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ニクスー様を信じて幸せになろ?

霧の記憶 【「ニクスー様を信じて幸せになろ?」番外編5.5話】

作者: 五鶴 りりり

「異教徒がバレて森に隠れ住むことになったけど、みんなでニクスー様を信じて幸せになろ?」の番外編です。

本編の内容には直接関係ありませんので、こちらからでもお読みいただけます。

西の森に霧が立つ。

道を見失ったら、青い花を探せ

そこに彼女がいる。

恐ろしいやつではない。

悪いやつでもない。

ただ、俺達とは違う世界に棲んでいる。

腰には必ず酒袋を下げておけ。

蜂蜜酒がいい。

あいつはそれが好きなんだ。


―――――


 物心つく前から、村の年寄りたちに何度もこの話を聞かされた。


 やけに真剣に語られるものだから、

 森に生かされている俺達は皆その魔女を恐れ、半ば疑い、同じだけ信じていた。


 (きこり)生業(なりわい)にする男たちは、秋から冬にかけて森に暮らす。

 木を切り、炭を焼き、灰を()いて村へ売り、生計を立てるためだ。

 十三の冬、俺は初めて、親父(おやじ)について森へ入った。



「腕に余計な力を入れるな。斧頭を振り下ろすときは遠心力を使え」


「森全体をみるんだ。切り倒した後を想像しろ。

 どこか一箇所だけ取りすぎちゃならねぇ。森には森の均衡(バランス)ってもんがある」


 普段無口な親父は、森では饒舌(じょうぜつ)だった。

 冬とはいえ、立木(たちぎ)は薪とは比べ物にならないほどに硬く、重い。

 判断を誤れば大事故になりかねない。

 材木は種類と大きさで用途を分ける。

 建材として使うものは、一定期間置いて乾燥させてから村に運ぶ。

 それ以外は適当な大きさに加工し、窯焼きして炭と灰を作った。

 週に一度は村へ行き、売った金で食料を買って森へ戻る。その繰り返しだ。

 ふた月も過ぎれば、どんなひよっ子にも小さな自信がつく。

 代わり映えのしない木立(こだち)も見分けがつくようになるし、ちょっとした木々の変化にも気づけるようになる。

 それまで父から離れず行動していた俺はその日、村への売り込みを一人で買って出た。




 用達(ようだつ)はすぐに終わった。

 一人で戻った小童(こわっぱ)の成長を、村の大人たちは褒めた。

 友人たちは森の冒険譚を聞きたがって集まった。

 俺は得意になっていて、気づけば、戻らなければいけない刻限をとうに過ぎていた。


 日が傾くなか、慌てて森を駆ける。

 初めての大仕事に、失敗の烙印(らくいん)を押されるわけにはいかなかった。


 昼の晴天が嘘のように雲が出てくる。

 夢中で進んでいるうちに小雨が降り始め、それはだんだんと霧になった。

 俺は焦った。

 毛皮のベストをぎゅっと体に巻き付ける。


 唐檜(とうひ)の老木、二股の根っこ、枯れ葉の吹きだまり。

 覚えた跡を夢中でたどった。

 腐った切り株、クマゲラの古巣……。

 違和感に気づく。

 (ねじ)れた白松のアーチがどこにも見当たらなかった。


 いよいよ濃霧(のうむ)が立ち込めてくる。

 先が全く見えない。

 俺はもう、ほとんど泣いていた。

 髪も服もぐっしょり濡れて、寒さと恐怖の両方で体の震えが止まらなかった。


 でたらめに歩き回っているうち、うっすらと浮かび上がる青い光が見えた。

 薄闇(うすやみ)の森の中、なんでもいいから灯りが欲しくて、夢中で光を目指す。


 行き着いた先は、花の群生地だった。

 月のように光って、広大な花畑全体が、青白くぼぅと浮かび上がっている。

 異様な光景だ。

 そのただ中で、花に同化するほど青白い肌の女が、うつむきがちに座り込んでいた。

 地を這う虫を観察しているようにも見える。


『西の森に霧が立つ––』


 年寄りの言葉を思い出す。

 彼女が顔を上げた。


「また来たのか」


