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3 再会

「ユノ?」


 ディルクが呆然と聞き返した。


「そうですが……どうかなさいましたか?」


 いつもの余裕ある態度とは別人のような主人に、司祭と侍女頭が戸惑っている。

 ユノは人々の一番後ろで祈るように両手を握りしめた。

 ディルクが軽く頭を振って苦笑した。


「なんでもない。知り合いの名前と一緒だったからちょっと驚いただけ。まあ、よくある名前だしね。だけど、こんなところにいるわけないから別人だね」


 ユノはうつむいたまま唇を噛み締めた。最低だとわかっていても、ディルクが自分のことをほんの少しでも思い出してくれたことがひどく嬉しい。

 けれどそれは一瞬のことですぐに現実に引き戻った。


 別人だと思ったまま過ぎていってほしい。再び切に願った。合わせる顔なんてないのだ。

 けれどユノの願いとは裏腹に、ディルクが気軽な感じで侍女頭に聞く。


「で、その娘の名字は?」

「確かマイデンだったかと。ユノ・マイデンです」


 実家を勘当されたから本来の名字である『べリスター』は使えない。だから名前を聞かれた時、とっさに近くにあった小麦袋に書かれた産地を答えたのだ。それがまさかこんなところで功を奏するなんて思わなかった。


「そう。やっぱり別人だね」


 ディルクが肩をすくめて歩き始めた。


(よかった……)


 自己嫌悪に陥りながらもホッとした時、不意に二列前から上ずった声がした。


「ディルク様、ユノならそこにいますわ!」


 ギョッとした。


 先ほどの上級侍女だ。上級侍女といえど当主にはおいそれと話しかけられない。だからチャンスだと思ったのだろう。そして下級侍女のユノが王子の知り合いのわけがないから、ユノがディルクに落胆されればいいと意地悪いことを考えたのだ。


 けれどこの侍女にとってもユノにとっても残念なことに、ディルクが頭に思い描いていたのはまさにユノのことだった――。


 ホールに集まる全員の視線が集まり、ユノは青ざめた。ディルクに見つかることも怖いけれど大勢の人に注目されるのも恐怖でしかない。おろおろとしながら急いでこの場から離れようとした。けれど背後は壁で、前も左右も人だらけで身動きがとれない。

 真っ白になる頭で、両手で必死に顔を隠したけれど無駄だった。


 ユノを認めたディルクが大きく目を見張った。愕然とした顔で、大股で人々の間をすり抜けてくる。使用人たちが慌てて道を開けた。

 一直線に向かってきたディルクがユノの前に立った。


(どうしよう……)


 心臓が口から飛び出しそうだ。恐怖で顔が上げられない。ディルクが目の前にいることが信じられなくて、再会できて嬉しいと思う反面怖くてたまらない。


「ユノ……?」


 それでも頭の上に振ってきた声に胸が震えた。懐かしい声。傷ついて震えていたユノに、いつも優しい言葉をかけてくれた。

 思い出に勇気づけられてユノは恐る恐る顔を上げた。目の前にディルクの姿があった。背が伸びて、頬の線が大人っぽくなった。

 ディルクだ。

 瞬間、四年前に戻った気がした。自分のしたことを何もかも忘れて、まっさらだったあの時に――。


 ユノの視線を受けてディルクが微笑んだ。


「久しぶりだね。元気だった? どうしてここにいるの?」

「あっ……家を出たから……」


 魔法が使えず勘当されて追い出されたなんて、恥ずかしくて言えない。


「そう。ご家族は元気?」


 言葉に詰まった。ディルクはユノの家をたまに訪れていただけだ。しかもその時は母も妹もユノに対して辛く当たらなかったから、ディルクと亡き父の友人夫妻は実情を知らないのだろう。

 けれど辛く当たられていたなんてとても言えない。言いたくない。自分を好きでいてくれた唯一の人だ。言えば、たとえ過去のことでもディルクの中で嫌な記憶に代わってしまうかもしれない。そうしたら自分は唯一の支えすら失ってしまう気がした。


「内緒にしていたけど俺は王族なんだ。驚いただろう」

「うん……」


 ユノは頷き、ハッとして「はい」と言い直した。何をやっているんだ。相手はディルクだけど第三王子なのだ。


「そんなにかしこまらなくていいよ」


 ディルクが笑った。四年前と同じ優しい笑顔。ユノの胸に温かいものがあふれた。自分のしたことを忘れたわけではない。けれど少しだけ気が楽になった。やはりディルクは四年前と同じく優しい。そう思った瞬間、ずっと心にあったことが口に出た。


「あの、ごめんなさい……」

「何を?」

「四年前のことを……ずっと謝ろうと思っていて、本当にごめんなさい……」


 会う資格はないと自分を戒めていたけれど、もし会えたらと心の片隅で考えたことはあった。その時はせめて自分が婚約を断ったことをきちんと謝りたいと思っていたのだ。

 必死な顔のユノを、ディルクが笑い飛ばした。


「まだそんなこと気にしてたの? もういいよ。昔のことなんだから」


(本当に……?)


