第21話 言語道断は自惚れか気休め
気休めか自惚れって書くと意味が違ってきかねない不思議。
星馬暦1000年-ピアリハ74年、9月14日午後。
「ふう、ふうーっ…」
キャスクは息を切らしていた。
戦いが始まってから、既に30分が経過していた。
最初は優勢だったキャスクだが、ハルバードが防戦気味の状況を耐え抜きながらキャスクの動きを研究してくると、徐々にその勝負は互角になってきた。
「お前、藍の剣。確かキャスク=ベータとか言ったな。まずそのバランスの悪い構えがダメだ。微妙に、右肩に力が入りすぎている」
ハルバードは年の頃はキャスクとそう変わらなさそうな割には、そして敵対している割には随分と親切な助言をした。藍の剣とは、オユワイルの剣の色を見て付けた、キャスクの呼び名なのだろう。
「キャスク。アタシも加勢するよ」
「キャスさん。私もお手伝いします」
「俺っち…は。グンドっち、とりあえずヒュドラくれ」
しかしキャスクは右手で彼らを制した。ハルバードはキャスクに匹敵、あるいはそれ以上に強い。
だからこそ複数で戦うのは最善、そう考えるのはごくごく自然だ。しかし、
(みんなで戦うと、―――どうしても太刀筋が曇る)
とキャスクは考えた。仲間の1人でも、予期せぬ動きでキャスクの攻撃範囲に入ってしまえば、誤ってパーティー・アタック、つまり同士討ちしてしまう危険性があるのだ。
「ゴメン、この戦いはボクにすら厳しい。みんなを巻き込むなんて出来ないよ」
「くく…殊勝だな、藍の剣」
オユワイルに掛けられたコマンド【アイシング】の冷気は、三度ほど既にグンドが使い直した。もうヒュドラの魔気はカラだ。
そしてその四度目の冷気強化も尽き、キャスクの持つ武器は今や、単なる霊鋼の剣に戻っていた。
「どうだ藍の剣。貴様の殊勝さに免じて実はある取引を思い付いた。聞くだけ聞くか?」
返事を待たず、ハルバードは取引の話に移った。
取引とは、このままキャスクが降参するなら、命までは奪わないがトリティを引き渡す事。そしてその代わりもしトリティを連れて行けるなら、紙幣5枚を渡すというのだ。
「ハルバード、…キミは最低だ」
キャスクは汚い仕事には絶対に応じない性格だ。人間1人を金銭と取り替えるなど、彼の道徳に許す余地などない。
「キミは素晴らしい戦士だ。どうして真っ当な事が出来ない?」
「うるさい…黙れよ!」
20メートルほど離れていたはずのハルバードが持つブリュグニルの切っ先が、忽然とキャスクの鼻先に現れた。
「藍の剣、貴様は2つ勘違いしている。まず、俺は真っ当な事しかしていない。そして」
今度は、いつの間にかキャスクの背中に、尖った感触がした。おそらくハルバードの槍、ブリュグニルだが、キャスクとて武器らしき物を突き付けられれば身動きなど不可能だ。
よって当然、振り返って突起物の正体を見るなど出来はしない。
「そして…俺はこの通り、まだ本気なんか出しちゃいないぜ!」
メリメリと鈍い音がした。ブリュグニルが、キャスクが身に纏う青銅の鎧に穴を開け始めたのだ。
「闘気とは、こう使うのだ。闘気さえあれば、たかが斧槍が青銅を穿つなど容易きこと」
するとハルバードは、何を思ったか再びキャスクの前に現れた。
「藍の剣。剣に闘気を与えてみろ、少し待ってやる」
「ま、待ってやる…だと。キャスっち。そんな見下し野郎なんて、とっととボコボコにとっちめてくれ」
我が身に起きた事のように怒るライドーンだが、それが優しさゆえなのか、ヒュドラを持たない手持ちぶさたから来るのかは不明瞭だ。
「いや、ライ。ここは1つ、待ってもらう」
キャスクはそう言うとオユワイルの剣に神経を集中させた。
「……」
「くく、せめて楽しませてくれよ。俺の取引を蹴った愚かな戦士」
しばらくすると、剣に闘気が注がれた。近くで見るとその周りの空気が揺らめいている。
「出来た…!」
「やはり才能はあるみたいだな。そのくらいはフェアじゃないと、つまらんのだ」