 水面に口をつけて喋るような、不思議に(ゆが)んだ声だった。

 彼女が立ち上がってこちらへやって来るので、俺はいよいよ立ち竦んで動けなくなった。

 村のどの男よりも背が高い。

 長い黒髪がさらさらと揺れている。

 赤い瞳。不思議な形のドレス。

 彼女が顔を覗き込んで言った。


「なんだ、別人か。人間は見分けがつかんな」


 俺はようやく声を絞り出す。


「あんたが、森に棲む魔女か?」


 答えずに立ち去ろうとする背中に向かって、慌てて声をかける。


「まって!」体が追いつかずに(つまず)く。


「助けてください! 道に迷ったんです!」


 彼女は振り向かなかった。

 俺は必死に荷を解き、水筒を取り出す。もつれる足で前へ回り込んで、無理やり手渡した。


「蜂蜜酒ならここに!」


 受け取って筒の口から香りを嗅ぐと、彼女は少し考えてから「ついてこい」と言った。


 案内されたのは小さな家だった。子供の目から見ても、木の組み方が古い。

 中には最低限の家具と、石を組んだ炉があるだけだった。


「ここを使え。次に道が繋がるときに迎えに来てやる。私以外の者が来ても、決して戸を開けるなよ」


「わかった」


 返事すると同時に腹が鳴る。夜を越せる場所が見つかり、少し緊張が解けていた。


「言っておくが、ここを出るまで、持ち込んだものを食べるなよ。付いてこい」


 すぐ脇の泉へ案内される。


「この草は人間にも食べられる。千切るなよ。地面に生えているのをそのまま食うんだ。水もここのを飲んでいいが、(じか)に飲め。器や手には()むな」


「なぜ?」


 彼女は答えない。俺は質問を変えた。


「そこに落ちているのは?」落ちている木の実を指差す。


「だめだ。生きて戻りたいなら」


 それが、そこで暮らすためのルールだった。



 彼女が行ってしまってから、俺は改めて小屋の中を点検してまわることにした。

 部屋には灯りがなかったから、戸口を開いて、外の花の明かりで照らす。


 殺風景な部屋だった。

 テーブルと、椅子が二脚。広いベッド。家財道具と言えるものはそれだけだった。


 炉を確認する。小屋に対して、かなり奥行きが深い。

 石を成形(せいけい)する手段がない場所で、手に入る自然石をそのまま組み上げれば、つくりが大きくなってしまうのは当然なのだが、気づいたのはずいぶん後になってからだった。

 ともかく、子供の俺にはとても不思議に思えて、そこを詳しく調べることにした。

 できれば濡れた服を乾かしたかった。


 しかし、炉には使った形跡が全くなかった。

 灰は少しも落ちておらず、薪台は空のまま埃が積もっている。

 そして奇妙なことに、炉の内側、向かって右の横壁には、木が使われていた。


 なぜこんなところに? 着火したら燃えてしまうのに。


 薄い板木がきっちり嵌め込まれていて、少し押すくらいではびくともしなかった。

 ノックすると音が響く。奥に空間がありそうだった。


 ますます不思議に思うが、まさか魔女の家を破壊できるわけもなく、それ以上確かめることはできなかった。

 俺は諦めて、濡れた服を椅子に引っ掛け、ベッドの上で体を丸めて夜を明かした。


 それからの何日かは、家のまわりを探検した。

 ほかに暇を潰す方法がなかったからだ。

 周辺は常に霧に(おお)われていて、不自由なく歩けるのは花畑の周辺だけだった。


 しばらくして俺は、霧の奥に影が映ることに気がついた。

 初めは自分の影と思っていたが、それらは勝手に現れては勝手に消えた。

 俺は一日中、幻影を探して過ごすようになった。

 昔見た、旅芸人の影絵を(なが)める気分だった。


 物語に登場するのは、どうやら二人の男女だった。背の低い男と、背の高い女。

 男はよく動き、女は静かだった。

 男が何かするのを、女はいつも少し離れたところで眺めていた。 


 ––なくて困ることはあっても、あって困ることはないだろ?


