10 母と妹
どうしてユノを勘当したのにこんなことを言い出すのか。
そこで気づいた。さっきは四年前と変わらないと思ったけれど違う。二人の服は四年前に見たものと同じだった。
不思議に思った。母もシンディも着飾るのが大好きだ。いつも新しい服を着て流行を追いかけていたのに――。
そこでハッとした。そうか。もしかしたら実家のべリスター家は没落寸前なのかもしれない。そもそも父が亡くなってから母は家柄を維持できなくなっていた。だからこそユノを邪険に扱ってまで名声を取り戻そうと躍起になっていたのだ。
そしてそれを取り戻すのに、今のユノが使えると考えた。
昔、ユノにした仕打ちなんて二人には関係ないのだ。いや覚えていないのかもしれない。悪いことをしたなんて思っていない。
だからこそこうしてユノにすり寄ってきているのだ。
(何、それ……)
やり場のない怒りが湧く。
四年前とは違う。ユノは自分の力だけでなんとか生活できている。キーラは優しくしてくれるし、ルーベンとだって仲良くなったし、リリーの嬉しそうな顔も見られた。昔とは違う。
それに今のユノは魔法が使えない――母とシンディの思う「価値のない子」ではないのだ。
込み上げる感情に身を任せて口を開こうとした時、
「それにディルクがいると聞いたわ。『ユノの昔の知り合い』とあの冴えない金髪侍女が言っていたから、あのディルクのことよね。まさかの王子様だったなんて。すごいわ。ディルクなら私も知り合いだもの。きっと優しく特別扱いしてくれるわ」
その言葉に喉が詰まったようになった。
その通りだ。しかもシンディは婚約を断った自分とは違い、ずっと仲のよかった関係なのだから。絶望が胸を去来した。
そこへ、
「お久しぶりです」
と、笑顔で入ってきたのはディルクだ。
なぜここに? と驚いたけれど、ユノの家族と旧知の仲だと知られている。
ユノたち三人しかいない食堂内で、ディルクは迷うことなくユノの隣の丸椅子に腰を下ろした。そのことに母とシンディは一瞬不満げな顔をしたけれど、すぐに顔が輝いた。これでもう大丈夫だ、全てうまくいくと安心しきった顔に見えた。
そんな……。ユノはうつむき、両手を強く握りしめた。
母がとっておきの笑みを浮かべた。
「久しぶりです。いいところのご子息だとは思っていましたが、まさか王族だったなんて考えもしませんでした。サスカル夫妻も水臭いですよね。教えてくれればよかったのに」
「ディルク、また会えて本当に嬉しい。実は王子様なんでしょう。すごいわ!」
シンディの甘えるような声が響き、母が満足気に頷く。
「まさかユノに魔法が使えたなんてね。ずっと心配していたので私もようやくホッとしています」
「そうね。ねえディルク殿下、お姉様はめずらしい魔法が使えるからこれから王宮で重宝されるだろうと聞いたけど本当なんですか?」
「その通りだよ。ユノには遥か昔に失われたと思っていた『聖女』の力があると思われる。だから大聖堂も国王陛下も注目してる。実はかつての聖女に当時の国王が爵位を与えたんだ。だけど彼女の後で継げる者が現れなかったから、その名前は今は誰も知らない。だけど俺が進言したから、近いうちそれをユノが継ぐことになると思う。そうしたらその家は魔法使いの名門中の名門になるだろうね」
シンディは悔しそうな顔をちらりと見せたが、母は長年の思いが報われたというように満足気な笑みを見せた。
「まあ、素晴らしいわ。ユノは私の娘なのだから、それは我がべリスター家の功績でもありますね」
シンディが皮肉気に、ディルクは鷹揚に、母と三人で笑い合う。
絶望がさらに色濃くなった。ディルクはユノの実家での実情を知らない。だから普通の家族だと思っている。長女のユノを思い合ういい家庭だと。
胸が苦しい。違う。本当は違うのだ。けれど今までディルクに嫌われたくない一心で正直に言えなかった。本当は違うのだ。けれどもう遅い。
ああ、もう駄目だ――。
絶望に駆られるユノの前で、不意にディルクの冷たい声が響いた。
「でもあなた方はユノを勘当したんですよね?」
(えっ……?)
ユノははじかれたように顔を上げた。信じられない思いで隣を見る。ディルクは厳しい、まるで敵をにらむような目つきで、向かい合う母とシンディを見ている。
(……どうして知ってるの?)
