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5 人形

「ここの魔具は元々、大聖堂と、司教を務める第二王子殿下の宮殿内に置かれていたそうよ。だけど第二王子殿下は司教様なのに極度の怖がりなの。怖くて手元に置きたくないから誰か代わりに預かってくれと訴えたら、それを了承したのがディルク様だったってわけ」

「さすが、ディルク様はお優しいですね」


 消えない胸の痛みとともに、むせかえるほどの懐かしさが込み上げた。

 ディルクはいつも優しかった。穏やかで温かくて、いつも陽だまりのようにユノを包み込んでくれた。


 魔法が使えないと自分を責めている時に、


『魔法なんて使えなくてもいいじゃない。俺はユノが好きだよ』


 と、笑って言ってくれたことにどれほど救われたか。


(あの時のままなんだわ……)


 温かい気持ちが胸にあふれた。けれど同時に、その笑顔は自分にはもう二度と向けてもらえない、それが当然だとわかっていても胸が苦しくなった。


 キーラが呆れた顔をした。


「そんな訳ないわ。ディルク様は司教様に、魔具の預かり料として法外な値段を吹っ掛けたのよ。邸宅が一軒建つくらいの金額をね」

「……えっ?」

「しかも半年ごとの更新で、そのたびにその莫大なお金を取り立ててるらしいわ。まあ私たち使用人にも還元してくれるからいいけど。ここだけの話、あれは完全にぼったくりよ」

「……えっ?」

「ディルク様ってそんな方よね。ユノは昔からの知り合いなんだから、よく知ってるでしょう」


 そんなこと知らない。ぶんぶんと首を左右に振った。おかしい。ユノが知るディルクと違う。

 けれど四年も経つのだから、変わっていても不思議ではないのかもしれない。

 寂しく思って木箱の中から古びた人形を手にすると、


(……あれ?)


 人形の緑色の両目が光った気がした。

 しかしびっくりして改めて見てみても、何の変哲もない普通の人形の目である。


(気のせいかな?)


 不思議に思いながら、布で人形の頬や腕の汚れを丁寧に拭いた。

 金色の巻き毛をした女の子の人形。古いがかなり高価なものだ。けれど着ているドレスは袖や裾が破れていて、ところどころほつれている。巻き毛も絡まってよじれていて、おまけに右頬に大きな穴が開いていた。


(なんだか可哀想……)


 右頬をゆっくりとさすり、手で髪をなでつけた。

 ふと子供の頃に持っていた人形を思い出した。亡き父が買ってくれた人形で、とても大事にしていた。


 けれどある日、その人形がなくなった。

 泣きながら家の中、庭、物置小屋まで探した。


 そして見つけた。人形は庭の隅にあるゴミ箱に突っ込まれていた。

 妹のシンディの仕業だとわかった。いつもなら何倍にもやり返されるのが怖くて何も言えない。けれどこれは大事な形見だ。さすがにシンディもわかってくれるだろうと一抹の希望を抱き、生ゴミがついた人形を手に力を振り絞って訴えた。


 けれどシンディはわかるどころか眉を吊り上げた。ユノが自分に意見することが許せなかったのだ。すぐにユノが一番嫌がること――泣き真似をして母の許へ向かった。


『お母様、お姉様が私をいじめるの!』

『だってそれはお父様が買ってくれたもので――』

『ユノ! お姉さんなんだから、それくらい貸してあげたらいいでしょう。シンディはあんたと違って、毎日魔法の勉強を頑張っているのよ。本当に嫌な子ね』


 勉強ならユノだってシンディ以上に頑張っている。けれど結果を出せない者はこの家で価値はない。

 それが十二分にわかっていたから、母が人形を取り上げてシンディに与えるのを泣きながら見ているしかなかった。


 食事を与えられなかったり殴られたりといった身体的虐待はなかった。ただ言葉や行動から、いかにユノが駄目で不出来な子か繰り返し伝えられただけだ。

 母は名門を背負うプレッシャーのストレスから、シンディはそれが当たり前で単純に楽しいから。

 それでもなんとか二人に愛されたくて、ユノは必死に母のお手伝いをして、シンディの言うことを聞いた。我慢して、気を遣って、優しくして――。

 それでも駄目だった。


 どうしてわかってもらえないんだろう。どうして自分には魔法が使えないんだろう。どうして自分は人形をシンディに渡されるのを見ているしかないんだろう。どうして自分には何も出来ないんだろう。

 答えの出ない問いが、小さな体の中で渦を巻いた――。



(――やめよう)


