エルマーの独り言
結局、幸せとは何なのだろう。エルマーは思った。
男はこの世界に生まれる前、日本という国で生きたいた記憶がある。普通に生まれ、育って、社会の歯車として働き、そして死んだ。たったそれだけの記憶が。
けして幸福とは言えなかったが、不幸であるとも言い切れなかった。自分には家があったし、食うに困らないだけの生活をしていた。だから、この現状よりもよっぽど幸せであったはずだった。
そんなことを考えながらリンゴを齧る。これを食い終わったらまた仕事に戻らなくてはいけない。トラクターや電気がないこの世界ではすべてが人力なのだから、動かなければそれは実質的な死を意味する。
今の俺はエルマー。どこにでもいるような農家の息子だ。ほかのやつと違うのは前世を覚えていることだけ。本当にそれだけなのだ。何か特殊な力があるとか、知識があるとか、見目がいいとかそういうものは持っていない。
何なら小さい頃は『前世の話』なんてものをしてしまったがために折檻を受けたこともある。今の彼からすれば宗教上、そのような話が許されないことも理解できるが、知能が記憶に追いついていなかったときはソレが分からなかったのだ。
エルマーはリンゴの芯を捨てて立ち上がる。こんな考え事をしたってメシは増えない。この記憶は今の彼にとって、忌々しいもの以外の何物でもなかったのだ。
クワを持って畑の峰をひたすら耕していく。その間は無心になる。今日のことも昨日のことも、そして遠い昔のことも考えなくて済むのだ。
持ち上げる、おろす、引く。
持ち上げる、おろす、引く。
持ち上げる、おろす、引く。
クワを持ってひたすら繰り返す。何も考えずに繰り返していくのだ。そこに意味などない、生まれたときから彼は農民で生まれたときからいつかはこうすることが決まっていたからだ。それ以上でもそれ以下でもない。
エルマーはふと思い出す。
前世の自分は知識を持ったまま異世界転生できるなら、幸せな人生を送ることができると本気で考えていた。
もしかしたら国を救ったり、美女と結婚したり、仲間と冒険ができるのではないかと、そう妄想をしていたのを昨日の弧とかのように覚えている。ソレは彼の中での一種の希望だった。孤独で、辛い人生を生きる中での一筋の光だった。
まるで一種の宗教のように彼をそれを信じ、そして日々を生きるための軸にしていたのだ。
こんな自分でも、周りと違う何かがあれば幸せをつかめるのではないか。
こんな自分でも、何かが違えば誰かが自分を深く愛してくれるのではないか。
こんな自分でも、何か、なにかがあれば。
でも、現実はそう甘くなかった。
今自分が生きているこの世界は前世よりももっと『出る杭は打たれる』時代である。
みんながみんな生きるのに精いっぱいな時代。他人と異なるものは異分子として疎まれる。
例に漏れず彼もほかのものと同じ運命をたどった。両親からは冷たい目で見られ、周りからは馬鹿にされた。だからと言って彼は反論の材料を持っているわけでもなかった。だから彼は馬鹿にされ続けた。
もし、彼が貴族や王族であれば多少は許されたかもしれないが、残念ながら彼はなんてことないただの農民なのである。仕方のない、これが現実なのである。人生はうまくいかない。
彼は打たれた。出る杭として。そして彼はソレを受け入れた。自分が持っている記憶を捨てて、ほかの大多数と同じになるように。
それからの彼の生活は特に変わらなかった。畑を耕し、手入れをして税を納める。ただそれだけ。
物語としては大変面白みに欠ける、陳腐な話。
エルマーは腕を止める。そろそろ日が落ちていく、家に帰らなければならない。
大きく深呼吸をして彼は道具を担いで家へと歩いていく。
今日もいつもと変わらなかった。退屈で平凡な毎日。
家のほうからは娘の笑い声と、妻の声が聞こえる。今日は珍しく肉を食べるらしい。香ばしい肉の匂いがしてきた。
エルマーは家に帰る。この退屈な一日を終わらせるために。結局、前世の記憶は彼の助けにも、希望にもならなかった。でも彼はそれでもよかった。
彼は家の扉に手をかける。そしてこの退屈な今日を終わらせる。
退屈だけれど愛おしい毎日をまた始めるために、エルマーは家に入っていく。
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