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ヘーゲルをどう読むか

 ヘーゲルの「美学」を最近読んでいる。もっともパラパラめくっているだけだが。

 

 ヘーゲルという哲学者については、偉大なのは確かだが、私はどこか胡散臭いものを感じていた。胡散臭いと私が言っているのはヘーゲルのオプティミズム(楽観論)の部分だ。

 

 もっとも、胡散臭いと言っても、胡散臭いのはヘーゲル哲学の10%から20%ぐらいのところで、残りの部分については(やっぱヘーゲルは凄いなあ)と思う。

 

 最初に些末な事を書いておく。今、読んでいる「美学」も「宗教哲学講義」も、どっちも大学での講義をまとめたものだ。しかし、冷静に考えると、こんな独創的な内容を生徒に講義していたというのは、凄いな、と思う。

 

 今の日本の大学で、ヘーゲルのような、こういう独創的な講義をするというのは無理だろう。日本どころか、世界でも無理なんじゃないかと思う。というのはあまりに独創的で、突き抜けていて、「大学」という知の枠組みからは外れてしまうからだ。

 

 ちなみに言えば、ショーペンハウアーも、大学の講師をやっていたらしい。ショーペンハウアーはヘーゲルに挑戦するように同じ時間に講義をやったが、不人気だったらしい。

 

 ショーペンハウアーとヘーゲルが共に大学で教えている、というのは、今から考えると怪物二匹が取っ組み合いしているようなもので、現在ではとても考えられない。現在の大学という枠組みでは、こんなめちゃくちゃな、独創的な講義は不可能だろう。おそらく「科学的根拠がない」とか何とか言われて即却下となるだろう。まあそのあたりは、ヘーゲル的に言えば「精神」が隆盛の時代と落ち目の時代との差があるのだろう。

 

 ※

 ヘーゲル哲学をここで本気で解説するのは骨が折れるので、自分の感想だけをざっくり書いていく事にしたい。

 

 ヘーゲルは「精神」とか「絶対精神」とかいう事をよく言う。この観念がヘーゲルの肝の部分なので、ここが空疎であるなら、ヘーゲル哲学全体にあまり意味がない事になってしまう。

 

 私はヘーゲルを読み返して、結局、ヘーゲルは「最後の偉大な時代」に属した人なんだなという印象を持った。ゲーテにおける自己研鑽であるとか、ショーペンハウアーが世界を「意志」という観念で統一的に見ていくとか。時代的にはもうキリスト教は下り坂だったが、キリスト教が残した「神」の観念は哲学者の内で様々な変奏を遂げた。

 

 ショーペンハウアーはニヒリズムである。世界の根底にあるものを意志だとみなし、様々なものはその現れだと考える。世界はどうしようもない盲目的な意志(欲望)が支配しているが、それに照明を当て、その全貌を表すのが「芸術」である。

 

 ヘーゲルの場合は生成論であって、「絶対精神」のような理想的なものは、時間と共に徐々に具現化していく。私は、この「生成」という概念こそが、ヘーゲル哲学のオプティミズムの根底になっているのではないかと思った。つまり、ヘーゲルの魔法の種、詐術の理論には「生成」という概念がある。(「生成」というのはいわゆる「止揚」、あるいは「成長」とイコールと見てもらっていい)

 

 何故、生成の観念がヘーゲルの楽観論を生み出すかと言うと、楽観論である為には理想と現実を一致させる必要がある。この場合、現実は確かにくだらないものではあるが、時間の中で少しずつ理想に近づいていく、と考えると、楽観論にとどまっていられる。

 

 レベルの低い人間であれば、現実の理不尽や悲惨を知らないままに楽観論を語る。しかし、それは現実を知らないから好き勝手な理想を語れるという話であり、程度が低いという以外のなにものでもない。衣食住足りた人間が、餓えの苦しみを楽観的に語るようなものだ。

 

 もちろん、ヘーゲルは大哲学者なので、そんなレベルに留まってはいない。ヘーゲルは現実の低劣さを知っている。しかし、それは理想に向かう途上なのだと考えると、楽観論でいられる。ここに、若干のヘーゲルの詐術があるように思う。

 

 このあたりは微妙なところで、「絶対精神」は果たしてヘーゲルの存する近代社会という形で具現化したのか、それは達成されたのか、あるいはそれは達成されたとしても、失われるものではないか。時間的な生成の観念において、東洋的な栄枯盛衰の時間観は取られない。少しずつ高みにあがっていく過程において、アジアやアフリカは低いものであるとされる。その頂点には我々(ヘーゲルの属する)、近代ヨーロッパがある。

 

 それでは、その彼らは歴史の頂点なのか、それ以上の進捗はないのか、それとも衰退するのか。いや、その近代ヨーロッパにも問題はないのだろうか? という点にヘーゲルは答えない。いわば、山の高みに登るにつれて、雲が湧き出て、頂点が隠される。そんな風になっている。

