物語、ストーリーとナラティブ
(* ̄∇ ̄)ノ ナラティブについて調べてみた。ロボじゃ無いぞ。
ナラティブという概念に興味を覚え調べてみた。新しい機動戦士にも使われている単語だ。
映画ではベスト・インターナショナル・ナラティブ賞というものがあり、ゲームでは『Best Writing Award』(最優秀脚本賞)が『Besy Narrative Award』に置き換わるなど。
2013年からナラティブが新たな概念として広まっているようだ。
■ナラティブとは?
Narrativeは翻訳すれば物語。
storyもまた翻訳すれば物語。
日本語に翻訳すると同じ物語になってしまう為にその違いがよく解らない。耳慣れ無いので余計に解らない。
ナラティブは語りとすると解りやすくなるようだ。ナレーターは語り手、ナレーションは語る事。
ストーリーは始まりから終わりまで繋がるひとつの脚本。
1960年代から、文芸理論の用語としてストーリーと類別する物語の役割として、ナラティブが使われるようになった。
■ゲーム
テレビゲームにおいてナラティブを解説したものを読むと、ドラクエはナラティブであり、ファイナルファンタジーはストーリーに分けられるという。
ゲームならではの物語体験がナラティブとなる。
物語の筋道が一本でキッチリと決まり、プレイヤーの介入で変化しないものがストーリー、ということになる。
ゲームならではのインタラクティブ性が強い物がナラティブ。プレイヤーが受動的に展開を楽しむ物がストーリー、プレイヤーの視点から状況に介入しながら物語体験するものがナラティブとなる。
ゲームでもテトリスのように、没入する主人公と世界観が無いものはナラティブとは呼ばれない。
ゲーム開発者が『ゲームならではの物語体験』とは何かを再定義したときにナラティブという概念が再発見された。
プレイヤーの能動的な操作によって異なる物語体験が現れる。そのようなゲームのインタラクティブ性を表す概念として使われるようになる。
ナラティブである、と高く評価されたゲームは。
『風来のシレン』
『ダークソウル』
『ワンダと巨像』
など。
テレビゲームのRPGのもとになったテーブルトークRPGは、プレイヤーがキャラクターを操作し、会話とサイコロでゲームマスターと物語を作っていく。
役割を演じることを『語り』で表現して参加者で作り上げるゲームだった。
初期のテレビゲームは容量の都合から一本道のストーリーが多かったが、ゲーム機の進歩と共に分岐が増える、プレイヤーが選べる行動が増える、更にはオンラインで他のプレイヤーと『語り会う』ナラティブへと回帰していった。
RTAなどのゲームプレイ実況なども、『私』なりのゲームのプレイの仕方を『語る』行為と言える。
■臨床心理学
臨床心理学においては、ナラティブ・アプローチとは相談者の語る物語から問題の解決法を探るアプローチのこと。
1990年代に臨床心理学の領域から誕生し、医療で使われるようになる。
相談者の自主的な語りを重視する心理療法はナラティブ・セラピーとも呼ばれる。
従来のカウンセリングでは相談者の語る症状を聞く。目的は相談者の言葉から、患者の『客観的な状態』を知るために。
ナラティブ・アプローチでは、相談者の語る物語から、『患者の解釈を理解する』ことが目的となる。
事実よりも、相談者の主観による解釈と脚色を読み解くことで問題の解決をはかることに違いがある。
心理的な思い込みから症状が現れる場合、事実よりも本人の主観を対象に改善を探る方が効果的となる。
■ビジネスのナラティブ
ビジネスにおいて、臨床心理学からナラティブ・アプローチの手法を取り入れたものがナラティブ・マーケティング。
企業のテレビCMが活発になるとストーリー・マーケティング、ストーリーテリング型ビジネスと呼ばれるものが広まる。
■ストーリーテリング・ビジネス
自社製品をアピールする際、例えば栄養ドリンクなど短いCMで製品をアピールする場合。一本のドリンクの中にどんな栄養成分がどれだけ入っているかなど、製品としての内容物の説明をしても、薬剤や栄養学に詳しい人にしか解らず万人受けはしない。
その栄養ドリンクを飲んでどう元気になるか、というのをストーリー仕立てにするCMの方が顧客の関心と共感を買いやすくなる。
エナジードリンクで売上、シェア共に世界一のレッドブルのCM。
『Red Bull 翼をさずける』
ドリンクの中に何が入っているかの説明は一切無いが、翼をさずける、というストーリーでアピールに成功した例。
ストーリーテリング型ビジネスとは、
企業のブランドイメージをストーリーで伝える。
商品そのものにストーリーを作り上げ、好印象を与える。
また、ストーリーを付加価値に付けた商品が幾らで売れるか、という実験も行われた。
感動的なストーリーがモノの知覚価値を高められるかどうか?
