11 ディルク1
室内にはユノとディルクの二人だけが残った。色々と信じられない思いで呆然とディルクを見つめると、
「ごめん」
と、謝られた。
「どうして謝るんですか……?」
助けてくれたのに。
それに幼い頃の実家でのユノのことも気づいてくれていたのに。
「カフド公爵家へ行く前、家族の話をした時のユノの様子がおかしかったから調べさせたんだ。そうしたら事実がわかった――」
ディルクの声は硬い。
ああ、そうか。実家の近所の人たちに聞いたのだろうか。母とシンディは外面はよかったけれど、それでも毎日のように顔を合わせていれば何かあると気づいただろうから。
邪険に扱われていたことが恥ずかしかったから、ディルクには知られたくないと思っていた。
けれどユノを全力でかばってくれた。
もっと早く話しておけばよかったのかもしれない。後悔が胸の内を流れた。ディルクは守ってくれたのに。昔からそうだったじゃないか。
ディルクが顔を歪めてユノを見た。
「ごめん。俺は何も気づかなかった。一緒に過ごしていたのに、ユノ一人で悩ませた。ごめん。本当にごめん……」
謝ることなんてないと言いたいのに言葉が出ない。代わりに涙があふれ出た。駄目だと思うのに涙は止まらない。
「ユノ……」
と、ディルクの声がした。顔を上げる。
涙に濡れるユノをディルクが切なそうな顔で見て、そしておずおずと抱きしめられた。回された腕は力強いけれど、少しのためらいも感じた。
(なんだろう……?)
ディルクが何をためらっているのかわからない。
けれど四年前と同じ優しいディルク。ユノを守ってくれる。それだけで本当に嬉しいのだ。
ディルクの胸にしがみついて泣いた。
ここは安心できる場所だ。四年前から、もっと前からずっと――。
***
自分の胸にしがみついて泣くユノを、ディルクは震える手で抱きしめた。ひどく弱々しくて、ひどく柔らかい。
こんな小さくてか弱いものをどうして傷つけられるのかと思ったら、再びユノの母とシンディに怒りが湧いた。
そして自分自身にも。
なんて馬鹿だったんだろう。たまにとはいえどユノの家を訪れていたのに、ずっとユノのことを想って見ていたのに、ユノが傷つけられていることに気づかないなんて。
ディルクは震える手でユノを強く抱きしめた。
ディルクは国王の側妃の長男として生を受けた。
優しかった母は、ディルクが幼い頃に病気で亡くなってしまった。
ほどなくして新しい側妃が王宮にやってきた。若くて美しい彼女は野心家で、あろうことかディルクの命を狙った。
正妃の実子である王太子と第二王子には手は出せないが、側妃の子供であるディルクは別ということらしい。ディルクの第三王子の地位を、いずれお腹にできる自分の子供に与えたいと切望したためだった。
ふざけるなと激しい怒りが湧いたが、子供だったディルクにはどうすることもできなかった。
無力感を噛みしめたまま、ディルクは王都から離れた小さな町に住む、元王立騎士団長のサスカル夫妻の許に預けられた。
身元を隠すには普通にしていることが一番だというサスカルの信念のもと、ディルクは色々な場所に連れて行ってもらった。日々の買い物から川遊び、剣の鍛錬場にまで。
そしてある日、夫婦に連れられてサスカルの亡き友人のべリスター家を訪れた。
魔法使いの名門であるというその家は大きかったけれど中は質素だった。生活するために色々な物を売り払ったのだろうな、とディルクは冷めた目で見た。
べリスター家は妙に愛想のいい母親と二人の姉妹だった。たまにしか訪れないけれど、いつ行っても姉妹は同じ新品の洋服を着て同じ髪型をしていてどこか奇妙に感じた。
妹のシンディは活発で甘え上手で、よくしゃべる子。
対して姉のユノは少しおどおどしている子だった。不思議だったけれど魔法が使えないと聞いて、だからかと納得した。ユノ自身もそう言っていたし、魔法使いの名門の家に生まれて使えないのは落ち込むだろう。最初はただそう思っただけだった。
けれどユノはいつも優しかった。
料理が得意のようで、食卓にはいつもユノお手製の料理がいくつも並んだ。ディルクはいつもお腹いっぱい食べた。ユノの料理が美味しかったのもあるし、宮殿では新しい側妃からの毒殺を案じていつも毒見役が入っていたため出来立ての温かい料理なんて食べられなかったから。
ディルクが口いっぱいに頬張り『美味しい』と言うと、ユノは嬉しそうに笑った。
