ラウラ、異世界に行く
「どうしてなんだい、ラウラ」
牢の向こう側で悲しそうに問いかける藍色の髪の皇太子エドワードを、ラウラは感情のない瞳で見つめる。
穏やかな気質で、美しい容姿の皇太子は国一番の結婚相手だと令嬢たちは語る。その美貌の皇太子が落ち込む姿を見ても心を動かされないのは、幼い頃からの婚約者であるラウラくらいだろう。
「どうしてと言われましても」
「言いたくはないが、君は、私をそこまで好きじゃない。嫉妬でサクラを攻撃したとは思えない」
ラウラは薄く笑い、反論はしない。本当のことを告げ、相手を逆上させるわけにはいかないからだ。どうせ処刑するのだからと襲われてはたまらない。
「神子サクラがあなたと通じた様子でしなだれかかる姿を見て、わたくしも自分では理解できない感情に支配されましたの」
「だが、君は知っていただろう。私の結婚相手は、私が最後に選ぶのは君であることくらい」
「知っていました。あなたがわたくしを選ぶことは。けれど、どうしてか許せなかったのです」
核心は避け、曖昧な言葉で誤魔化す。ラウラが怒りを抱いたのはエドワードに対してだし、エドワードがラウラを選ぶくせに神子に手を出したからこそ、女として怒りを抱いたのだ。なぜならラウラは知っていたから。
太陽の神子の役割を、役割を果たした彼女がどうなるのかを。
知っていたからこそ、怒り狂わずにはいられなかった。
「ラウラ、私が愛しているのは君だ。美しい僕の姫」
「ええ、ありがとう、エドワード」
口元を隠し、ラウラは穏やかに笑う。女は上手に嘘をついて生きなければならない。他人にも、自分にも。
「今のところ君を助ける方法はないんだ、目撃者が多すぎる。本当に、すまない。なんとか、方法を探してみるけれど」
「いいえ、お気になさらず。きっとわたくしは皇太子妃に、ひいては皇后にふさわしくなかったのですわ」
唇を噛むエドワードを、心のなかでは無感情に見つめながらラウラは気丈に微笑んでいるフリを続ける。
面倒くさい。早くどこかに行ってほしい。その感情を隠すのに必死だ。
このままここで夜を明かすのではと言いかねないほどに名残惜しそうなエドワードを側仕えが回収にきたので、ラウラは心からの笑顔で見送った。
「勝手な男」
誰もいなくなった牢の中、小さな声で吐き捨てる。本来なら壁一枚隔てた先には警備兵が居るはずだが、エドワードの指示によるものか気配は感じられない。ラウラ自身、この細い手足で逃げられるとも思っていないが。
太陽の神子は「生贄」だと知っているラウラからすれば今回の罪状での処刑など、全てが馬鹿馬鹿しい。
異世界から勝手な都合で呼び寄せ生贄にしてしまうだけに飽き足らず、少女の身体まで求めて。ラウラはエドワードの行いに怒らずにはいられなかった。
あの瞬間、二人が身体を通じたのだと分かる空気をラウラの前で見せたあの瞬間、あそこでラウラが大人しくしていたとして。神子が生贄に捧げられた後、あの男は当たり前のようにラウラと結婚し、なんでもない顔をしてラウラに触れるだろうことが、容易に想像がつく。それが、耐え難かったからか。
それとも、エドワードにしなだれかかる神子サクラがどこか虚ろな表情だったからか。
神子が頼れるのは自分に特に優しい皇太子だけだっただろう。その彼に求められて、果たして抵抗などできるだろうか。なにより彼女は近い日に自分が生贄に捧げられると知らないのだから。
そう、神子もまたエドワードを愛していないことを察したから、勝手すぎる男に怒りがわき、制御できない衝動に身を任せたのだとラウラは理解した。
少しカビの臭いのする牢の中、ベッドはあるものの眠る気のないラウラは、床に直接座り込み、骨も残さずに消えた父を想い目を閉じる。
「申し訳ありません、お父様。お母様。ラウラは幸せになれそうにありません」
小さな窓から届く星あかりの下で、ラウラは父の冥福を祈った。
