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7 リリー

(これは何……?)


 どこかの邸宅だ。前庭に葉っぱの色が独特な大きな木がある。そして大きな暖炉のある広い居間で、十歳くらいの女の子が笑顔であの人形を抱いている。

 人形は新品同然で、もちろん頬に穴も開いておらず、髪も着ているドレスもぴかぴかだ。


 女の子に母親らしき女性が話しかける。


『おじい様からのプレゼント、よかったわねえ。大事にしてね』

『うん! リリーって名前をつけたのよ。ずっと一緒にいるんだから!』


 女の子が人形を相手にままごとをしている。小さな椅子に座っておもちゃのケーキを前に置かれた人形は、とても幸せそうだ――。



 そこでハッと我に返った。


(何、今の……?)


 夢? そんなまさか。昼間だし、眠ってなんていない。では、あれは一体――。


 混乱する視界に、人形がディルクに飛びかかろうとしている光景が映った。

 ユノを守って立つディルクの背中が緊張と怒りを放つ。


(どうしよう………そうだわ、あの人形の名前)


「リリー!」と咄嗟に呼びかけた。


 頭に浮かんだ光景が事実ならあの人形の名前はリリーだ。


「あなたの名前はリリーよね? マリーがそう名付けた」


 突然訳のわからないことを、しかも魔具相手に話しかけるユノに、ルーベンが「何を言っているんだ……?」と唖然としている。

 ルーベンだけではない。その場にいる人々は皆同じような表情でユノを見つめる。

 けれど――。


「おい、止まったぞ……」


 人形の動きが止まった。びっくりした顔で宙に浮いたまま止まっている。

 皆が呆気に取られる中、人形は体の力が抜けたようにゆっくりと下りてきた。そして、廊下にぽてんと腰を下ろした。


 ***


「なるほど。魔具の人形が――」


 一階の応接室で、やっと到着した大司祭がルーベンから事の顛末を聞き、申し訳なさそうな顔から驚いた顔に変わった。


「その人形からはすっかり邪気が抜けている。ユノといったか。そうか、君は絶えたと言われる『浄化』の力を使えるのか……」


(浄化……?)


 ユノはすっかりおとなしくなった人形を膝の上に抱いて、ソファーに浅く腰かけている。ディルクと大司祭、それにルーベン。三人から注目されてなんだか居心地が悪い。

 ルーベンがユノに真剣な顔で言った。


「昨日の掃除担当の侍女たちに確かめたら、やはり私はきちんと鍵をかけていた。だから今日の最初の鍵は君が開けたことになる。君は封印の鍵を解いたんだ」

「そんなまさか……」

「私にも信じられない。だが事実は事実だ。それにその人形。君が人形に触れたら動き出したと聞く。今までこんなことは一度もなかったし、それに魔具を部屋に押し込めて封印しているのは、私にも大司祭様にもそうすることしか出来ないからなんだ。大司祭様の言われる通り、君には浄化の力がある。他の者には使えない浄化魔法が」


(私に魔法が使えるの……?)


 まさかだ。とても信じられない。今までの辛い記憶が頭の内で声高に否定している。

 でも、でも、もしかしたら――。一度も持ち得たことのない希望が、胸の内でふくらんだ。

 ずっと「魔法が使えない人間に価値はない」と言われ続けてきた。けれど違うかもしれないのだ。魔法が使えるかもしれない。


「よかったね」


 ディルクだ。言い方はそっけないけれど、まさかそんなことを言ってもらえるなんて思わなかった。

 驚くユノに渋々とも言える口調で、


「昔からずっと悩んでいただろう。これでご家族も喜ぶんじゃない?」


 ユノは思わず顔を引きつらせた。母とシンディのことを思い出すと今でも胸の奥が冷たくなる。

 そんなユノの様子にディルクがいぶかしげな顔をした。


「どうかした?」

「なんでもありません……」


 絶対に勘当されたことを知られたくない。


「――そう」ディルクが眉根を寄せた。



「それで君が『見えた』という映像だが――」


 ルーベンの質問にユノは頷いた。確かにこの人形は『リリー』と呼ばれていて、持ち主はマリーという名前の女の子だった。


「マリーの家は大きな邸宅で……庭に大きな木が見えました。葉っぱの先が赤色でとても綺麗でした」


「先が赤?」と反応したのはディルクだ。

「オールリの木だね。ここらでは滅多に生えていないからめずらしいんだよ。確かカフド公爵家の庭で見た気がする」

「本当ですか?」


 あれは本当に実際の光景だったのか……。


「カフド公爵の甥が騎士団員だからよく覚えてるよ。小さな女の子もいた気がする。公爵の孫娘で十歳くらいかな」

「その子です!」


 思わず声を上げていた。


(すごい。本当にマリーがいるんだわ)


