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ある王国の物語  作者: つきあかり
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1.カッテとフリードリヒ

─昔、今のドイツとポーランドの辺りにプロイセン王国という国がありました。

(しのぎ)を削るヨーロッパの列強諸国を仰ぎ見ながら、いかに生き残るかを必死で考えなくてはならない小さな国です。

そこに生まれた第一王子の少年は、王になどなりたくなく、出来れば趣味の世界に没頭したいと考える少年でした─。




ハンス·ヘルマン·フォン·カッテが兵舎の側の井戸を通りかかった時、井戸の傍の夜の闇に隠れるように少年が(うずくま)っていることに気がついた。

「いてて……」

第一撃、頬を杖で殴られた時に切れた傷から血が出ていた。井戸の水を汲み、傷を洗い流す。

他の攻撃は全部(かわ)してやったが、最初の一撃は不意打ちだったので、避けきれなかった。

少年に絹のハンカチがそっと差し出される。

「カッテか……。良いよ、汚れるから」

少年はカッテが差し出したハンカチを彼の腕ごとカッテの方に押し返す。きまりが悪かった。出来ればこんな姿は誰にも見られたくはなかった。

殴られるのはどうせいつものことだ。少年の父親は厳格といえば聞こえが良いが、自分が気に入らないことがあると、感情のままに周囲の人間を殴った。まるで殴らなければ、人の心は変わらない、言うことを聞かせられないと思っているようだった。

しかも、始末が悪いことに少年の父親はこの国、プロイセン王国の国王だった。

「フリードリヒ殿下、皆の者が殿下を探しているようです。しばらく何処かへ隠れますか?」

カッテは少年に提案してみた。

多分捕まれば、部屋に閉じ込められてしばらく食事も与えられない仕打ちを受けるのだろう。皆、父王が怖いから誰も逆らわない。

今回はいったい何が原因で殴られたっけ。何度も繰り返された出来事なので、もう思い出せなかった。父が軟弱と呼ぶ類の本をフリードリヒが手に入れたことを誰かが告げ口したんだったっけか。だったらあの本もきっと焼かれてしまう。

「いや、戻るよ。ここには傷を洗いに来ただけだ」

逃げても最終的には戻らなければならないし、戻ればあの執念深い父のことだ、よりひどい仕打ちをするのは分かっていた。

「しかし、良い逃げっぷりでしたね。陛下の杖を最初以外は全て避けておられた。笑いを堪えるのが大変でしたよ」

フリードリヒより8つ年上の彼の護衛が穏やかに笑うと、フリードリヒの心は軽くなった。

「父上の動きはパターンがあるんだ。だからそれを覚えてしまえば避けるのなんか簡単さ」

あんなジジイには負けない。ニヤリと笑う。

「あなたはとても頭が良い。それに身体能力も素晴らしい。恐らく陛下よりも優れた軍人になられますよ」

フリードリヒの父は、ヨーロッパで生き残るための手段として軍事を強化することを選んだ。国の財政を倹約し、軍備に力を注いだ。軍人を優遇し育て、プロイセン王国を軍事国家にしようとしている途中だった。その成果は少しずつ実になり始めている。

「俺は軍人は嫌いだ。力任せに相手にいうことを聞かせるなんて、いかにも頭が悪そうじゃないか。でも、カッテのような軍人もいるのなら、軍人になっても良いかも知れないな。だけどあいつのようには絶対にならない」

吐き捨てるようにフリードリヒは言った。フリードリヒと父親は性格、ものの見方、価値があると思うものあらゆるものが違っていてことあるごとに衝突を繰り返していた。フリードリヒの父親ヴィルヘルム王は無骨な軍人で、実用的なもの以外にはあまり価値を見出せない人だった。生活では倹約を愛し無駄を憎んだ。フリードリヒが好んだ芸術や文学などは無駄でしかなかった。フリードリヒが聡明であればあるほど苦しむしかなかったのだ。

「それで良いのです。親子だからと言って、同じように振る舞わなくてはならないということはありません」

カッテはまだ若い自分の主人の苦しみを解放してやりたかった。

「そんなふうに言うのはカッテだけだな。他の奴らはだいたい“お父上のようになれませんよ”って言うぜ」

フリードリヒは14歳になったばかりだった。

本当なら、もっと未来と自分の可能性に希望を持って輝いていておかしくないのに、この少年は笑っていてもその瞳の奥にほの暗い影を宿していることをカッテは知っていた。

「殿下にそう諭す者たちが未来の全てを見通せるわけではありません。彼らの言葉はただヴィルヘルム陛下を讃えているに過ぎないのです。あなたのお父上は弱小だったこの国を立て直した方。その手腕は素晴らしく強い国へと導いた。ですが、時は必ず流れます。同じやり方では通用しない日も来るでしょう。その時にあなたがどう考え行動するか、その力こそこの国に必要なものではないでしょうか」

言葉を選びながらではあったが、現国王に対して不敬な言葉も含まれた。誰かに聞かれれば首がとびかねない言葉だった。けれども、自分を信頼し慕ってくれる王子のためにカッテは言わずにいられなかった。

「……カッテの言葉は俺に響く。退屈で仕方ない日々の授業も、意味のあることかも知れないと思うことができる。これからもそばにいて欲しい」

フリードリヒはカッテの手をとり、背の高い彼を見上げながら言った。未来は無限に広がっている。だからこそ自分の未来に何が待っているのか分からず怖いのだ。自分が道を踏み外さないようにカッテにそばにいて欲しい。いつも冷静で正しい判断を聞かせて欲しい。

カッテはまだあどけなさの残る少年の前に(ひざまづ)き、誓った。

「命ある限りお側に」

この時の誓いをフリードリヒはのちに苦い思いで思い出すこととなる。

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