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2 四年後

「今日から、私たちが『魔具部屋』の掃除担当になったから」


 先輩侍女のキーラに言われて、コットンドレスに白いエプロンを着けたユノは頷いた。


 ここは王都の中心地にある王宮。広大な敷地には国王と王太子の宮殿、正妃の別邸、深い森の中に川が流れる庭園などがある。


 その敷地の奥、小高い丘の上に奥の別邸と呼ばれる第三王子が住む宮殿がある。

 元々は国王の側妃で第三王子の実母のために建てられたものだが、彼女は十年も前に亡くなった。


 この『奥の宮殿』こそがユノの勤め先である。


 四年前に王都に出てきて、なんとかここの下働きの侍女として雇ってもらえたのだ。それ以来、ひたすら真面目に勤めている。


 ディルクのことを忘れた日はない。けれど思い出すたびに自己嫌悪に陥って自分が嫌になる。

 罪悪感を伴う胸の痛みは、今でもちっとも薄れてくれない。けれど当然だとも思う。あんなにも優しいディルクを傷つけたのだから。


「第三王子殿下がもう少しで到着されるらしいわ。お迎えが終わったら、魔具部屋の掃除を始めましょう」


 キーラの言葉に頷いた。

 ここの当主――第三王子で王立騎士団の幹部を務める――が、長年の遠征を終えてもうすぐ戻ってくるのだ。ユノが勤め始めたと同時のことだったので、顔も知らないけれど、


(第三王子殿下もディルクという名前なのよね)


 ここに雇われるまで知らなかった。

 正妃の子供である王太子と第二王子とは違い、第三王子は亡き側妃の子供である。

 しかも新しい側妃が第三王子をこっそりと亡き者にしようと企てていたらしく、水面下ではあるがその件で十年以上もごたついていた。

 そのため第三王子の姿は世間一般には知られていない。


 その彼の名が『ディルク』というのだ。


 めずらしい名前ではない。けれど耳にした時は思わず心が動いた。

 一緒に食卓を囲み、ユノが焼いた鶏の香草焼きを口いっぱいに頬張っていたあのディルクと、ここの当主とは全くの別人だとわかっている。だって王族なのだから。

 それでも胸が苦しくなったのは事実だ。一度も忘れたことのない人――。


「ユノ、ここに並ぼう」

「はい」


 キーラの後について、壁際の列の一番後ろについた。


 大きなシャンデリアの垂れ下がる広い玄関ホールに、ぎっしりと使用人たちが並んでいる。

 当主は午前中に国王の宮殿と騎士団本部を回り、それからここに戻ってくるのだ。


「ユノはディルク様のお姿を見たことがないんでしょう? まあ私も数回遠目に見ただけだけど、下働きの侍女なんてお会いすることがないものね。ここにいたら見られるわよ」

「わかりました」


 ここの当主だなんて雲の上の存在過ぎて、皆のように見てみたいという気持ちは正直ない。けれどユノを思いやってくれるキーラの気持ちは嬉しいし、ディルクと同じ名前の方なので一度見てみようと思ったのだ。


 そこへ二列前にいた侍女が振り返った。ユノたちに向かって嫌みに笑う。


「あら、キーラにユノじゃない。下働きの侍女はこんなところにいなくていいのよ。さっさと掃除に戻ったらどう?」


 キーラが悔しそうな顔をしたけれど、何も言い返せない。


 侍女にも階級があって、裕福な商人の家や下級貴族の娘が行儀見習いとして侍女になると上級侍女と呼ばれる。お客の接待だったり、料理の配膳をしたりと表の仕事を担う。

 対してユノたち下働きは下級侍女と呼ばれ、掃除や料理の手伝い、皿洗いなど裏方の仕事をする。


 双方の間には目には見えないけれどれっきとした身分の壁がある。上級侍女の中には彼女のように、事あるごとにそれをわからせようとする者もいるのだ。


「何してるのよ。私たち上級侍女ならともかく、下級侍女なんてディルク様をお迎えするのに全く必要ないわよ。むしろ邪魔でしょう。こんなにも人がいるんだから、少しは考えたら?」


