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第13話 耳という耳を見る事

本編より回想書くのが楽しいシンドローム。

 ツニナル洞、1日目の夜。


「耳という耳を見る事です」


 ヤックがそう言い出した。


 エルフはエルフである事を隠そうとする。あたかも、それは魔法使いが魔法使いである事を知られたがらないのに似ている。


 それを、耳という耳を見る、つまりエルフであるかを見て判断しながら、迫害に苦しむエルフを救済せよ。―――キャスクはヤックの言葉をそのように受け止めた。

 そして迫害を恐れ、怯えながら生きるエルフの民をキャスクは想像した。


「しかし耳を隠すエルフもいますよね。それに…たとえ迫害されているエルフだとしても、助けてほしいと思うかは分かりません」


 キャスクはしかし、そのようにヤックに尋ねたので、ライドーンが代わって反論した。


「そりゃ、どういう事だべ。苦しかったら助けてほしい。苦しんでたら助けてあげたい。…どう考えても自然な感情だ」


 ライドーンもやはり、ヤックの言葉をエルフ救済の言と捉えていたらしい。だからこその、そうした目線からの反論だ。


 ヤックが2人の発言に答えた。


「キャスク様の考えも一理あると思いますのは、余計なお世話、という価値観ですな。ことエルフという民は誇り高き民族と言われております。困ったら、助けてもらうより死んだ方がマシ。そんなエルフには私自身、何度も出会いました」






 ヤックが僧になり1年ほどが経ったある春の日の事だ。

 既に修行のために、ワーマルンク大陸巡礼の旅に出ていたヤックが護衛に雇った斧使いがエルフであった事がある。


 緑髪の、若い男のエルフだ。というか、エルフは髪色が緑という共通項を持つ。


 ただ、名前はヤックには名乗らなかった。

 上等なミスリルの鎧に白銀の斧を携えていたが、ヤックの護衛を「未熟な人間の尻拭いは最大の鍛練になる」とわずか銀貨30枚で受けた変わり者だ。


 そして、名前を名乗らない代わりに自らがエルフである事だけは告げた。エルフと分かる数少ない身体的特徴である尖った耳はミスリルの兜に隠されて見えなかったものの、ヤックはその情報をとりあえず信用した態度を示し、そして彼の得物に目をくれた。


「エルフなのに斧とは珍しいですな」


 ヤックは自己紹介の際にエルフにそう声を掛けた。


「うるさい、人間の癖に余計な世話だぞ。さあ、さっさと歩け。カネには興味ないが、時間は惜しいのだ」


 ワーマルンク大陸の東部、やや中央寄りに位置する帝都から北西の遠方なるブラヤンドの町。そこまでの道中で護衛を頼んでいた弓使いが大怪我を負ってしまい、共に護衛をしていた戦士と共に護衛依頼を辞退し、困り果てていたヤックからすれば、多少の傲慢さは見受けられても腕が立つ戦士であればありがたい。


「では、この町より更に北西にある、アカボーディ様の屋敷に向かいます」


 アカボーディ=ロア。

 ハバナール帝聖国の有力貴族の老婆で、町中には住まず森の奥に屋敷を構え、使用人のバリカという若い女のエルフと共に2人きりで暮らしている。


「アカボーディ様ならば、エルフに理解があります。悪く扱う事はないはずですよ」

「だから、それが余計な世話なんだがな。しかし仕事なら仕方ない、さっさと行くぞ」


 2日ほどかかる道のりを進んで行く中で、斧エルフはとにかく無言を好んだ。何かヤックが話題を投げ掛けるのだが、「うるさい」だの「俺には関係ない」だので話は弾まない。


 しかし戦闘の腕は確かで、ジャッカル相手に容赦なく斧で滅多打ちにしたり、大コウモリに小石を投げ、落ちてきた所を一刀両断するなど情け容赦はなく、更にポイズン・ドレイク―――青色の肌を持ち毒の息を吐く、竜の一種―――をたった1人で3分も掛からずに倒してしまうなど、戦争ともなれば第一線で活躍するであろう烈火のごとき仕事ぶりを見せていった。


「チッ、やはり銀貨30は安請け合いだったか」

「よろしいのですよ。働きに見合う対価は求めて当然です」

「…いや、いい。人間ごときに見下されるのはゴメンだ」


 ヤックは沈黙した。

 ヤック自身は差別や迫害はした事もされた事もない。そのため、斧エルフの気持ちを想像する事は出来ても、共感出来るほどの理解をしている自信までなかったからだ。


「さあ、ここらで一休みしましょうか」


 道半ばで、休むのに丁度よい木陰を見つけ、2人はそこでしばらく休憩を取る事にした。


「あの、そろそろ名前をお伺いしても…」


 ヤックは斧エルフに名前を聞いてみた。機嫌を損ねて依頼を断られてしまえば、それまでである。それから誰かがたまたま通りかかれば護衛を頼めるが、それも必ずしも上手く行くとは限らない。