そして剣と槍の激突が始まった。ハルバードの槍、ブリュグニルには未だに炎が宿っている。
「俺は特殊な負荷を常に全身に掛け続けている。だから魔気だけなら…ほぼ無限大に持つ」
「魔気が無限大…だって!?」
ハルバードが身に着けている緑とも黄色とも付かない微妙な色合いのフルアーマーは、魔気を見る事が出来るトリティやガベーデンが見ると、ハルバードの体から微かに魔気を吸い続けては空気中に吐き出し続けている。
それがおそらくは秘訣なのだろう。防具に魔気を吸収させることで常に魔気を枯渇させ、むしろ体内の魔気をマイナスにする。
その継続が何らかの作用を起こし、彼の魔気を無尽蔵にしているらしかった。
「詠唱だけは昔から苦手でな。だから発想を変えたのさ。…さ、おしゃべりはここまでだ」
「うん。正々堂々、勝負だ!」
すると、キャスクは今までに見た事のない構えを見せた。
普段は青眼の構えで、刃先を相手の目に向けるキャスクだが、今は左手だけで剣を持ち、刃を肩に預けて腰を深く落としていた。
時は遡り、星馬暦1000年-ピアリハ74年、9月12日午前。
キャスクたちのいる世界では、国に属さない地域は珍しくない。帝聖国から農国までに至る道や、そこにある町や村は正にそうしたエリアにあたる。
そうした、国でない地域は不所属地帯とよばれる。国や、国の前進組織でない地域なので安全の保障はなく、また帝聖国でない時点で礼拝塔もない。
不所属地帯の町や村は存続のため、どこもかしこも戦士を高額で雇う傾向にある。しかし危険度もそれだけ高いために、実力者でないと用心棒は務まらない。
そんな中でキャスクたちが訪れた、ヒューナフ農国のやや北に位置するキュボン村。キャスクの新たな構えは、そこにいる戦士に教わったのである。
「お前、ずっとその構えだけでやって来たのか」
ビカートという名のその戦士は、キャスクのあまりにも平凡な構えに驚いた。
人相手の戦いなら確かにバランスは悪くないが、青眼の構えだけで様々な魔物と渡り合って来たというのは普通ではないのだ。
「なら、盗賊だったオイラのやり方を教えてやる。その代わり、オイラにも何か技を1つ教えてくれよ。…ほら、あの剣から小さい竜巻をたくさん出すヤツ。あれがいい」
かつては盗賊として、帝聖国近辺を根城として名を挙げて来たというビカート。ただ、あくまでもそれは極度の貧しさのためであったらしく、数年前にキュボン村に雇われてからは人っ子ひとり襲っていないらしい。
「一度、こてんぱんにやられた事があってさ。キレーな姉ちゃんだった…ルマなんとかだったかな確か」
(ルマ。…もしかしてあの時の)
ツニナル洞の露店で出会った、女性騎士かもしれないとキャスクは思い当たった。強さのほどは手合わせした事がないため分からないが、不所属地帯に雇われる凄腕を倒したと言うのなら相当な実力を持つ事になる。
「よし、いいかキャスク。まずは腰をこれくらい深く落とすんだ」
盗賊とは思えない親切さでビカートは盗賊流の、ビカート流の構えを教えていく。もしかしたら女性騎士に負けた経験が彼を余程、丸くしたのかもしれない。
「まずまずだな。だが、いいか。構えが出来たところで、その意味が分からんと次の動きに繋がっていかねえ」
(腰を低く落とすのは、的を狭くして防御を固めるため)
ビカートの教えを、キャスクは頭の中で反芻した。
「隙だらけだ」
気付くと、そう告げたハルバードはキャスクの真上にいた。そして燃え立つブリュグニルの切っ先を真下に向けていた。
ボシュウウウ。
剣で槍を受け止めると温度差で焦げるような音がした。もっとも、防御だけではハルバード自身が落下するのを防ぎきれないが、キャスクの腰を落とす構えは、大幅な回避には向かないほど両足の幅を取るために、はっきり言ってキャスクに不利な場面だ。
当然、ハルバードもそれを見越していた。
(慣れない構えじゃ、やっぱり厳しいな。…でも)
どんなに慣れてなくともビカートの構えには、ある利点がある。
「隙だらけなのは、キミの方だよ」