 本当だろうか。それでも救われた気がしてユノも微笑みかけたその時、


「ディルク様、この侍女とお知り合いですか……?」


 司祭の呆気に取られた声がした。ディルクの部下も他の使用人たちも、そして嫌味な上級侍女も呆然とユノたちを見つめている。


「四年前まで、俺は元騎士団長のサスカルの許に預けられていただろう。その時の知り合いだよ。サスカルの亡き友人の長女だ」

「ああ、なるほど」


 司祭たちが納得した顔で頷く中、思惑が完全に外れた上級侍女が悔しそうに唇を噛んだ。


 ディルクがユノに向き直る。そして頭から爪先までザッと見回して笑みを浮かべた。


「ユノは昔とちっとも変わらないね」


 ユノははじかれたように顔を上げた。ディルクの笑みがまともに視界に入った。四年前と同じ優しい笑み――。


(――違う)


 四年前とは違う。表面は笑っているけれど、ディルクの目には冴え冴えとした冷たい色がある。

 そのことに気づいてザッと冷水を浴びせられた気がした。


 昔ディルクと会っていた頃は綺麗な服を着ていた。その日だけは名門の家の娘らしく、妹とおそろいの新品のワンピースに、母が髪を巻いてリボンもつけてくれた。

 その頃のユノと、髪も手入れしておらず朝の掃除ですす汚れがついてさえいる今のユノが、ディルクの目には一緒に見えるのだ――。


 ディルクはユノにはもう興味がない。そのことが身に染みてわかり、ガツンと頭を殴られた気がした。

 

 そこへ「ディルク」と、爽やかな風のようなドレス姿の少女が玄関から入ってきた。親しげにディルクの腕を取る。ユノは息を呑んだ。


「ディルク、ずっと留守で寂しかったのよ。もうどこにも行かないでね」


 少女が甘えるような声で言い、ディルクの肩に頭を乗せる。


 目を見張るほど美しい少女だ。ユノと同じ年くらいだけれど、国で一番多い薄茶色の髪に同じ色の目、十人並の容姿と中肉中背の『平凡』を絵に描いたようなユノとでは住む世界が違うように思えた。


 ディルクが呆れた声で少女を見下ろして言った。


「さっき国王陛下の宮殿で会ったばかりだろ?」

「だってずっと会えなかったのよ。もう離れたくないもの」


 二人の親密な雰囲気に、ユノは思わず一歩退いて身を縮めた。

 胸元に階級を示す星のバッジがいくつもついた隊服のディルクと、豪華なドレスを着こなす少女は、とてもお似合いだ。

 その前で、自分の恰好が急に恥ずかしく思えた。普段は下働きでも十分だと思っている。仕事がもらえるだけありがたいと。


 けれど今は手入れをしていない髪と、朝の掃除中に右腕とエプロンについたすす汚れがひどく気になった。隠すように横を向いた。


「じゃあ侍女の仕事を頑張ってね」


 ディルクが鷹揚に笑う。少女に腕を取られたまま背中を向けた。


 ユノは急いで頭を下げた。下げながらショックを受けている自分に気がついた。

 自分の立場もしたことも十分わかっているつもりだったのに、ちっともわかっていなかった。せめて謝りたいなんて、なんておこがましくて自分勝手なことを考えていたんだろう。


『ユノには二度と会いたくない――』四年前に聞いた通り、ディルクの中ではすでに終わっていたのだと痛感した。


 わかっていたのだ。ちゃんとわかっていた。だけど心のどこかで甘えていた。ディルクは優しいから、もしかして許してくれるんじゃないか――と。


(最低だわ……)


 自分は最低の人間だ。そんな甘えたことを考えていた自分が心底憎い。母と妹の声が脳裏によみがえった。


『本当に駄目な子ね。誰に似たのかしら? 全く産むんじゃなかったわ』

『お姉さまって本当に出来損ないよね。私だったら恥ずかしくてたまらない』――。


(本当にそうだ……)


 その通りだ。

 ユノは頭を下げたまま必死に涙をこらえた。


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