 頭を振って、嫌な思い出を慌てて頭から追い出した。思い出すたびただ悲しくなるだけだ。実家を追い出されて四年が経つ。少しは記憶が薄まるかと思ったのに、ちっとも薄まってくれない。四年前と同じ鋭利さでユノの心を傷つける。

 それは自分が弱いからだろうか。


 その時だ。人形の両目が輝いた。今度は確かに光った。

 驚くユノの前で、人形の体がひとりでにふわっと浮き上がった。そして宙に浮いたまま、まるで意思を持ったようにこちらを見下ろす。


「何、どうなってるの……?」

「嫌――っ! 人形が、人形が宙に浮いてる!?」


 床をほうきで掃いていたキーラが振り返り、青ざめた。

 ユノは唖然と見上げるしかない。だってとても現実とは思えない。

 そんな二人の前で、人形が左頬を歪めてニヤリと笑った。


「ぎいや――っ!!」


 キーラがパニック状態で、開いた扉に向かって駆け出した。一拍遅れてユノももつれる足で走ろうとした瞬間、


『マリー……』


 と、小さな声が聞こえた。幼い女の子が呼びかけるような切ない声。

 思わず足を止めて振り返ると、浮く人形と目が合った。


(この人形がしゃべったの……?)


「ユノ、何してるの! 早く!!」


 戸口でキーラが叫ぶ。ユノは人形とキーラを見回し、戸惑いながら聞いた。


「あの、キーラさん。今、あの人形しゃべりませんでした……?」

「はっ? 宙に浮いて笑っただけでは飽き足らず、言葉も話すの!? 勘弁してよ! ――ユノ、危ないっ!!」


 思わず振り返った途端、こちらに勢いよく飛んでくるものが視界に広がった。金色の絡まった巻き毛。あの人形だ。

 そうわかった瞬間、鼻のあたりにすさまじい衝撃を感じた。目の前にチカチカと火花が飛ぶ。ユノは気を失った。



 目を覚ますと、宮殿内にある施療室のベッドの上だった。心配そうに覗き込むキーラの顔。そしてその後ろで、小声で話をしているのはルーベンと――。


「ディルク……様?」


 どうしてここに? 慌てて起き上がると、鼻の付け根がズキリと痛んだ。キーラが慌てたように言う。


「怪我してるんだから無理しちゃ駄目よ」


 痛みに耐えながらその部分をそっと触るとガーゼが貼られていた。

 ディルクが近寄ってきて、枕元に立って微笑んだ。


「平気? あの魔具の人形がユノに頭突きしたそうだけど、覚えてる?」

「……はい。なんとなくですが」


 本当になんとなくだ。


「そう。とりあえずルーベンが人形ごと魔具部屋に鍵をかけて封印したから大丈夫だよ。今、大聖堂に大司祭を呼びに行かせてるから詳しい話はそれから」


 よかった。ホッとしたら、ディルクの前で、顔の中心にガーゼをかぶせている不格好な自分が気になった。人形のことなどもっと考えることがあるだろうに、そんなことが気になる自分が嫌になる。元々すす汚れもついているし、そんなことディルクは気にもしていないとわかるけれど、それでも恥ずかしくて手で鼻のガーゼを隠してうつむいた。

 そんなユノにディルクが笑顔で言う。


「ひょっとしてその怪我を気にしてるの? 大丈夫だよ。別にいつもと変わらないから」


 その通りだとわかっていてもショックを受けた。

 うつむくユノの前で、ディルクが颯爽と立ち上がった。


「じゃあ俺はこれで」


 ユノは慌てて頭を下げて、ふと思った。キーラとルーベンがここにいるのはわかるけれど、


「あの、ディルク……様はどうしてここに?」


 恐る恐る聞くと、ディルクがぴたりと歩を止めた。

 変な間があった。空気がぴんと張り詰めるような変な間だ。


 けれどディルクはすぐに振り返り、笑顔で答えた。


「そこの金髪の侍女が血相を変えて、ルーベンを呼びにきたんだよ。魔具部屋で大変なことが起こったとね。魔具は二番目の兄上から預かっている大事な物だから、こうして様子を見にきたんだ。それだけだよ」

「申し訳ありません……」


 恐縮するしかない。自分にできるのはきちんと仕事をすることだけなのに、それすらできなかった。それどころか迷惑をかけてしまった。

 せめてこれ以上負担にも(いと)われたくもないのに。


「申し訳ありませんでした」


 深く頭を下げる。声が震えないようにしようと頑張ったら、代わりに体が震えてしまった。

 細い肩を震わせて謝るユノに、


「――別に謝る必要はないよ」


 と、ディルクが顔を背けて硬い声で言った。


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