父と母と暮らした幸せな日々を思い出し、恐怖でどうにかなりそうな心を落ち着かせた。
・
「サクラ!」
ラウラが伸ばした手が神子をすり抜ける。
そこでようやくラウラは自分が透けていることに気がついた。
見えない、触れられないって、せっかく召喚前まで「戻った」のになんの意味もないとラウラは悔しくなる。それでもと神子の後を追うラウラは、楽しそうに談笑する姿に納得する。神子はやっぱり普通の人間だと。
「佐倉さん」
「あ、望月さん。どうしたの?」
「その、金髪碧眼の美女の知り合い、いる?」
「いや、そんなインパクトに溢れた知り合いはいないなぁ」
「そう、変なことを聞いてごめんなさい」
「大丈夫、気にしてないよ!」
サクラは答えると手を振って、友人を追いかけるように走って行ってしまった。この制服の集団が向かう先に行けばいいのだろうことは分かるから、焦ることはないとラウラは落ち着いた姿をみせる。それよりもサクラの名を呼んだ少女に見つめられている気がして、ラウラは口を開いた。
「あなた、わたくしが見えるの?」
どことなく暗い印象の、黒髪の小柄な少女はコクンと小さく頷いた。
「もしかして、あなたは幽霊が見えるのかしら?」
「そ、そう、です」
かすかに聞き取れる声量で返されたラウラは、そのオドオドとした態度に少しムッとしたが、唯一自分に気がついた少女と離れる訳にもいかず後をついて歩く。なにより彼女はサクラの知り合いのようだったのだから。
「わたくし、サクラを助けたいのだけど」
「助け、たい?」
「今のままじゃサクラは死んでしまうの」
「でも、私はあんまり、力になれないかも」
何も悪くないのに謝られて、少女のような人間に出会ったことのないラウラは言葉を詰まらせた。言葉を間違えば死んでしまいそうな、吹けば飛びそうな、あまりに頼りない少女だった。
「望月さんまた何かブツブツ言ってる。キモ〜い」
「ちょ、やめなよ。ああいうのが何するか分からないんだから、刺されても知らないよ」
クスクスと悪意のある笑い声が通り過ぎていく。さらに縮こまる少女を見たラウラは、考えを変えた。話しかけられもしないサクラをどうこうするより、今、自分がすべきことがあると。
「あなた、顔を俯かせないで、わたくしをきちんと見なさい」
ラウラの力強い指示に望月と呼ばれた少女は顔を上げる。しっかりと見れば、前髪がかなり長めではあるが、ブラウンの瞳をした、優しそうな顔つきの少女だ。
「わたくしの名前はラウラ・ララ・ゲート。もはや身分も何もないもの。ラウラと呼べばいいわ」
「私は、望月小夜」
「モチヅキ?」
「えっと、小夜。小夜って呼んでください。そっちが名前、です」
「サヨね、小夜。覚えたわ。あなた、わたくしの教師になりなさい」
ラウラの力強い命令に、目を丸くした後、小夜は困ったように視線をうろつかせて人影が減っていることに気がついたからか、小さくはあったが確かに頷く仕草を見せた。
「この世界のことを教えなさい」
「なら、今から学校に行くから、質問は、家に帰ってからにして」
「ええ、分かったわ、先生」
わがままに見えたラウラが小夜の指示にすぐに従ったことに驚きつつ、遅刻しそうなことを思い出した小夜は鞄を抱え直し、小走りで先を急いだ。
・
なんとか遅刻を免れた小夜は、窓側の一番前の席に座る。ついてきたラウラは、不思議そうに教室を見てまわり、誰もいない席を見つけると、当たり前のように座っているフリをした。いきなり授業を聞いても分からないだろうに、静かに授業を受ける金髪の美女の姿に小夜は小さく笑った。
筆記用具や教科書を興味津々な視線で見つめ、皆が触っているスマホを自分も触ってみたいと言いたげな視線を小夜に向ける。質問は帰ってからと言ったからか、何も言ってはこないが、視線はとてもうるさかった。
