9 予兆
「目を開けた……!」
公爵たちが驚いている。
ユノは慌ててローズの顔の前にリリーを差し出した。ローズがゆっくりと目を見開いた。
「……もしかしてリリー?」
「そうです、リリーです!」
「なぜここに……? これは夢? リリーはもう何十年も前、私が結婚した時に荷物にまぎれて見えなくなってしまったのに」
「確かにリリーです。あなたに――マリーさんにとても会いたがっていました。……と思います」
「本当に? 私もずっと会いたかったわ。リリー」
ローズは寝たまま、嬉しそうに震える手で受け取った。「リリー」と愛おしそうに頬ずりする。
「ずっと探したのだけど見つからなくて、泣く泣くあきらめたの。でも戻ってきてくれたのね」
「マリーという名はどこからきたんです?」と、ディルクが聞くと、
「マリーは私のあだ名です。といっても子供の頃、一人遊びの時にだけ使った名ですけどね。昔はローズという名前が好きになれなくて。だからリリーしかその名前を知らないんです」
そして側に控えていた侍女に言った。
「あの箱を持ってきてもらえないかしら」
侍女が手にしてきたのはレースのついた古い箱だった。中にはこれまた古い人形の服やアクセサリーなどが入っている。リリーのものだろう。公爵令嬢の持ち物らしくどれも豪華だ。
「無くしたリリーを忘れるために何度も処分しようとしたんですけど、結局できなかったんですよ」
リリーはそれらをじっと見つめていたが、一着の服に興味を示したようで、他の者たちには見つからないようにユノの髪をそっと引っ張った。
「……これ? もしかして着たいの?」
リリーがコクコクと首を縦に振る。ユノは戸惑った。でもこれは――。
それでもリリーが目で訴え続けるので、ユノはローズに言った。
「あの、この服をリリーが着たいと言っているんですが……」
「言っている?」
公爵や侍女が変な顔をする。しまった。思わず口にしてしまった。それでもローズは優しく微笑んだ。長く生きてきた者だからわかる、どこか悟ったような笑みにも見えた。
「もちろんよ」
侍女がそれを着せると、ローズがゆっくりとリリーの頭をなでた。
その服はローズが子供の頃に初めて手作りしたものだという。だから生地を切って脇の部分を縫い合わせただけの、正直不格好なものだ。他の豪華で綺麗な既製品のものとは比べ物にならない。
それでもその不格好な服を着て、ローズに頭をなでられているリリーは、今まで見た中で一番嬉しそうに見えた。
***
「そうか。それはよかった」
宮殿の応接室で、リリーのことを伝えると大司祭が微笑んだ。
ユノも「はい」と笑みを返した。リリーが嬉しそうでよかった。
昔シンディに取られた人形を思い出した。守ってあげられたらよかった。昔はできなかった。けれど今なら、実は魔力があったとわかった今なら守れる気がする。
(ごめんね……)
心の中でつぶやいた。
ルーベンが心配そうに聞く。
「リリーは公爵家で夜中に動いたりしませんか。大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だろ。ローズ――マリーは何かを悟ったような顔をしてたから」
ディルクが答えた。ユノもそう感じた。
大司祭がルーベンと顔を見合わせた。そして、
「大昔、君のように魔具を浄化できる者がいたそうだ。その者は『聖女』と呼ばれていたそうだよ」
「聖女……」
「誰もが恐れる魔具に優しいまなざしを向けたと聞く。きっと君みたいな人だったのだろうな」
そんなまさかと思ったけれど、大司祭の横でルーベンが大きく頷いたため、圧倒されてしまい否定の声が出ない。
大聖堂へ戻る大司祭を、ルーベンと一緒に送ることにした。
ディルクは「ちょっと調べることがあるから」と思い詰めたような表情で執務室へ行ってしまった。ユノには目もくれない。
(どうしたんだろう……?)
顔がこわばっていたように見えたけれど理由なんて聞けない。
王宮のすぐ隣にある大聖堂に着き、ミサの準備があるというルーベンと大司祭と別れて、ユノは一人で宮殿へ戻ることにした。
大聖堂の前の広場を歩く。
これから冬がくる。昼間の日差しは暖かいけれど風はひんやりとしている。空気が冷たいせいか空はどこまでも抜けるように青い。
(まるでディルクの目の色みたい)
あの鮮やかな青色。
空を仰ぎながら思った。王子なのだから下働きの侍女であるユノとはそもそも接点がない。今までこれほど一緒に行動したり話せたりできたのは魔具のリリーのことがあったからだ。
けれどそれももう終わった。昔の知り合いではあるけれどそれだけの関係で、なおかつユノは婚約を断った。
ディルクがユノに興味を持つことは二度とないし、接点もない。これからもずっと。
それを寂しいと感じてしまう自分を恥じた。
遠くからでいいから見ていたい、それだけでいいと思った。それはまぎれもない本心だ。けれど――。
これから先、いやほんのすぐのことかもしれないがディルクは誰かと結婚するだろう。第三王子だ。ユノとは比べものにならないくらいの、身分も見た目も教養も素晴らしい素敵な女性と。例えば宮殿の玄関ホールで見たあの美しい少女のような。
それを祝福しないといけない。
(できるかしら……?)