キャスクは、そこから更に剣に力を込めた。両足を開いた構えなので、上から敵が来ても体勢は安定している。
「死んでも、―――取る」
スピア・アーツ。肉を切らせて骨を断つ、ドンスレンと編み出した決死のカウンター術。今、それがビカートの構えを伴い進化を見せようとしていた。
勢いが、ある程度は死んだ槍の受けは切り捨てた。そして肩に槍を受けながらも踏ん張りを効かせ、ハルバードの首筋を、自らの胴体を捻りながら大きく斬り伏せた。
「ぎゃああ、痛い痛い。痛いよお」
激痛により、ハルバードは着地しきれずに不完全な体勢のまま地面に追突した。
「かはっ。…光魔法な、んて…使えぬ。俺の負け…だ」
だがその時、
「ガベーデンさん。彼にキュア・コールを」
とキャスクは頼んだ。本来なら仲間に頼みたいと彼は考えたが、あいにくトリティは光魔法を習得出来なかったのである。
同日、夕方。
「う…ん。こ、ここは」
「アイダンスの屋敷だよ。キミが窓を割った、ね」
客室のベッドで目を覚ましたハルバードの問いに、キャスクが答えた。
念のため槍は取り上げてあるものの、魔法を使われたら厳しいかもしれない。しかし、キャスクはそれでもハルバードを助けると言って聞かなかったのだ。
「ふん。どういう精神構造なんだ貴様は、俺は貴様らの敵だと分からないか?」
「うん、分からないよ」
「なん…だと」
「だって戦いの途中なのにキミは、闘気の使い方を教えてくれた。ビカートと同じ…本当はキミは、心の優しい人間なんだろう?」
キャスクはハルバードをビカートに重ね、そして信じるに足ると信じたのだ。だがハルバードは、そんなキャスクの態度を鼻で笑った。
そして、ベッドから跳ね起きて身体に異常はないと示し、片腕ずつぐるりと回して見せた。
「全く…それだけの闘気を持ちながら、オツムは赤子だな。いいか、勘違いするなよ藍の剣。俺は単に狂っているのだ」
「そんな事ないよ」
「笑わせるな。全ての正統魔導師を滅ぼす…そのために間違いなく俺は、俺は」
「リティは正統魔導師じゃないよ」
このタイミングでそれを言うのは、図らずもハルバードのプライドを傷付けた。
「そ、そんなバカな。あれだけの魔気は何キロも手前から分かったんだ。正統魔導師に決まっている。でなければ、化け物だ」
「リティは、優しい子だよ。殺さないでくれるかい?」
穏やかに、そうキャスクは尋ねた。
しかし、ハルバードはそんなキャスクを無視し、フルアーマーを再び装備し、ブリュグニルを探すために客室を出て行ってしまった。
「ハルバード…」
キャスクは彼を追わなかった。
なぜかは分からないが、あれだけ彼を無視したにもかかわらず、ハルバードは仮に槍を取り戻してもトリティに手を出さないと、キャスクはそう信じて良いような気がしていたからだ。
「槍はどこにある」
ハルバードは客室を出てすぐに出くわした、エミアに質問した。槍こそ持たないが、悟られないように臨戦態勢を取りながらだ。
すると、
「そうね。…お食事をちゃんと食べていくなら、返してあげてもいいわよ」
同日、夜。
「お手を合わせて。いただきます」
夕食の席には、ハルバードがいた。
(くそ…。誰も彼もが、いちいちペースを乱しやがる)
ブリュグニルとは名前だけで、ただの斧槍・ハルバードに過ぎない。そのため、ハルバードがわざわざ夕食に付き合う必要はなく、さっさと他の町で買い直せば良いのは確かである。
しかしそれはそれでカネがかかる。ハルバードは悪党ぶるわりにはケチであるため、敵として扱わないなら、不本意ながらもお金を使わない道を取る事には甘んじる。
そうした点は、旅の者の性質なのか、キャスクらと不思議と似通っていた。
「くく、敵に食わすには惜しいと思わないのか。これだけの無数の品々、しかも五大珍味のエンジェル・フルーツまであるではないか。全くどうかしている」
ハルバードが彼なりの皮肉を交えコメントするが、そこへ追随を許さないグンドがその弁舌を振るい始めた。