段々と日が落ちていく時間になると、窓の外を見るラウラは不思議そうに太陽を見つめる。小夜はラウラが目を悪くすると心配になったが、相手が幽霊であることを思い出して口をつぐんだ。
小夜もラウラのことは金髪碧眼の気の強そうな美人で、佐倉ひまりを助けたいという人で、名前くらいしかまだ知らないのだ。現代にあるもの全てに驚いた様子をみせるので、古い時代の幽霊なのかもしれないとは思った。
小夜はラウラを連れて街の図書館を訪れた。学校の図書室で借りた三冊では物足りない様子だったからだ。教師をしろと言われても何を教えればいいのか分からない小夜は、ラウラが日本語を読めるということを確認すると、本に頼ることにした。
図書館へむかう道中でも、ラウラは電光掲示板や信号機、車に自転車、自動ドア、ありとあらゆるものに興味を示した。
「太陽の話の本で、いい?」
小さな声で確認して小夜は小学生向けの科学の本をいくつか抜き出す。それから、歴史の本棚からできるだけ長い歴史が分かりそうなものをパラパラと本を流し読みして探していく。図書館で本を五冊見繕えば、小夜の荷物はパンパンになっていた。本が八冊も入った重い荷物を抱えて、たまにふらつきながら小夜は家を目指す。
小夜の隣で楽しそうに歩くラウラを見ていると、小夜は心が軽くなった気がした。
ラウラは小夜を馬鹿にしない。なにより、悪意がない。それは彼女が幽霊だからではなく、ラウラだからなのだろうと考えた小夜は、口の端をほんの少しあげて家まで後少しだと気合を入れた。
「ただいま」
誰も中にはいないアパートの一室に、虚しい言葉が響く。
小夜は父の浮気で離婚した後の母が、夜勤で必死に働いてくれているのを知っている。寂しい気持ちはないと言い聞かせ、リビングの横の自分の部屋にドサリと荷物を置いた。
「まぁ!小さな部屋だわ」
元気な幽霊の言葉に顔をあげる。キラキラとした表情で折りたたみ机とベッドと小さな本棚と安物のハンガーラックくらいしかない小夜の寂しい部屋を見て歩く。
「不思議。こんなに文明が発達しているのに、人間の家は小屋みたい。この世界って、とっても不思議ね!」
くるりと回って振り返ったラウラは、小夜に向かって子どものような笑みを浮かべた。
シンプルな無地のワンピースなのに、ラウラが着ているとまるでドレスのようだ。その美しい幽霊の笑顔を見た小夜は、肩の力が抜けた。彼女は今、見るもの全てを不思議がっているだけなのだ。
「不思議、だね」
ラウラにつられて小夜も表情をほころばせた。
・
「すごい、なにこれ、面白いわ。楽しいわ」
怒涛の質問攻めを受けた小夜は、ぐったりとした様子でベッドに倒れ込む。小夜の近くにいるラウラが邪魔でほかの幽霊は何もしてこなかったし、表情豊かに「あれが気になる」と訴えるラウラを見るのが忙しくて、周囲の悪意のある囁きも今日は小夜の耳に入らなかった。
疲れた。疲れたけれどいつになく気分がいい。時計を見た小夜は、お風呂に入る準備を始める。ラウラになにかいい暇つぶしはないだろうかと考えて動画サイトを見せた。
一つ見ただけで興奮するラウラが、タッチペンを使えば画面を自分で操作できることに気が付き、さらに興奮していた。タッチペンや鉛筆みたいなものならラウラにも動かせるらしい。
太陽をしきりに気にしていたラウラのために動画サイトの中にある宇宙というジャンルを検索する。
「あの、ラウラ、私はお風呂に入るからこれで動画を見ていて」
「分かったわ、幸いこの世界の文字も言葉もなぜか分かるもの、変なことはしないから安心してちょうだい」
子どもみたいにキラキラとした表情で画面を見るラウラを残して、小夜はお風呂に向かった。
残されたラウラは、スマホという四角い板の中で画面を押すだけで次々と動く絵や音声が出てくる道具で遊ぶ。衝撃的で、面白くて、ラウラにとってこれぞ異世界の産物だ。
そして、小夜が準備した宇宙についての動画。