ユノが虐げられていた過去を。
「あなた方はユノを勘当した。親子の縁を切った。もうユノと家族ではない。一方的にユノを傷つけて追いだしておいて、今さらすり寄ってくるのは虫がよすぎる。ユノにはめずらしい浄化の力がある。けれど、あなた方には何の関係もありません」
反論を許さない厳しい口調だ。
ユノは唇を噛み締めた。自分に魔法が使えるとわかって嬉しかった。これで母やシンディの言う「価値の無い子」ではないと思えた。けれど――。
(違う……)
痛切に思った。昔のディルクの言葉を思い出す。『魔法なんて使えなくたっていいじゃないか。俺はユノが好きだよ』その言葉にどれだけ救われたか。
――そうだ。その通りなのだ。
ユノは唇を噛み締めて、そして顔を上げた。正面から母とシンディを見る。真正面から向き合ったのは初めての気がした。
「何よ?」
突然やる気を見せたユノに、シンディが立場をわからせるために皮肉気に笑う。
ユノはそんなシンディを見据えた。
「私は家には戻らない」
小さな声でもはっきりと言った。これは決意表明だ。自分の気持ちが初めてはっきりとわかった。自分は魔法が使えた。もう母やシンディの言う通り駄目な子ではない。
けれど大事なのはそれじゃない。魔法が使えるか使えないかではない。
昔からディルクが会うたびに言い続けてくれたことだ。
魔法が使えるとわかった今だからわかる。たとえ魔法が使えなくたって自分は価値の無い人間ではない。
「私は家には二度と戻らないし、あなたたちと王宮で一緒に暮らす気はないわ……!」
震える声で、けれどきっぱりと口にした。
だが途端に母とシンディの怒りが爆発した。
「ユノ、お前何てことを――!」
「お姉様、自分の立場をわかってないの!? 私たちがせっかくあゆみ寄ってあげているのに!」
昔の通りだ。二人は四年前と何も変わっていない。
それでもユノは目をそらさなかった。四年前とは違うのだ。
「お帰りください」
怒りに体を震わせる二人に、ディルクがゾッとするような冷たい声を出した。
「先ほど言いましたよね? もうユノはあなた方とは何の関係もないと」
今の状況と立場を再確認させるように容赦のない口調だ。
まるで付け入る隙のないディルクに、二人は悔しそうな顔をした。けれどどちらが上かなんて最初からわかっていることだ。
シンディがおもねるような笑みをディルクに向けたが、冷たい顔で見返されて怯えたような顔をした。
母も蒼白な顔で操り人形のように立ち上がる。
力なく戸口へ向かう。その途中で、母が我慢しきれなくなったように体を震わせて振り返った。捨て台詞のように、
「ディルク殿下にはわかりません……! 主人亡き後、名門の家を継ぐのがどれほど大変か。当主が女の私だとわかった途端、これまでへこへこしていた者たちが手のひら返しにするのよ。私は代々続いた家を守らないといけなかったのよ!」
「――家がそれほど大事なんですか?」
「当たり前よ! 娘たちのためにも、それが私の全てで生きる目標だったのよ!」
母の顔は鬼気迫っていた。
そんなことを言われたら何も言えない。いや、頭では違うと叫んでいるのに言葉になって出てこない。
そんなユノの前で、ディルクが静かな声で話し始めた。
「昔、俺がサスカル夫妻とあなた方の家を訪れたある冬の朝、あなたは風邪をひいたと言っていました。事実だるそうで、時折咳をしていました。覚えてますか?」
「えっ?」
突拍子もない昔話に母もシンディもぽかんとしている。ユノもだ。
「あなたの様子を見たユノが突然家を出て行きました。俺は訳がわからなかった。あなた方も『ユノは変わった子で』と言って笑っていました」
記憶がよみがえる。そうだ。あれはユノが十二歳になった年の初冬のことだ。覚えている。
けれどディルクは一体何を言おうとしているのだ?
「夕方頃ようやくユノは帰ってきました。不思議に思って見に行くと、ユノの手にはいくつもの生姜がありました。この年は雨不足により生姜が不作で、ユノは『一番遠い市場まで行ってようやく見つけたの』と言って微笑んでいました。『これでお母様の風邪もよくなるわ』と」
母が息を呑む。
「たまに訪れていた俺が目にしたくらいです。そんなことは何度もあったでしょう? ――あなたは何より家が大事だと言いましたが、あなたを本当に大切に思い幸せにしてくれるものが、その家なのか、それともあなたが邪険にしてきた娘だったのか、あなたはちゃんと気づくべきでした」
(知ってくれてたんだ……)
体の奥から温かいものが込み上げた。
ユノがなんとか家族の一員だと認められたくて必死になって頑張っていたけれど、母もシンディも気づかなかった。それをディルクは気づいてくれていたのだ。
小さい頃、誰にも気づいてもらえず一人で泣いていた自分が報われた気がした――。
「あなた方がもうここを訪れる理由は何もない。ここは王宮だ。関係ない者が立ち入り出来る場所ではないから。もし次来たら罪に問う。王族への反逆罪で」
反逆罪との言葉に母が立ち尽くし、シンディが青ざめた。
食堂の外に待機していた部下の騎士たちに連れられて、二人が力なく出て行った。




