第五十八話 夢
『くく。眠るお前をまじまじと見るのは初めてだったが、存外良い暇潰しになるものだな』
くすくすと小さな笑い声で目が覚めた。部屋は暗いが、何一つとして見て取れないという程ではない。
枕元にはツチノコのぬいぐるみ。胸元には掛け直された薄手の布団。枕に身を任せて空を見上げれば、電気は消されて薄暗いが、よく見慣れた天井が視界に入る。
あぁ、そうか。どうやらファフナちゃんが部屋を出た後、疲労に負けてそのまま眠ってしまったみたいだ。
『ふふ…愛い奴、愛い奴』
俺の目が覚めたのを知ってか知らずか、笑い声の主のものであろう、光沢のある黒い指先が俺の唇を横一文字に優しく触れた。
体は重い。ゆっくりと目だけを動かして、すぐそこにいる誰かを見ようと試みた。ベッドの脇に誰かが腰掛けている。
金と黒が溶け混じり合った長髪がゆらりと揺らめく。目に映るのは黒と金とそして、柔らかな肌色だ。衣服一つも身につけない、生まれたままの姿の女性がそこにいた。
これは夢だろうか。昨日や今日の事もあり、本来なら飛び起きてしまいそうな光景ではあったが、それがあまりに現実離れした光景だからだろうか、それとも絵画から飛び出して来たかの様な現実離れした美人が目の前にいるからだろうか、俺はただただ何をするでもなくベッドに横たわりながら、ぼんやりと彼女の事を眺めている。不思議と不安感は無かった。
肘から先と、太腿から足先までを黒曜石の様に艶のある黒色に覆われた彼女は、金に黒の混じる瞳で俺をジッと見つめると、柔和な笑みを浮かべた。
『もう少し。もう少しだ。お前のお陰だぞ。もう少しで私は私を取り戻せる』
彼女の指が俺の髪をかき上げた。いや、おそらくだがこれは撫でられているのだ。まるで親が子どもを褒めるみたいに、愛しい相手を愛でるみたいに、何度も何度も彼女は俺の頭を執拗にクシャクシャと撫で回す。
『お前は断るやもしれないが、取り戻した暁にはお前を伴侶に添えてやってもいいと考えている』
彼女の両の手のひらが頭から離れ、俺の頬に添えられた。鱗に覆われた手はヒンヤリと冷たく、想像していたよりもずっと滑らかで柔らかい。
『くく…存外、私は惚れやすい性格なのやもしれないな。なぁ、そう思わないか』
彼女の顔が近づいて来る。妖しい光を放つ瞳が目と鼻の先にまで距離を縮め、俺の唇に柔らかく湿った、それでいて熱い感触が触れた。
『ジャミラ』
彼女の姿には見覚えがあったが、俺のよく知る彼女とは明確に違っていた。
それはあのニセ櫂毒とは、また別のベクトルの不一致だ。
ただ、夢か現実かも定かでない今の状況では、その違和感を言語化する事は叶わなかった。瞼が重く落ちていく。
…
……
………
「はっ!?」
『おお、起きたかジャミラ』
何やら刺激的な夢を見た為かパッと目が覚めた。
あれ、今どんな夢を見てたんだっけ。なんだか不思議な夢を見ていた様な…?
夢の内容はまるで思い出せない。乱れた赤髪を手櫛で整えつつ身を起こすと、声の主であるシマヘビくんが俺の胸元でトグロを巻いてくつろいでいる。結構、重かったりする。
まさか、彼が上で寝てたせいで変な夢を見たんじゃないだろうな。
「あれ?ファフナちゃんは…もしかして帰った?」
『残念だったな。アレなら階下にいるぞ。オマケ付きでな』
まぁ、そりゃあいるよなぁ。シマヘビくんが呑気に尻尾の先で自身のアゴを掻いている。…ってオマケ?一体なんのことだろう。
まだまだ眠気はあるものの、彼の言葉が気になるのも事実。
「ふっ、よいしょっ」
ベッドの枠を握ると、気合いで一息に立ち上がる。少しフラついたが背中をシマヘビくんが、ちょんと抑えてくれたおかげで倒れずに済んだ。
『気を付けろジャミラ』
「ごめんごめん。ありがとう」
『ふん、顔色は悪くない。少しは回復出来た様だな』
「そうかな。なら嬉しいな。下に行くけどシマヘビくんはついて来る?」
『あぁ、行ってやろう。ただし召喚紋の中に入れろ』
「わかった。はい、どうぞ」
『うむ』
腕を差し出すと、彼は器用にスルリと這い上がり、開いた胸の召喚紋にあっという間に入っていく。
立ち上がり、軽く体を動かしてみた。確かに帰宅時よりは随分と体が楽になった。
大きく伸びを一つして自室を後にする。
「ふぅ〜、気合い入れていきますか」
『あぁ。たくさん入れていけ』
ゆっくりと階段を降りる。なんだか一階の方は実に賑やかだ。いろんな意味でドキドキするなぁ…。