 

 ※

 もう一度整理すると、ヘーゲル哲学が楽観的なのは、理想と現実とを一致させようとするからだ。これはプラトンとは反対で、プラトンはイデア(理想)と現実を分けた。

 

 カントも物自体(理想)と現象(現実)を分けた。根底的には私は、プラトンやカントの方が優れていると思っている。

 

 どうしてそんな風に考えるかと言うと、現実というのはそんなに素晴らしいものではないからだ。また、理想というのはあくまでも頭の中にあるもので、それが具現化してしまえば、それはもう理想ではなくなってしまうからだ。

 

 ヘーゲルの後継者と言ってもいいマルクスは、革命思想を唱えた。これは現実と理想を強引に一致させる為に政治的な行動が必要だという理論だった。

 

 マルクスは大学教授になろうとしてなれず、死ぬまで貧乏生活だったので、極端な政治活動で現実的秩序をひっくり返す、そういう「夢」を見る必要があった。一方、ヘーゲルは大学教授という立場に満足していたので、理想と現実は既に融合しているとか、もうすぐ融合しそうだというような楽観論に立つ事ができた。

 

 マルクスの理論は徹頭徹尾批判的なもので、それは、現実と理想とが断絶しているという明確な意識に基づいていた。マルクスの時代にはもう既に「偉大な時代」は失われていた。

 

 マルクスとキルケゴールは共にヘーゲル批判者として、よく取り上げられる。しかしマルクスにしろキルケゴールにしろ、ヘーゲルとかゲーテのような、円満な世界観は存在しない。もう既に決定的に大切なものは失われてしまったという感が強い。彼らの哲学は種類が違うが、彼らは、決定的に断絶してしまった現実と理想を強引に接着させようとする所に、鬼神の如き哲学的努力を行った。既に円満な世界観を披露できる環境は存在していなかった。

 

 ※

 ここまでだらだらと書いてきたが、思ったよりもヘーゲルに批判的になってしまったように思う。

 

 ヘーゲルの何よりも凄いのは、彼の言う「絶対精神」に一定の実定性が認められる事だ。(確かにそうだ)と思えるような、巨大さがある。

 

 そしてその理想は、私にはやはり、キリスト教的な「神」が形を変えたもののように思える。ゲーテの汎神論においても、既に消えた神の残滓が世界の内に未だ残っており、哲学者や文学者はそれを自らの理性を用いて再編する事ができた。そのようにして織られたものがヘーゲルの哲学の根幹ではないかと思う。

 

 ヘーゲルやゲーテやショーペンハウアーは貴族的な人物だったが、まもなくして大衆が興隆し、貴族とかブルジョアは大衆の中に埋没する。大衆、機械化、イデオロギーの、精神貧困な時代はすぐそこに来ていた。ニーチェやブルクハルトは枕頭でその足音を聞いていた。

 

 今から振り返ると、ヘーゲルはあまりにも楽観的すぎるように感じる。そもそもで言えば、ヘーゲル以後に二つの大戦が行われ、なおかつヘーゲルやゲーテのいたドイツからナチスドイツが生まれた。それはヘーゲルのオプティミズム、「生成」の概念にはそぐわないものに思える。

 

 したがって、ヘーゲルの哲学をそのまま現在に応用するのは難しいと思うが、ヘーゲルが総合した、偉大な絶対精神というのは現代においてどのような残骸になってしまったかを追跡する意味はまだ存在するだろう。あるいは、今は無理でもいつか、ヘーゲルのような偉大な総合的な哲学が可能である、そういう時代がやってくるのを願って、仕事をするのも不可能ではないだろう。

 

 …ただ、こんな風に書くと、私があまりにもヘーゲルやゲーテを理想化しているように聞こえるだろう。実際には、ヘーゲルやゲーテは、彼らの哲学や文学を成就させる為に同時代に存在した様々な汚物には目を瞑った事だろう。しかし、現代はもはやそういうものに目を瞑ったところで、偉大なものを構築できるどんな足場も存在しない。そのような空虚な瓦礫の山の中に立って、我々はヘーゲル哲学を振り返って見る。

 

 そうすると、それはもう決して登る事のできない高い山のように見える。かつて登ったあの山はもう幻のように見えて、今の自分にはそれを登る足腰の強さはない。それでも、かつてそれがあったという事は今の我々にも若干の活力を与える。というのは、偉大な総合というのは、少なくともそのような実例を知っておかなければ、目指す事さえ不可能なものだからだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 学生時代に友人からやたらと熱くアウフヘーベンについて語られた思い出がよみがえりました。 ドイツ哲学は全般的に好きなのですが、趣味程度の知識しかないので造詣の深い方は本当に尊敬します。 […
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