 ある日、若い男の声が聞こえた気がして、俺は振り向いた。

 霧に濡れた花が揺れるだけで、そこには誰もいなかったが、影の男だ。

 そう思った。

 

 その晩は、めずらしく夢を見た。

 古めかしい格好をした男が、木にもたれて、そばの女に話しかけていた。

 革の水筒を差し出している。


「お前、俺の代わりに飲むといい。美味いぞ」


「いらん」


「一口だけでもさ」


「いらん」


「ここにあると、うっかり飲んじまいたくなるんだ。頼むよ」


「……」


「な。いけるだろ?

 あー。牛の乾燥肉を食いてぇな。酒にめちゃくちゃ合うんだぜ––」


 そこで目が覚めた。


 俺は無性に悲しかった。理由は分からなかった。

 女は魔女だった。


 戸口が叩かれ、開けると彼女が立っていた。

 明日の晩にここを出ると告げられる。

 俺は今朝見た夢について聞かずにはいられなかった。


「かつてここにいた、道迷いの人間だ」感情の読めない声で魔女は言った。


「お前が見たのは、霧の記憶だろう。酒を最初に持ち込んだのも、この家を作ったのもそいつだ」


「霧が記憶するの?」俺は尋ねた。


「水は記憶するものだ。私もお前も、水の体に記憶している。それが霧に溶けると、そういうものを見る」


 俺には理解できなかったが、魔女はふと思い出したように続けた。


「お前、バースってやつを知ってるか? 大工らしいが」


「さあ。うちの村の大工は、ディードリっていうおじさんだよ」


「……」


「そういえば、小さい頃に死んだ宿屋の爺さんが、ヴァースルフって名前だったな。

 みんなにはバース爺さんって呼ばれてた」


「……。そうか」


 無闇に外をうろつくなと釘を刺して、魔女は出て行った。



 次の昼過ぎ。

 乱暴に戸が開き、慌てた様子の魔女が入ってきた。

 ずいぶん早いなあと声を掛けるが、彼女は無言で俺の腕を掴むと、乱暴に炉に押し入れた。

 机と椅子を移動させて炉を隠し「音を立てるなよ」と注意されてすぐ、戸口に人影が現れたのがわかる。


 魔女に似た姿の女。

 しかし、ひと回り背が高く、青黒い。

 それが「人間の匂いがするぞ!」と喚き出すのを、俺は心臓が凍る思いで見ていた。


「もうすぐ道が開く時間だからだろう」


 入り口を塞ぐようにしながら、魔女が冷静に答える。

 家は嵐の夜のように震え、家具の足が小刻みに宙に浮いた。

 俺は身を縮こまらせ、できるだけ端によって見つからないようにした。

 どこかで、ピシピシと炭が爆ぜるような音が鳴っている。

 黒い女の圧力で木材が(きし)み、(はじ)けている音だった。


「ちょいと中を見させておくれな、西の。

 また独り占めしようなんて(たくら)んでいたら、とんでもないことだからね」


「私が私の領分で何を所持していようと勝手だろう。

お前はお前の居所で好きにすればいい。下らない言い掛かりで、いちいち境界をまたぐな」


 黒い女は無視して、無理やり押し入ってくる。

 ドスドス足を踏み鳴らし、テーブルの前を通り過ぎた直後、雷鳴のような爆音が聞こえた。

 全身の肌が粟立つ。

 ベッドを投げ飛ばして、壁に穴を開けたらしい。


「おい。私のものを壊すなよ。ふざけるな」


 魔女の怒った声が聞こえる。

 二人喧嘩(ふたりげんか)がはじまり、家がミシミシと音を立てる。

 目の前の椅子が嫌な音を立てて()け散った。


 俺は必死で、無い空間に身を寄せようともがいた。

 そして、初日に見つけた横壁の木板を思い出す。

 家はいよいよばらばらになりそうなくらいに揺れていて、それに合わせて徐々に()め込みが(ゆる)んでいた。

 俺は一か八か、板を思い切り押した。