特に秀でたところもない普通の容姿だけれど、その幸せそうに笑う顔はとても綺麗だった。
思わず口に入っていた肉を丸飲みしてしまい、むせて食卓が大騒ぎになったほどだ。
そして何よりディルクが美味しいと言った料理をユノは覚えてくれていて、次に訪れた時には必ずそれが出てきた。たまに訪れるにも関わらずだ。
もう一度食べられることももちろん嬉しかったけれど、ディルクの言ったことを覚えてくれていることが何より嬉しかった。
自分の存在を尊重されている気がしたから。
新しい側妃から命を狙われて、自分はいらない存在だと言われている気がしていた。だからディルクを思ってくれるユノの気遣いは泣きたくなるほど嬉しかった。
べリスター家を訪れた時は自然とユノに近づくようになり、よく話をするようになった。
ディルクが『美味しい』と料理を褒めた時の、くすぐったそうな、けれどとても嬉しそうな笑顔を何度も見たかった。
そうして距離が縮まるうちユノは、
『どんなに頑張っても魔法が使えない私は駄目な子なの……』
と、ディルクに対して本音を口に出すようになった。
ユノにもっと頼りにしてもらいたい。もっと近づきたい。自分がユノを想うのと同じように、ユノも自分を好きになってもらいたい。
『魔法なんて使えなくたって俺はユノが好きだよ』あの言葉は本心だ。その頃にはユノはディルクにとってなくてはならない人になっていたから。
ユノとずっと一緒にいたい。自分の全力をかけて幸せにしたい。そう思った。
だから指輪を買って婚約を申し込んだ。
ディルクは王族だけれど側妃の子供なので王位継承権は薄い。サスカルに預けられた時からいずれ騎士団に入ることは決まっていた。だから騎士になって、ユノと二人で穏やかに幸せに暮らしたい。それだけが望みだった。
けれどその希望は潰えた。ユノから婚約を断られたからだ。
ショックだった。一生一緒にいたいと思ったのだ。ずっと笑っていて欲しいと。そのためなら自分はなんでもするのに。
これまで自分を頼ってくれたのは嘘だったのか。疑心暗鬼にかられて思わず『ユノには二度と会いたくない』そう口走った。
そして失意のうちに「実家」である王宮に戻った。
新しい側妃はディルクの命を奪おうとした罪で投獄された。それに追随した部下たちも処分され、ディルクの第三王子としての日々が再び始まった。
王立騎士団に入った。そこで認められたのは王族としての地位というよりも、元騎士団長のサスカルに毎日しごかれていた剣術のおかげである。
半年が経ち、長い遠征に出かけた。それは四年にも渡り、ディルクは騎士団の幹部の地位を得た。
そして宮殿へ戻ってきて――ユノに再会した。
(ここまでなのか……?)
ユノと別れてから極力思い出さないようにしていた。だから少しは忘れたつもりでいたのだ。
けれど全く違った。その証拠に、ユノの顔を見ただけでかなりの衝撃を受けている。
そしてそんなディルクに『四年前のことを……ずっと謝ろうと思っていて、本当にごめんなさい……』と、ユノはあろうことかプロポーズを断ったことを謝ってきた。
(四年前も今も、俺のことをなんとも思っていないんだな……)
そう確信して、さらに悔しさが募った。
今思えば確実に意地を張っていた。ものすごく気になるのに気にしていないふりをした。
だって悔しいじゃないか。ユノはディルクのことをなんとも思っていないのに、自分は再会しただけでこんなにも心を乱されている。ちっとも忘れていないとこんなにも思い知らされる。
だから意地悪なことも言った。ユノが鼻に貼っているガーゼに関してもそうだ。
どれほど想っても好きになってもらえないなら、たとえ傷つけてでも自分の存在を刻みつけたかった。
けれどそんな醜い自分とは裏腹にユノは昔のままだった。自信なさげで、けれど人に対してとても優しくて温かい。
魔具のリリーがディルクに向かってきた時、身を挺してかばってくれたこともそうだ。
(どうして、こんなにも……)
激しく惑う中、ユノの家族のことを知った。
どうして気づけなかったのか。あれほど激しく自分を責めたのは初めてだ。
けれどユノはそんなディルクを許してくれた。
優しいユノ。ユノの側にいたい。たとえこれからもディルクを想ってくれなくても――。
――そして今、なぜかディルクとユノの前に四年前に断られた時の例の指輪がある。