太陽系。この星の丸い姿、惑星。その内容全てが衝撃だった。
「太陽が、山から昇るものではないなんて」
ラウラの常識が根本から崩れた瞬間だった。図書館で小夜に借りさせた本の中にも宇宙に関するものがあったので、そんな馬鹿みたいなことがあるだろうかと疑って本を読んでも、動画と同じようなことが書かれていた。ラウラは世界が違うと、常識すらこんなに違うのかと、召喚されたサクラにもう少し優しくするべきだったと後悔もした。
ラウラは今日一日だけで、この世界はエルテアより遥かに文明が発達していることを理解した。娯楽も多く、少なくともこの街では裏道に行ったとしてもお腹を空かせた身寄りのない人間が倒れている、ということもなさそうだった。
ラウラは、もう一度宇宙の映像を見る。
青く美しく、丸く、果てのない世界。
「そう、この世界には果てもないのね」
エルテア帝国が世界を統一したと宣言した理由。それは海の落ちる先、世界の果てを観測したからだ。エルテア帝国による世界統一ができたのは、この地球より狭かったからだとラウラは理解した。
太陽は山から昇らず、世界の果ても存在しない。
完璧だった。ここにはラウラの望むものが存在した。
「お父様に連れられて初めて果てを見たとき、わたくし怖くて泣いてしまったのよね」
果てから落ちた人間は死ぬ、そう聞いていたラウラにとって初めて身近に迫った死の恐怖だったのだ。帝国の人間は果てを世界統一の証として誇りに思っているらしいのだが、ラウラにはそれがさっぱり理解できなかった。
「あんなに恐ろしいものを有難がるなんてどうかしているわ」口には出さなかったが、ラウラはそんな思いを抱えて、父にしがみついたのだ。
・
しばらくして部屋の扉が開き、頬に赤みがさし、少ししっとりとした髪の小夜が戻る。
半袖と短パンという服装はラウラには信じられないものだが、この世界の人の服装はラウラの考えるものとは全然違うのだと小言を飲み込んだ。
「小夜、詳しい話をしてもいいのかしら」
「う、うん。いいよ。力になれるかはわからないけど」
おどおどとした様子にラウラはこの子はそういう子なのだと受け入れる。
「わたくし、異世界の人間なの」
「い、異世界」
「神子の召喚、いえ、送還というべきかしら。それに失敗して、この世界にいるの」
「え、あの、でもそれじゃ佐倉さんのこと知っているのって」
「ええ、あの子は私の世界に召喚される神子よ」
佐倉がここにいるのにどうしてラウラがいるのかということを小夜が質問すると、ラウラは自分の予想だけど、と前置きをした。
「わたくしの呪文が、この世界とわたくしの世界を繋いだことは間違いない。それでも失敗したのはわたくしの呪文に間違いがあったから。戻れ、ね。そう、戻れに問題があったのよ。戻ったのはサクラでなく、時間、だったのではないかしら」
ラウラが考えられる原因はそれくらいしか存在しなかった。
「あの、ラウラ。佐倉さん死んじゃうの?」
「あら、小夜は学校の人間が苦手だと思っていたのだけれど。サクラを心配するのね」
「その、佐倉さんとは普通に話せるの。彼女の近くにいると悪い幽霊も寄ってこないし。佐倉さんとしては気持ち悪いかもしれないけど」
自信のなさそうな小夜に、ラウラは呆れた。
「あなた優しい子だもの、サクラが嫌うはずないわ」
「えっと、その、ありがとうラウラ」
ただただ純粋な小夜の笑みを受けて、そういった経験の全くないラウラは、恥ずかしさから「もっと動画を見せなさい!」とスマホを奪って再生ボタンを押し、他の言葉は聞かないようにした。
ラウラがとても照れていることが伝わったのか、小夜もそれ以上はなにも言わず「ご飯を食べてくるね」と普通の生活を続けた。
詳しい話はまた落ち着いてからでいい。そう思っていたが、宿題を終えると、それなりの厚さの本を八冊も運ぶという力仕事で疲れていた小夜はすぐに眠ってしまった。