 キーラが唇を噛む。その隣でユノはうつむいた。故意に人を傷つけようとする人間は苦手だ。妹を思い出す。

 動悸がして胸の前で両手を強く握りしめた。けれど本当のことだから何も言い返せない。この上級侍女の言うことも、妹の言うことも――。


「ユノ、行こうか……?」


 キーラが力なく言い、上級侍女が当然だと言いたげな笑みを浮かべた。

 その時、


「ディルク様が到着されたぞ!」


 玄関ホールが一瞬ざわめき、そして一気に静まり返った。皆が静かに頭を下げている。離れそびれてしまったので、ユノも同じように頭を下げた。

 開かれた玄関扉から当主が姿を現した気配がした。


「お帰りなさいませ!」


 執事たちや料理人たち、そして上級侍女たちが大きな声で出迎える。

 ふと隣を見ると、キーラが半分ほど顔を上げてなんとかディルクの姿を見ようと人の頭の間から目を凝らしている。

 ほらユノも! と言いたげに目くばせされたので、恐る恐る顔を上げた。


 二列前で先ほどの上級侍女が目を輝かせて、「お帰りなさいませ!」と何度も叫んでいる。なんとか声を聞き取ってもらって、ほんの一瞬でも自分をみてもらいたいという態度が透けて見えた。


 ふと第三王子もディルクと同じで、今年で二十一歳になったと聞いたのを思い出した。


 ユノもキーラにならって背伸びをしてみた。人が多過ぎる。けれどその隙間から少しだけ見ることができた。

 部下の騎士たちを後ろに従えて、落ち着いた態度でゆっくりと歩いてくる。

 引き締まった長身に騎士団の黒の隊服をまとい、黒髪にあざやかな青い目。


(――えっ?)


 見間違いかと思った。常に心にあるから、その人の姿に見えただけだと。


 けれど違う。


(ディルクだわ……)


 使用人たちの前を歩いているのは、四年前に別れたあのディルクだ。背が伸びて顔つきも大人っぽくなったけれど、あのディルクなのだ。


(嘘……)


 驚愕で心臓が口から飛び出しそうだ。

 母はディルクが上流貴族かもしれないと言っていたけれど、さすがに王族だなんて考えもしなかった。


(本当に……?)


 それでも、ここに来てから耳にした噂を思い出して納得がいった。

 そうか。子供だったディルクは国王の新しい側妃に命を狙われていたのだ。それを回避するために、ユノの亡き父の友人で、元王立騎士団長の許に秘密裏に預けられた。

 友人夫妻はどれほど母に問い詰められても、ディルクの素性も預かった理由も話さなかったと言っていたではないか――。

 

 呆然とするしかないユノの視線の先を、ディルクが通り過ぎて行く。ふとディルクがこちらを振り向き、ユノは慌てて下を向いた。合わす顔なんてない。相手は王族で、何よりも自分が傷つけた相手なのだから。


「ねえ、見た!? ディルク様がこちらを見てくださったわよ!」


 上級侍女のはしゃいだ声が聞こえて、ユノは祈るようにギュッと目を閉じた。お願い、早く行って。そうすれば下級侍女が当主と顔を合わせることなんてないのだから。

 卑怯な自分に嫌気が差したけれど、ディルクこそユノに会いたいなんて思っていないだろう。本心だけれどそれこそ卑怯なことなのかどうか、動揺し過ぎていてわからない。


「ああ、行ってしまわれるわ……」


 上級侍女の残念そうなつぶやきが聞こえて、ユノは心の底から安堵の息を吐いた。


 そこでディルクの一番後ろをついていたローブ姿の司祭が、小走りに前に駆けていった。


「ディルク様、今日の午後、ここに新しい魔具が持ち込まれます。前にもお話しましたが念のためと思いまして」

「えっ? そんなこと聞いたっけ?」

「ちょっと冗談でしょう。確かにお話しましたよ! しかも何度も!」

「わかってるって。言ってみただけだよ」


 面白そうに笑うディルクに、司祭がため息を吐いた。

 ディルクが笑いながら、ちょうど使用人たちの前列にいた侍女頭に言う。


「そのことを今日の魔具部屋の掃除担当たちに伝えておいてよ」

「承知いたしました。今日の担当の侍女はキーラと……それに『ユノ』ですね」


 瞬間、ディルクの顔からスッと笑みが消えた。


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