【八十一話】いい所……一個しかねえな
「着いちゃったなぁ……」
結局不本意にも無事に公欠届も受理され、桜たちにもいつの間にか津奈ちゃんが話を通していたのか特にお見送りの会なんてものが開催されることも無く、それは勿論夏や黒木も同様で「まあ、空君が急に物事を進めるのはいつもの事だし……」みたいなテンションで普通に昨日の夜に自宅を出立するときも家に居る桜や鏡花さんにはその辺に出かけるぐらいのテンションで見送られた。
無論空港に向かう車の中で今頃事務所の方でおおよそ半月後に迫った世界大会に向けて忙しそうにしているセツナからも頑張ってと連絡は貰ったが、余りにもサラッとした態度を皆にとられ釈然としないままにイギリスに来てしまった。
「なんでそんなに嫌そうなんですか……」
「……いやね、ほら別に津奈ちゃんと迷宮に潜るのは良いけど、ねえ?」
俺の釈然としない態度を見て俺以上に釈然としない様子でぷくっと頬を膨らませた津奈ちゃんにそう言われてしまった。
そう、別に迷宮に潜るのが嫌なわけでは無いのだ、普通の自宅から数十分で行けるような高難易度迷宮であれば慣れもあってそこまで死の危険は感じないが、問題はこれから俺と津奈ちゃんで潜る予定の俗称「時計塔」と呼ばれる迷宮は世界を見渡しても最上位で危険な迷宮として知られている超高難易度迷宮なのだ。
この時計塔という迷宮は多少手加減をしてくれているであろう訓練中の組手でも俺には勝てるビジョンなんてものが一ミリも見えないような渡邉津奈でも完全踏破には至っていない、かつこの広い世界でも津奈ちゃんと同じ攻略階層まで攻略しているダイバーはこれまで人類史で存在しないという無理ゲー甚だしい迷宮なのだ。
「絶対俺の初迷宮死亡はこの迷宮だもん」
「弱気すぎますって、意外と普通の高難易度迷宮と変わらないですから」
本気で俺が時計塔に挑戦するのを嫌がっているのが、飛行機の時から繰り返し言っている俺の言葉で津奈ちゃんにも分かっているのか、飛行機の中でも言っていたようにダダをこねる子供をなだめるように優しい声音で津奈ちゃんは言うが、全く持って信頼することが出来ない。
そもそも、津奈ちゃんは迷宮の外であれば年相応の可愛らしい女の子なのだが、こと迷宮の中においてはタガが外れるのかひどく攻撃的になる事を初めて一緒に潜った高難易度迷宮で知っていた。
簡単に言えば「バトルジャンキー」なのだこの女の子は。
「お手柔らかにお願いしますよ……できれば俺が死なないように」
「はい!任せてください」
フンスと鼻息を荒くして胸を叩く津奈ちゃんだが、俺は正直不安でならなかった。
これまで迷宮内での疑似的な死と言う物を経験していないのも良くないのだと思う。
俺にとっての死と言う物は前世で経験した体がぐちゃぐちゃになるほどの痛みとこれまでの人生が突如として幕を閉じる喪失感を伴ったモノであるのが大きい。
幾らかなり痛いと迷宮に入って死んだことのある人から言われていても、実際に体がぐちゃぐちゃになるほどではないだろうとは思っていても怖い物は怖いのだ。
そもそも痛いのが平気なんて心から言える人はきっと何か変な人だろうし……
「とりあえずホテルを取ってあるので、荷物を置きに行きましょうか!」
「……はぁい」
そんな事を考えていると俺が完全にビビッているのが津奈ちゃんにも伝わったのか雰囲気を切り替えるように少し声を張って津奈ちゃんが言って俺の手を引いていくので俺は、相変わらず怖い物は怖いけれどもここ異国の地に来てまでうだうだと弱音を吐くのは男らしくない!と思い空元気すら感じないどこか間延びした返事を返して大人しく引かれる手に従う事にする。
◇
「おお、すげえ」
「そうでしょう?ここは前回時計塔に挑戦するときにも泊まった所なんですよ」
津奈ちゃんに引かれるままに連れてこられたホテルでチェックインを済ませ、フロントの方に渡された鍵に記された部屋番号の刻まれた扉を開いて部屋を一望した俺の口から漏れた言葉は、普段俺が済んでいる家を見たことのある人が聞いたら「どの口が」と言われること間違いないだろうが、ここは素直に驚かさせてほしい。
部屋のサイズで言えば家の寝室の三分の二ほどの大きさだが初めてリアルで見る本物の洋風建築に華美になりすぎないようにほどほどに煌びやかな家具は壮観だった。
これを洋風と呼ぶのも失礼な気さえしてしまう。
「とりあえず、今日は多少時差ボケもあるでしょうし、ここでゆっくりとして時計塔へのダイブは明日の朝からにするつもりです」
「うん、わかったよ」
「それと細かい時計塔攻略の予定を話したいので、その時になったら夜また連絡します。……それまであまりはしゃぎすぎて寝てた!なんてことが無いようにしてくださいね?」
「あはは、さすがにそこまで子供みたいなことにはなりませんよ!」
津奈ちゃんにそう揶揄うように言われるが、前世での歳を合わせればそれなりにいい歳なので初めての異国の地ではしゃぎすぎて寝るなんてことは無いだろう。……多分。
「……空さん何故か年齢の話になると妙に大人ぶりますよね。私より一歳下の15歳なのに」
「……え、えーと、そうかな?気のせいじゃない?あはは」
最近はあんまり俺の年齢に何か言う人が少なくなってきたこともあって少し気が抜けていたが、そういえば桜や、セツナ、鏡花さんと近くにいる人は大体俺よりも年上だし、津奈ちゃんもなんだかんだ例に漏れず俺よりも一歳年上である。
桜や鏡花さんは良いとしても、俺とセツナが早生まれのせいで少しややこしいが俺は高校一年生、津奈ちゃんが二年、セツナが三年である。
「……まあいいです」
前世の話なんてものは墓まで持っていくつもりなので適当に誤魔化すも、少し津奈ちゃんは疑った視線を寄越して、俺の乾いた愛想笑いを見てこれ以上追及するのは意味がないと思ったのか手を振って部屋の扉を閉めて隣の自分の部屋に戻っていった。
「はあ……明日からか……」
津奈ちゃんが去った部屋で荷物の整理なんてせず、部屋の真ん中に鎮座する大きな布団に背中を預けてため息交じりに明日から始まる時計塔探索に憂鬱な気持ちが溢れてしまった。
無論津奈ちゃんと一緒に迷宮に潜るのが嫌なわけでは無く、むしろ津奈ちゃんと二人で潜ることで普段一人で潜っている高難易度迷宮なんて比べ物にならないほど安全と言えるであろう。
問題はあの津奈ちゃんですら、途中で断念せざるを得なかった時計塔という迷宮の恐ろしさである。
出来れば一度も死なずに、二人安全に「意外と余裕だったね」と帰りの飛行機で笑いあいたい物であるが、そんなハッピーエンドが存在するか否かは神のみぞ知るだった。
あの神様だけしか知らない。と言葉にすると異常に不安になってきたので、取り敢えず俺は目を瞑ってわざとらしいタイミングでパスポートを用意してきたアイツに対するいい所を並べようと少し考えてみたが、いの一番に出てきた俺をこの世界に転生させてくれた以外の良さが見当たらず、諦めて寝た。




