒ヘビくんだけが呑気に欠伸をしていたりする。羨ましい限りだ。
俺が余りの衝撃に呆けていると、代わりと言わんばかりにファフナちゃんが言葉を荒げた。血相を変えて、髪を大きく乱しながら瞳告くんに詰め寄っていく。
「待て待て!ちょっと待ちなさいよ!さっ、流石に、そんなの「はいそうですか」とはいかないわよ!なんでそんな…!」
「どうして?囮捜査なんてよくあることだよ」
「ジャミラは一般人で被害者じゃない!そんな危ない事させられないっつってんの!」
「ファ、ファフナちゃん。そんなに興奮しないで…」
「なんでジャミラは冷静なんだよ!!」
怒りの矛先が俺に向く。でも俺が冷静でいられるのは、それはきっとファフナちゃんが俺以上に怒ってくれているからだ。
興奮して瞳告くんに掴み掛かろうとした彼女を羽交締めにしながら、背中越しに瞳告くんの言葉を待つ。まさか考えも無しに俺を囮にするだなんて言ってないだろうし…。ないよね?
少し不安になりながら彼の表情を窺うと、彼はほのかに笑みを湛えていた。人を安心させる様な実に穏やかな笑顔だった。
青い瞳がファフナちゃんを真っ直ぐに見据える。瞬きを一つしたかと思うと、ゆっくりと言葉が紡がれる。
「雄鶏 撮多寡は狡猾な犯罪者。何人もの人間を手に掛け、その上で今に至るまで警察の捜査の目を潜り抜け続けた男だ」
「だからだよ!そんな危険なヤツ相手の釣りエサになれってのか!」
「うん。この作戦にはキミがいるからね。龍紋さん」
「何を…って、わ、私…?」
思ってもいなかったセリフに彼女の怒りは霧散したらしい。つい先程、百人力と称されたファフナちゃんが動揺した。黒金の目が揺らぎ、青の瞳に貫かれる。
「動揺してるね。『攻める』って言った時は案外乗り気だったのに」
「そっ、それとこれとは別!だってジャミラを囮にするなんて、そんなの思っても無かったし」
「守りながら勝つ自信が無い?」
「…っ!誰がっ!」
「気持ちはわかるよ。一昨日の敗北、実はかなり堪えてるよね?」
「…うぐ」
「そうだったのファフナちゃん…?」
尋ねるとファフナちゃんはバツの悪そうな顔をした。
『じゃむうま』世界における主人公、龍紋 ファフナは苦戦こそする機会は少なくないものの、その実敗北知らずだ。そんな彼女が、そうなるはずだった彼女が得た早すぎる敗北。
それは『秘密ノ眼』の構成員、櫂毒 傀儡朗により与えられた死亡同然の敗北だった。…そして、そしてその敗因を挙げるとするならば。
ズキリと胸の奥が痛む。きっと、それは俺の軽率な…。
「俺が…」
「違う!私の未熟さが招いた結果!最後はジャミラがしっかり決めたんだからそんな暗い顔すんな!オレより強いんだぞお前は!ま、あの時だけだけど!」
沈んだ雰囲気を感じ取ったファフナちゃんが即座にフォローに入って来た。
ばんばん、と力強く俺の背中を叩きながら明るく振る舞う姿には救われるものがある。本当に優しい人だ。
「そうだね」
瞳告くんの言葉に顔を上げる。彼はうん、と頷きながら、
「敗因は相手が未知数だったから、だよね。でも安心してよ。今回は違う。だってボクがいる。ボクの瞳があるんだ」
自信に満ちた笑顔で、彼は自身の青い瞳を指差した。そうだ。彼、苦渋ヶ島 瞳告の持つスキル。それは全てを見通す万能の瞳。その名は…
「「『神の瞳』…!」」
「うん、そう。よく覚えてたね。この目があれば雄鶏の行動は筒抜けだよ。
警察にも都度、情報提供してる。その上で不安をね、早く取り除いてあげたいんだ。これ以上苦しむ必要なんか無いんだよ」
「瞳告くん…」
「それにさ。ボクの家には彼に関する過去の事件の調書もある。雄鶏のスキルについての捜査情報も、警察関係者たちの見解もね。
分かりきったスキルなんてキミの相手じゃない。そうでしょう龍紋さん」
