39.都会での生活~1 出発編
39.都会での生活~1(出発編:~29歳までの出来事)
都会というのは常に車が動いている。
常に車の音が聞こえる。
常に電車が走っている。
常に人が動いている。
常に鳥等の鳴き声が聞こえている田舎とは大違いだ。
また都会での初めての一人暮らし。
よく初めて親元を離れるとホームシックになるというが
みずきにはそんな様子は何処にもない。
むしろ親と離れる事で精神の向上を図る事が出来たと言える。
みずきは都会に出て暫くは飲食店でバイトをして生活をしていた。
都会に出たからといって誰かと遊ぶ事もしない。
っていうか遊ぶ友達なんていない。
食事はバイト先の飲食店でまかないを食べて生活をしていた。
お金を使うと言えば家の家賃(5万円程と後光熱費、携帯代)ぐらいだ。
お金は普通に貯める事ができた。
気がつけば24歳の時には学校の学費を払えるぐらいに貯金を貯める事が出来た。
いつまでもバイト生活ばかりしていられない。
みずきは何か資格を取ろうかと思い雑誌を見た。
そしてある決断をする。
栄養士の資格を取る為に学校に通う事を決めた。
なぜ栄養士になろうと思ったか?
その壱
変な話コミュ症でもやっていけるかと思ったから。
色々とみずきの中で調べると
「栄養士という職業に陽キャな人はいない。」
「後栄養士という職業はほぼほぼ一人職場が多い。」
とネットの先生が語ってくれた。
陽キャな人が苦手なみずきにとってはうってつけの職業だと思った。
その弐
後これは本当に偶然ではあるがみずきが死んでいる都会には栄養士の公立の専門学校があった。
しかもみずきが住んでいる家から徒歩5分圏内。学校の為に引っ越さなくてよい。
公立なら授業料が安く済む。
もしこれが夢ある清純派の小説ならば凄い夢があって資格をとってお涙頂戴の小説であるが
この小説の作者猫自慢はかなりひねくれた人間?(猫?)だ。
夢ある小説ではない。
またこの小説はコミュ症のみずきの為の小説である。
栄養士になろうと思った理由も少し優柔不断な理由だ。
みずきは栄養士としても道を進む事に決めた。
就職先の面接においては自宅から徒歩10分圏内にある「みなと病院」に面接を行った。
なぜみなと病院に就職しようかと思ったか?
それは自宅から一番近かったからであるがそんな事面接官には言わない。
面接官から「どうして当病院面接に来られたのですか?」と聞かれると
「当病院は中規模病院であり様々な事に取り組んでいらっしゃると聞いています。また給食や栄養の事に関しても熱心に取り組んでいると聞いています。
私もその取り組みに参加していき病院の力になりたいと思い応募しました。」
と答えた。
言っている事に関して嘘ではない。本当に思った事を言った。
また面接官から
「どうして栄養士になろうと思ったのですか?」
と聞かれ
「正直言うと私は人と話したり雑談をしたり仕事終わりに飲みに行ったりする事が苦手です。
栄養士という仕事はほぼほぼ一人での職場と聞いています。
コミュ症の私でもやっていけるのではないかと思い栄養士になろうと思いました。」
と正直に答えた。正直に答えて不採用なら仕方ないと思ったが採用してくれた。
これは勝手な私の考えだが普通の営業等の仕事の面接ならこんな事を入ったら採用してくれないだろうと思った。
そして学校を卒業してからみずきはみずきの家から徒歩10分以内のところにある「みなと病院」
に栄養士として働く事になった。
「栄養士」を三年。実務経験を積むと管理栄養士の試験を受験する事が出来る。
元々じあたまのよいみずきは一発で合格してそのまま「みなと病院」で管理栄養士として働く事になる。
インターネットで「みなと病院」と検索すれば管理栄養士の名前として「新山 みずき」と出る。
ネットに自分の名前が出るのは少し恥ずかしい気持ちもありもし古臭い田舎の同級生が見ていたらどうしようと思う一方「どうせ私の事を思ってくれる同級生なんていない。」
そう思ってしまうみずきでもあった。
みずきが29歳になるまでの出来事である。
宜しくお願いします。