200人以上の作家の協力を得て、安く買ったアンティークにニセのバックストーリーを添えることで幾らで売れるか? という実験。
99セントで購入した馬の置物がいくらで売れるのか。作家の父親にまつわる(フィクション)ストーリー『70年代のフランスの酔っ払った交換留学生と馬との奇妙な体験談』を添えたところ。
99セントで買った馬の置物が62.95ドルで転売に成功。
ストーリーを付加することで、モノの価値を約6258%高める結果が出たという。
ストーリー仕立てのCMが話題になると、共感を呼ぶストーリーが企業イメージを高め、商品価値を高めることにも繋がると、ビジネスにストーリーテリングが重要と言われるようになる。
■ナラティブ・マーケティング
インターネットの発達、SNSの普及からビジネスはストーリーからナラティブへと変わっていく、という。
企業から発信するものがストーリーとするなら、個人から発信し広がるものがナラティブと言えるだろうか。
ナラティブもストーリーも物語ではあるが、語られる主人公が違う。
ナラティブの主人公は『あなた』になる。あなたの選択があなたの人生の物語となる。その物語にいかに製品を関わらせるか、がナラティブ・マーケティングとなる。
顧客を主人公にする物語に対するアプローチ。企業イメージを語るのでは無く、ユーザーに近い主人公を設定したストーリーテリングでユーザーの共感を得よう、となる。
ユーザーの信頼と好感を得ることで、ユーザーごとにブランドイメージを個人ごとに考えてもらう。一人一人が『私の感じるいい商品』の物語を作り出す。上手く働きかけることで、ユーザーは企業の商品に自分なりの思い入れを描くようになる。
ユーザーが製品に深い愛着を感じると、ユーザーの中にはツイッターやユーチューブでその製品の愛着を語ることになり、製品の宣伝が口コミで広まることになる。
■ナラティブな情報発信とは
小説の中で本を作ることのたいへんさを解りやすく伝えてくれるものがある。
『本好きの下剋上 ~司書になるためには手段を選んでいられません~』
作者 香月 美夜
活版印刷で本が普及する前は、語り、口伝が情報を伝える重要な手段だった。
印刷と本が普及することで、情報とは政府や新聞社、ジャーナリストが広めるものとなっていく。
一方で語りは個人体験を語ることで共感を呼ぶ手法として残る。
戦争を経験した人がその体験談を語ることで、戦争は悲惨であり不幸である、というイメージを広め伝えることになる。
また個人の体験談を掘り下げて聞いてみる、という番組『ポツンと一軒家』も、有名人でも無く芸能人でもない個人の語りをメインとするナラティブ型な番組ともいえる。
ストーリーからナラティブとなるのは、ナラティブは誰もがすんなりと世界に入れる、詳しい背景や設定を知らなくても楽しめるところにある。
また、受動的から能動的に参加感のある物語の仕組みが望まれるところにある。
新聞、ラジオ、テレビと一方的に伝えられる受動的ストーリーから、SNS、Facebook、YouTube、ツイッターと誰もが発信できる能動的ナラティブへと。インターネットの発達が新たな情報伝達手段として、活版印刷時代より前のかつての語り、口伝を最新技術が広めることになった。
個人が発信できるシステムが普及したことで、ストーリーに圧されたナラティブが復活した時代ともいえる。
■ツイッター
ツイッターで『♯』を付けて発信するなど、受け手が能動的に参加できる価値もナラティブと呼ばれる。
マンガ
『テロール教授の怪しい授業』
原作 カルロ・ゼン
漫画 石田点
このマンガの2巻でも使われた言葉、ナラティブ。テロール教授はこう語る。
『今日においてテロとPRは切っても切り離せませ―――ん! そのためにもSNSをもっと使ってどーぞ!』
『人を巻き込んで共感させるようでないとダメでーす! もっとナラティブを! もっと映えを! もっとメディアに愛されて!』