自分に問うも答えはわかっている。
できるはずがない。
そんなの嫌だ。考えるだけで胸が強く締め付けられるのに、いざその光景を目にしたらきっと心が壊れてしまう。
それでもわかっている。祝福しないといけないのだ――。
ギュッと唇を噛みしめた時、ふと視線を感じた。広場は観光地になっているため人が多い。遠く離れた銅像前にいる人物が、妹のシンディに似ている気がした。
まさかだ。こんなところにいるわけがない。それでも動悸がした。心臓が不穏な早鐘を打つ。
その人物と目が合った。瞬間、背筋に冷たいものが走り慌てて顔を背けた。
似ているだけの別人に違いない。実家のある町からここまで馬車で二晩かかるのだから。
(そんな訳ないわ……)
シンディの馬鹿にする笑みが脳裏に鮮やかに浮かび、たまらなく怖くなった。ユノは走ってその場を離れた。
無我夢中で走り宮殿の通用口へ着いた。全力で走ったため息が苦しい。それでも似ている人物から離れられたことに心底ホッとした。
『お姉様って本当に出来損ないよね。私だったら恥ずかしくてたまらない』――
シンディの笑みを含んだ声が鮮やかに脳裏によみがえり身震いした。
(念のために、当分宮殿から出ないでおこう)
けれどそれから五日後のこと。
「ユノ、ご家族が会いに来てるわよ」
掃除をしていたらキーラにそう言われた。
全身が凍りついたような気がした。
「……家族?」
「そう。お母さんと妹さんだと言ってたわよ。わざわざ会いに来てくれたのね。よかったわね」
まさかそんな。それでも家族が会いに来て純粋に喜んでいるキーラにはそれ以上言えず、二人を通したという使用人用の食堂へ向かった。
違う。別人だ。だってユノがここにいるなんて知らないのだから。
けれどキーラは確かに『お母さんと妹さん』と言った……。
バクバク言う心臓をエプロンの上からギュッと押さえて、恐る恐る食堂の扉を開けた。すると――。
「久しぶりね、ユノ」
「お姉様ったらこんなところにいたのね」
母とシンディだった。
食堂は木製の長テーブルと丸椅子があるだけの質素な場所だけれど、休憩室も兼ねているためユノにとっては落ち着く場所である。
けれど二人はその質素さがお気に召さないようだ。どうして自分たちがこんなみすぼらしい場所に案内されないといけないのか、そう思っているのがヒシヒシと伝わってきた。
キーラがユノの家族のためにと丹精込めて淹れてくれたお茶も、眉根を寄せて口をつけもしない。
(変わってない……)
心が沈む。けれどキーラはこのように見下されていい人ではない。親切で面倒見のいい人だ。一緒にいると安心できる。
湧き上がった気持ちに勇気づけられて、ユノは口を開いた。
「どうしてここにいるの……?」
「久しぶりに王都に出てきたら、そこの広場でシンディがお前を見かけてね。遠目だったけどあれは絶対にユノだと言うからほうぼう捜したのよ」
やはりあれはシンディだったのか……。
昔の辛い日々が鮮やかに思い出される。またユノを傷つけに来たのか。
けれど想像とは違った。
母がおもねるような笑みを浮かべたのだ。
「お茶を運んできた侍女から聞いたわ。お前、めずらしい魔法が使えるようになったんだってね」
(えっ……?)
「魔法が使えるのだからうちへ戻ってきてもいいわよ。どう、嬉しいでしょう?」
耳を疑った。まさか母からこんなことを言われるなんて思わなかった。
シンディが一瞬悔しそうな顔をしたものの、気を取り直すように笑って言った。
「それか私たちがここで暮らすわ。ううん、私はむしろそれがいいと思う。お姉様がいるんだから私たちだってここで暮らすべきだわ。私も魔法が使えるもの。ここで魔法使いをしてもいい」
なんてことを言い出すのかと血の気が引いた。
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あと3話ほどで完結予定ですので、最後までお付き合いくださるととても嬉しいです(^^)