「甘いぞ、ハンバーグくん。エンジェル・フルーツという表面に囚われていてはいけない。よく見たまえ…その大きさ。普通のエンジェル・フルーツより一回り小さいだろう。それはエンジェル・フルーツの中でも極上の甘味の詰まったリトル・エンジェルという貴重な品種で、かのグマゴーバ王国が生産を手掛けているという噂以外は一切合切が謎。そして手に取ってみてほしい。口の中で溶ける、とは極上肉で良く言うけれど、触った瞬間に既に溶けているような、この新鮮な感覚。細胞という細胞が繊細な証であり…」
「待て。まず、俺はハンバーグじゃない」
しかし、そんなハルバードにはお構い無しに今度はトリティが語り出した。
「エンジェル・フルーツはその名前の通り、天使がどこかから持ってきたと言われる奇跡の果物、それはご存知かもしれません。しかし、知っていましたか。実はもう1つ、エンジェルという言葉には意味が隠れてるんですよ。ずばりそれは縁結びなんです。好きな人と1つのエンジェル・フルーツを分け合って食べると、両思いなら絶対に結ばれると言われるのは知る人ぞ知る都市伝説。それだけじゃありませんよ。そう、エンジェル・フルーツで世界一の幸せを手にしたと言われるあの天才パティシエ、フォレ…」
「待て。そもそも俺はエンジェル・フルーツ目当てで来ていない」
なぜかその後もハルバードがエンジェル・フルーツに関するそれぞれの言葉にツッコミを入れていくという流れは続いた。
「ほう。ハルバードくんは、キキマン大陸に向かうのかね」
いつしか、ピュクト父・ラビックとハルバードの間で会話が弾んでいた。
それはラビック持ち前の商才が、敵対心を忘れさせるほどに卓越していたからだろう。現に、ラビックは今までに何度も北陸や南陸で野菜を売り捌いて来た経験を持つ。相手にされないアウェーでの会話ノウハウが凄まじいのだ。
「ふん。キャスク=ベータがいる限り、マデフワンは手に負えん。他に心当たりがあるとすれば…やはり魔法発祥の地と言われるキキマン大陸をおいて他にない」
「ねえ、ハンバーグ。もう正統魔導師を倒すなんて物騒なマネはやめて、アタシたちと冒険の旅に出ない?」
プルーツがハルバードに提案した。すると
「ハルバードだ、ハンバーグじゃない。それと俺は、1人が好きなんだ。だが魔導師をどうにかするには…確かにまだ実力が足りない、か」
と、完全とまでは行かないが、とりあえず正統魔導師殺しは思いとどまったらしい。
(ふん。なんなんだ俺は、これじゃお人好しにほだされた、間抜け野郎だ。しかし…)
ハルバードは楽しげな団らんを過ごす一同に目をやった。
「悪くない、かもな」
「ハンバーグっち。どうかしたべか?」
「いや、なんでもない。だが俺はハルバードだ」
ちなみに、夕食も魚介類豊富なフルコースだったという。
夕食後、ハルバードは槍を返してもらい、旅支度を始めた。
「あれ、ハンバーグっち。泊まっていかねえべか?」
「ハルバードだ。まあ、屋敷に迷惑を掛けた以上…泊まるなど言語道断というものだ。暗黙の了解だろう」
しかしライドーンは、そんなハルバードを鼻で笑ってみせた。
「オメエっちに名言をやるべ。それはな、言語道断は自惚れか気休め、だ」
「貴様…、貴様は何を言っているのか、よく分からんな」
何を言われても反発する気であったので、意味不明に近い名言をもらってもハルバードには実際、返す言葉などないのだ。
「次に会う時は、また敵と思う事だ。じゃあな」
ハルバードは屋敷を去って行った。
「なんだべ、アイツっち。そんなの、言うなら俺っちではねえべ…」
しかし風呂に入るため、ライドーンは玄関から移動した。
「正統魔導師?」
銀髪の少年は、目を輝かせながら尋ねた。
「ああ、ボクは正統魔導師で、お前たちを守るために来たんだ」
「私もよ。みんな、よろしくね」
ラノヴェス大陸にある、とある孤児院。そこに2人の正統魔導師が訪れた。
救世主。―――孤児院の世話人たちは彼らをそう呼んだ。
「はい、今日はこの絵本を読んであげるから、みんな聞いててね」
