9月25日。
9月25日。
相楽由紀子は、朝目覚めた時、何かが脳裏をよぎったような錯覚に陥った。
だが、それも一瞬のことで、記憶を辿ろうとしてもそこには何も無かった。
夢をみたのは確かなのに、それがどんなものだったのか思い出せないもどかしさが込み上げてくるのを自覚しながら、由紀子はベッドから降り、遮光カーテンを勢いよく開けた。
東向きの大きな窓から、昇ったばかりの朝日が燦々と光を差し込んでくる。
その光を浴びながら、由紀子の心も光に満ちていき、いつの間にか先ほどまでのもどかしさなど霧散していった。
今日は何を描こう。
由紀子の関心は、既に真っ白なキャンバスに向かっていた。
9月25日。
相楽佐知子は、朝目覚めた時、何かが終わったような感覚に陥った。
だが、夢を辿っても、そこには何も無く、ただ空洞のような虚ろな何かが横たわっているだけだった。
佐知子は夢を思い出すのを諦めて、枕元の携帯を確認した。
転勤のため別居している夫から、今度の休みにはこちらに帰ってくる旨のメールが届いていた。
佐知子はしばらく考えて、次の休みには自分がそっちに行く、とメールを返した。
裁判官同士、転勤が必ずしもこちらの都合を考えてくれるとは限らず、佐知子も結婚してから夫と一緒に暮らした時間は離れている時間よりも短い。
そろそろかな。
今、佐知子は、裁判官を辞め、旧姓使用もやめて、弁護士となって、夫の転勤について行けるようになろうかと考えている。
子供も欲しいし、何よりも。
(由紀子との時間は居心地が良過ぎる)
幼い頃からずっと一緒だった相楽由紀子という存在は、こちらから意識して離れなければ、恐らく一生離れられないだろう。
自分だけではなく、幼い頃からの友人も珍しくない由紀子は、まるで甘美な麻薬のような引力を持っていた。
日比谷でのお茶会は、暫くの間お預けとなってしまうが、優先すべき順番は、間違えてはいけない。
と、携帯に夫から電話がかかってきた。
佐知子からのメールの返信に、思うところがあったのだろう。
「もしもし、おはよう」
佐知子が考えていることを話したら、夫は何と言うだろうか?