 板が外れると時を同じくして、再度、雷鳴のような轟音(ごうおん)が辺りに響く。


 屋根が吹き飛んだか、壁が爆発したか。

 もはや確認している余裕はなかった。

 目の前に空いた隙間に、夢中で体をねじ込んだ。


 尻の下に硬いものを踏んでいるが、構っている暇はない。

 爪先(つまさき)を限界まで引き寄せ、息を殺す。

 

 この石組みが吹き飛ばされたらどうなるのか。

 黒い女に見つかったら殺されるのか。


 歯が鳴るのを必死で抑えた。

 

 永遠にも思える時間をそうしてやり過ごすうち、とうとう黒い女は諦めて去っていった。


 いいぞ、と魔女に声をかけられて、穴から這い出る。


 小屋は半壊していて、見るも無残な有様だった。

 俺が身を隠していた石組みの空間だけが、相当(そうとう)頑丈(がんじょう)に造られたのか、かろうじて体裁(ていさい)を保っていた。


 魔女は無表情で(たたず)んでいた。

 俺にはどこか悲しんでいるようにも見えて、気まずかった。


 そういえば何を踏んでいたのかと、わざとらしく呟き、隠れていたあたりを手まさぐる。

 古びた革袋が出てきた。

 中をあらためる。手のひらに収まる大きさの滑らかな木片が、ボロボロの布きれに大事そうに包まれている。

 板には釘で掻いたような記号が羅列していた。

 俺は文字が読めないが、どうやら文章らしかった。


「なあ。これ」


 魔女に見せる。

 果たして読めるのだろうかと心配したが、彼女は黙って目を通した。

 そして読み終わると、無言で木片を俺へ戻した。


「なんて書いてあった?」


「……」


「これ、手紙?」


「……」


「俺が貰っていいの?」


「ああ。もう必要ない」


 それから俺は目隠しをされ、魔女に手を引かれて歩いた。


「もう来るな。決して」


 それが、俺の聞いた、魔女の最後の言葉だった。




 その後のことはよく覚えていない。

 俺は突然村の入り口に現れて、そのまま倒れたそうだ。


 失踪してからひと月が経っていた。


 目が覚めてすぐに、両親に一連の出来事を話した。

 母は悪い夢を見たのだと取り合わなかったが、親父は黙って頷くと、酒の入った水筒を新しく用意してくれた。


 持ち帰った手紙は、後日、村で唯一文字を読むことができる司祭に内容を教えてもらった。


 俺が持っていてはいけない気がして、それはそのまま教会に預けた。


 それ以来、誰にもこの話はしていない。




◇◇◇




 やあ。見つけてくれて嬉しいよ。


 君のことだから、気づかずに家が朽ち果てる可能性の方が高いと踏んでたんだ。


 こうして読んでくれているってことは、少なくとも炉に火を入れたか、石組みを調べたか、家をバラしたか……何かしらの行動を起こしてくれたんだろう。

 



 君との生活は楽しかった。


 はじめは驚いたけれど、食べ物さえ慣れてしまえば、ここは幻想的で静かで、素敵なところだ。


 少々娯楽に欠けるきらいはあるが、そんなものは工夫次第でどうにでもできるだろう。実際そうだったしな。




 俺は明日帰る。


 あの村にはやり残したこともあるし、こんな男の帰りを待ってくれる、優しい人もいるからな。



 でも、もし。


 俺がまた、森で迷って、もう一度ここに来ることができたら。


 その時は、ずっと一緒に暮らそう。

 この家で。



 この手紙を読んでもらえているのなら、そのくらいの奇跡は起きてもおかしくないはずだ。

 そうだろ?



         ヴァースルフ・クレッチマー



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