「む…ま、まぁ負ける気はしないけど」
「うん、それが聞きたかった。…どう?蛇腹くん。少しは希望が持てて来た?」
「う、うん…。それで、その囮作戦はいつ決行する感じなのかな…」
「そうだねぇ」と瞳告くんはスマホを取り出して何やら調べ物を始めた。
「…入学式が水曜日。蛇腹くんが雄鶏に襲われたのは木曜日。そして今日は金曜日。
雄鶏は今、この辺りにいる訳で…決行は…早い方がいいよね。調べ物を纏める時間を考慮して…、後は叔父さんたちに連絡して、と。
うん。今日中にこっちで話をまとめて諸々連絡するよ。龍紋さんはスマホないんだっけ。でも蛇腹くんのお家に泊まるんだから問題ないか。彼と情報共有しておいて」
「分かったわよ…」
「よろしくね。うん。それじゃあねぇ…」
凄い…。物凄いスピードで解決への糸口が見えて来たような錯覚を覚える。彼はスマホを再びポチポチと触り、少し考え事をしたかと思うと、すぐに顔を上げ、
「よし、時間は決まったよ。明日、土曜日のお昼14:00に決行しよう。集合時間はもう少し早めだね。場所はおって連絡するよ。
明日、明日には纏わりついて離れない、真実に値しない煩わしい全てを終わりにしよっか」
「え…ちょ、ちょっと気が早いんじゃないかな」
「いやいや、悠長すぎるくらいだよ。本当なら昨日で決着を着けたかったよね。
だってほら、悩みの種は今も膨らむばかりでしょう」
「う…それは…」
図星だった。それはまるで積み木の様に高く高く積み上げられ、そのどれもがまるで解決していないのが現実だ。
「ねぇ、どうかな。週明けには気分は晴れやか。楽しい楽しい学園生活が今度こそ幕を開けるんだ。ねぇ、どうかな」
励ます様に彼の手が肩に置かれた。青く深い瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。深海の様に蒼く蒼く、不思議な魅力に吸い込まれてしまいそうになる。
「苦渋ヶ島の持てる全てを。ボクの瞳に映る真実を。楽しい学園生活の為、ひいては明るい未来の為、尽力させてもらうよ。
蛇腹くん、どうかボクを信用してくれないかな」
「瞳告くん。どうしてキミはそこまで…」
「どうしてって?ボクなね。友だちの為に動けないなんて、そんな人間になりたくないだけだよ」
「ど、瞳告ぐん…!ありがどう…」
「…もう。泣くのは早いって。ジャミラ、腹括りなさい!」
ファフナちゃんがふんと鼻息一つ吐き、瞳告くんがこちらに向かって手を差し出した。俺に向かって握手を求めて来たのだ。俺は差し伸べられた彼の手を、
「ど、瞳告くん…!ありがとう…!本当にありがどう…」
迷うことなく手を取り力強く握り返した。だって、瞳告くんがここまで俺の事を思ってくれているだなんて。なんて、なんて良い人なんだ。涙でぐちゃぐちゃになった、そんな情けない俺を見て、ファフナちゃんが呆れた様子で背中を叩く。
「泣きすぎ!まだ始まってすらないのに」
「い、いや、でもちょっと安心しちゃって」
「あはは、良かった。きっと上手くいくよ。ううん、絶対に上手くいく」
「うん…!俺も囮役、頑張るよ…!」
「頑張らなくていいわよそんなの。私がばしんとやっつけちゃうんだから!」
「うんっ!ありがとうファフナちゃん!」
「最後に残るは正しい真実。もうちょっとの我慢だね。ここが踏ん張りどころだよ」
「…うんっ!うんっ!よろしくね!」
「よぉし!ジャミラの為、頑張るわよ!」
改めて彼の手を強く握る。ファフナちゃんも上に手の平を重ねた。
たった1時間の昼休み休憩は、最後に瞳告くんから連絡先を教えて貰って終了を迎える。実際には30分にも満たない話し合いではあったが、実に実に有意義な時間となった。この問題さえ解決すれば俺はファフナちゃんと…!
……………。
俺はファフナちゃんと…。今度こそ…。