「「はぁーい」」
男と女。それぞれ1人ずつやって来た正統魔導師が行っていたのは、各地を巡っての慈善事業であるらしかった。
「まだお若いのに、大した人たちで感心ですわね~」
「本当に。どうしたらあんなに良い子に育つんでしょ」
口々に正統魔導師を賞賛する声が上がった。
「正統魔導師…先生、ボクも正統魔導師になれますか?」
銀髪の少年は、先生と呼んで親しんでいた世話人の顔を診た。
次の瞬間、世話人は灰になった。
「あああぁああ」
ハルバードは目を覚ました。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
ハルバードは息を切らしていた。そして、自らが悪夢を見ていたと知った。
ララク岩橋の手前にあるララクの町。
その宿で、彼は目を覚ました。ヒューナフ王国を出て、既に何日経過したか彼は覚えていない。
(時間は苦手だ。今が何年かなんて知りたくもない。…逆算してしまうから)
記憶が無意識に消し去った、孤児院のカレンダー。だから彼はあれから何年経ったのかも、よく覚えていない。
「正統魔導師…俺はアイツらを知るために狂った。狂った人間の気持ちを知るには、俺も…」
トリティ=マデフワンをハルバードは思い出した。彼女とて正統魔導師になれていたなら、狂っていたかもしれない。
ハルバードは本気でそう考えていた。
「ブリュグニル。俺は間違ったかもしれない。やはりあの時、マデフワンをこの手で…」
相変わらず単なる斧槍に過ぎないそれを、ハルバードは見つめた。しかし、どんなに見つめたところでブリュグニルは本物の神槍になど、なりはしない。
孤児院が焼け落ちたあの日、正統魔導師は彼だけを殺さなかった。そして、何の気まぐれか彼の目の前に一本の斧槍を差し出したのだ。
「ねえ、お前はボクたちを…殺せるのかい?」
今でも、男のその言葉だけはハルバードが忘れる事の出来ないトラウマだ。
今のブリュグニルは、当時もらった斧槍ではない。しかし形は同形だ。
(殺せなかった。まだあの時は、俺は人間だったんだ)
ふと、ハルバードは右の手の平を上に向けて小さな火の玉を出した。
「うむ。これしきは、ようやく無詠唱で出せるか」
ハルバードは魔法で火を呼び出す時、悪魔をイメージする。そうする事で、自らが狂える気がしたからだ。
「キャスク=ベータ。そしてトリティ=マデフワン。ヤツらは狂わないで生きていけるだろうか」
敵であるという確信は揺るがない反面、ハルバードは彼らを心配もしていた。
何があっても狂わないで生きていける、―――かつての自分自身が彼らに重なって仕方なかったからだ。
「狂うなら、狂いきってくれ。そうすれば俺はお前たちを…」
と、その時。ハルバードは不意に悟った。
「そうか。そうだったのか。くく、やっと境地に達した。正統魔導師を、狂気を理解したぞ」
あるいは、かつての正統魔導師も今の彼と同じ思いだったのではないか。ハルバードはそう直感したのだ。
仮にそうでなくとも、1つの有り得る可能性は無数の可能性に繋がる。根底では、ハルバードは彼らと似たような存在でしかない可能性は、あるという事なのである。
そして、ハルバードは宿を出た。
キキマン大陸。―――最初の魔法が生まれた地への旅が始まろうとしていた。
「へい、ユー。少し道を訪ねたいんだが」
ハルバードの後方から、声がした。
「へい、無視されてるんだが…ユー、聞こえるよな?」
しばらく歩いたが、同じくらいの距離から声がした。それはつまり、声の主も同じだけ歩いたのだ。
「チッ、だったらよ。…俊足剣」
瞬間、ハルバードの前に紫髪の男が現れた。
「俺様は、ドンスレ…」
ハルバードもまた、瞬間、男を追い抜き歩き出した。
「くっ~。話の通じないガイだ。だが強いのは今ので分かった。どうしても俺氏の目は世界一の観察力を持つのだが」
ドンスレン=マグ。
銀の大剣を携え、その目はキキマン大陸を、そしてハルバードを見据えていたのだった。