 めずらしく興奮しているユノに、ディルクが低い声で言った。


「その女の子はマリーじゃないよ。その人形はだいぶ古いから、持ち主だったマリーはもういい年齢になってるはずだ。それか――もうこの世にはいない」


 そうだ。その通りだ。喜びが一転して落ち込んだ。考え無しで声を上げてしまった。恥ずかしいし情けない。


「私は覚えがないのですが、カフド公爵家にマリーという名の女性はいましたかな?」

「俺も聞いたことがない」


 大司祭と話すディルクから視線をそらし、膝の上の人形を見た。魔具部屋での様子から一転して静かに座っている。静か過ぎるくらいだ。

 それでも『マリー』と呼んだ切なげな響きを覚えている。


 それにこの人形を見ていると、幼い頃に持っていた人形を思い出す。シンディに取られてしまった、ユノが守れなかった人形を――。


 ユノはこくりと唾を飲み込み、恐る恐る切り出した。


「あの、カフド公爵家でこの人形のことを聞いてみたいんですが……」


 自分から何かをやりたいと口にしたのは初めての気がした。

 けれどそうしたいのだ。この人形――リリーはきっと持ち主のマリーに会いたがっている。だから会わせてあげたい。リリーのためにも、そしてユノが昔持っていた人形のためにも。


「――いいよ。俺が一緒に行く」


 口では了承してくれたものの、ディルクの態度は相変わらず冷たい。それでもあの時守ってくれた。それで十分だと思っているのに胸が痛い。

 その痛みから目をそらすように、


「ありがとうございます。――よかったね」


 膝の上の人形に言うと、それまで反応のなかった人形がようやく顔を上げた。じっとユノを見つめてくる。


(喜んでくれているのかな?)


 ようやく胸の内がほころんだ。


 その様子を見ていた大司祭が微笑む。


「その人形はあなたの許で安心しているようだ。魔力は備えているが悪いものは抜けたから、もう大丈夫。持ち主に返してあげておくれ。いざとなったらルーベンは私より魔力量が高いので頼りになるから」

「さっきは全く頼りにならなかったけどね」


 ディルクがからかうように笑い、ルーベンが顔をしかめた。


(ルーベン様には笑うんだなあ……)

 

 こんなこと思える立場ではないのに、また落ち込んでしまった。



 大聖堂に戻る大司祭をルーベンが見送るために応接室を出て行き、ユノはディルクと二人きりになった。

 途端に沈黙が訪れた。四年前までは二人でいられるごく短い時間が嬉しくてたまらなかったのに。


 どうしていいかわからず内心落ち着かないユノに、ディルクが硬い声で聞く。


「魔具部屋の前で人形が向かってきた時、俺を助けようとしてくれたよね。……なんで?」


 あの時、自分の気持ちを再確認した。だからだ。けれど、そんなこととても言えない。


「それは、最初にディルク様が私を守ってくれたので……」


 視線をそらして口ごもるしかない。

 そんなユノをディルクはじっと見つめていたが、やがて観念したように肩の力を抜いた。


「……ユノは昔とちっとも変わらないね」


 また言われてしまった。ショックを受けたけれどその通りなのだ。


 けれど続く言葉は思いもかけないことだった。


「変わらないよ。自分のことより人のことに一生懸命で。昔からそうだった」

「えっ……?」


 予想外の言葉に戸惑い、ユノはディルクの次の言葉を待った。けれどディルクはそれ以上何も言わない。


「あの――」


 そこでディルクの左袖、折り返した部分が黒くなっていることに気がついた。四年も王宮で掃除をしているせいか汚れが目につくのだ。あの黒いのは――すす汚れだ。


(今は暖炉を使う時期でもないのにどうして?)


 魔具部屋の前でユノをかばってくれた時についたのだ、とハッとした。自分の左肩部分を見ると、確かにすすで黒くなっていた。


(大変だわ……)


 焦るあまり後先考えず立ち上がり、ディルクの左袖を手に取った。

 突然腕を取られたディルクが目を見張る。

 ユノは汚れを両手ではたいた。それでも取れない。どうしよう。守ってもらったのに汚れをつけてしまうなんて。


「申し訳ありません。すぐに綺麗にしますので――」


 そこでディルクと目が合った。すぐ前に青い目があって、驚くより先に吸い込まれるように魅入られた。


 自分を見つめたまま動かないユノに、ディルクが息を呑む。そして自分の思いに耐え切れなくなったように腕を伸ばした。


「ユノ、俺は――」

「大司祭様を送ってまいりました」


 と、ルーベンが現れた。


「明日、公爵家へ行くのでしょう? ――どうかされましたか?」


 宙で不自然に手が止まっているディルクに、いぶかしげな顔をする。

 ディルクがハーッと大きなため息を吐いた。


「――別にどうもしないよ」

「本当ですか? おや、ディルク様、顔が赤くありませんか?」

「赤くない」

「いや、赤いですって。暑いんですか? 今日は涼しいくらいなのに」


 ディルクに無言でにらまれたルーベンが、納得できないという顔をした。


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