SNSの発達が新たなテロの戦略となった現代。個人がマスメディアを通さずに個人に情報を伝えられるようになった。
ソーシャルメディアなどを通じて過激思想に共鳴した自国育ちの若者が、祖国で事件を起こすホームグロウンテロが現れた。
ローンウルフとも呼ばれるホームグロウンテロは、テロ組織から直接命令を受けていない例が多い。そのために捜査上にあがる可能性が低くなり、事前に犯行計画を察知するのが難しくなる。
情報の発信者はマスター・ナラティヴを構築する。マスター・ナラティブとは社会を構成する大きな物語。
世界を支配しようとする者たちが語るマスター・ナラティブは、その世界で起きるさまざまな事件や出来事に対する人の認識や経験をコントロールしようとする。陰謀論は根強く、社会に不満を持つ市民が同意しやすい。
支配的な言説、ドミナントストーリーとして作用する。
証拠も無く、捏造の歴史で真実では無いフェイクニュースであっても、権力によって繰り返し語られることによって、人はその物語の文脈のなかで事件や出来事を構成し、意味づけ、そして再構築する。
一個人が発信したものでもバズって拡散し、多くの人が繰り返すことで同じ効果を得られる。
やがて人は支配的な物語、ドミナントストーリーのなかに取り込まれる。
自覚無く、知らないうちに自らその物語を現実として生きる『物語の住人』もしくは、その物語に隷属する『物語の奴隷』となる。
インターネットの発達から、敵を倒す戦争から敵国の住人を味方につけようという、紛争の情報戦術への転換。かつては国家が行っていたプロパガンダが、小規模の団体、カルトや武装勢力が使える手段となった。
共感で味方を増やす。人が理解しやすく同意しやすい物語を作成して。
フェイクニュースで重要なのは真実よりも真実らしさ、事実よりも事実らしさ。科学でなくとも科学的であればいい。歴史で無くとも歴史的であればいい。証拠も証言も無くとも共感を呼べるシナリオこそが重要。
多くの人が最もらしいと感じる事を重要視するポストトゥルースの時代の産物。
一方で、このマスター・ナラティヴに対抗する物語をカウンター・ナラティヴと呼ぶ。
これは物語の調子を狂わせたり、筋書きを破壊したり、物語にさまざまな矛盾や亀裂を走らせることでマスター・ナラティヴに捕らわれた人びとを解放する目的がある。
臨床心理学において、ドミナントストーリーに支配された相談者の思い込みを崩す為の、オルタナティブストーリーに似ている。
■まとめ
ナラティブについて、概念は多くの分野に広まっているが、分野ごとに変化があるようだ。
人と獣を分けるものは、人は人に語ることができる、という哲学もある。物語を語る生物は人以外にはいない。
科学技術の発展が、人の『語る』影響力を再確認したのが、ナラティブではないだろうか。
ストーリー仕立にすることで、物事は記憶しやすくなり、ときには同情や共感を呼び仲間を増やす。同じ思想で繋がるコミュニティを作り出す。
例を出せば、『電車男』『一杯のかけそば』など。一杯のかけそばは始めは実話としていたが、やがてその嘘がばれる。しかし嘘と判明するまで多くの人が伝えるべき物語として参加した。後援会が作られ社会現象となるほどに盛り上がった。
ナラティブに同意した人達がムーブメントを作ったものは過去にいくらでもある。
SNSや各種投稿サイトが、誰もが発信し体験や想像を語る場として支持される時代。語りはナラティブとして人に影響を及ぼすものとして各分野が注目する。
そして共感を使った新たな社会の分断と繋がりの形が現れるのではないだろうか。
調べるほどにナラティブはなんぞや? というのが難しくなる。物語論、ナラトロジーなどもあるし、哲学の分野にも絡んでくる。
ここまで調べてみてのまとめとして、ナラティブとはどうやら。
ナラティブは個人の経験の積み重ねから産まれた、個人の理念を語ること。誰もが語ることのできる時代の新しいコミュニケーションの形。個人体験を語ること。
まるで古代の語り部が情報技術の進歩で、新たな姿でSNSの世界に甦るようだ。