 こと帝都の僧侶の護衛ともなればどんなに報酬が良くても、護衛に失敗した時の帝都からの厳しい制裁、すなわち禁固がある事を考えると中々首を縦に振らない者は多い。






 と、ここでライドーンが水を差した。


「お、おーい。ヤックっち。ちょ、待て待て…依頼失敗したら捕まるの? 俺っちたち」

「わはは。この洞窟くらいなら心配には及びません」

「意味が分からんべ。な、キャスっち」


 キャスクは予想を述べた。予想ではあるが、道中を振り返るとかなり確信があるようだ。


「きっとヤックさんは、まあまあ戦えるからだよ。ボクらの護衛は念のためであって、別に1人でも帝都には行ける…そうですよね」

「はい。ただ、皆さんは面白い、と思ったのもありますな」

「面白い…俺っちたちが?」

「ええ。一目見て、皆さんは一定以上の強さをお持ちだと分かりました。強い人というのは概して面白い。―――もっともこれは戦神教の教えでもなんでもない、私自身が見つけた持論ですよ」






「テュール…だ」


 テュール=ハンデロニス。

 それが斧エルフの名前のようだ。


 2人は木陰に座り込んでいた。

 それほどのんびり出来るのは、ヤックの魔除けの加護を無効とするほどの難敵がひしめく道中だが、木の近くに強力な礼拝塔があり魔物を寄せ付けないおかげだ。


 手入れが行き届いた白銀の戦斧を見つめながら、テュールは耳を隠すためという意味も兼ねたミスリルの兜をおもむろに脱いだ。


「出会い頭にお前にエルフと名乗ったのには理由がある」


 兜に隠れて分からなかったが、本来は肩あたりまで伸びている髪を兜に上手く畳んで押し込んでいたようで、男の物とは思えないさらさらした髪がふわりと風に舞った。


「理由…とは」

「エルフは勘が鋭いのだ。そして俺の勘が告げた。お前は信用するに足る徳の持ち主だと」


 エルフが実際に勘が鋭いのかは、人間であるヤックには分からない。


「ははっ」

「な、何がおかしい」

「もし、それを私が余計なお世話だと言ったら?」


 分からないなりのヤックの反撃だ。そしてすっかりしっぺ返しを食らったために、思わずテュールは閉口した。


「……」

「わはは。愉快な人ですね、テュール様は」

「人じゃない。誇り高きエルフの民だ」


 しかしこの会話がきっかけとなり、時折テュールは自らの意思で会話を投げ掛けたり、また気が向いた時にはヤックの言葉に返事するようになった。


「ヤック坊、知っているか。魂には行き着く所があり、生き物は死すとそのどこかに等しく向かうのだ」

「どこか…とは」

「さあな。ただ、その考えを知った時に、俺の中で命に対するこだわりが出来た気がする」

「……?」


 その後も順調に旅は進み、ブラヤンドの町を出て2日でアカボーディの屋敷がある森の入り口に辿り着いた。


「風呂に入りたい」

「それは夫人に聞いてください」

「いや、余計なお世話で良い。お前が計らってくれ」


 玄関の呼び鈴を鳴らし出てきたのは、高齢に差し掛かっているにも関わらず飴色のドレスに身を包み、しっかりした背筋をピンと張った、プライドの高そうな女性だ。


 それがアカボーディ=ロア、その人である。


「これは、これは。夫人自らにお出まし頂きますとは光栄の至りにございます」


 慇懃に挨拶するヤックに、アカボーディ夫人は見た目に反して謙虚な態度を示した。


「およしになって。客人に無益な気遣いをさせるのを私は望みません」


 アカボーディ夫人は、元はリンザーグ=ロア公爵の夫人である。そのため未だに公爵夫人と呼ばれる事も多い。


「主人が亡くなってもですの。本当、酷い話ですこと」

「はは…全くその通りですな」


 ヤックは自らをも遠回しに非難され、以後は夫人と呼ぶのを遠慮した。

 そんなヤックに一瞥をくれると、しかしアカボーディ夫人はほんのわずか憂いの眼差しを見せつつ夫、―――リンザーグ=ロア公爵の事を話し始めた。


 リンザーグはアカボーディ夫人が32歳の誕生日を迎えた日にその早すぎる生涯の幕引きを迎えた。享年41歳。

 奇しくも遠征の指揮を取る最中で妻への贈り物として、道に咲く白色のガーベラを詰んでいた矢先に、潜んでいたならず者の凶刃に倒れたのだ。


「あれからまだ白のガーベラだけは、見たくありませんのよ…」

「心中、お察し致します」

「ロマンチストな主人だったんだな」

「ええ。帝聖国軍に入らない人生なら、絵描きか物書きになってしただろう。―――それが彼の、リンザーグの口癖でしたわ」


 帝聖国は礼拝律制に伴い帝聖騎士団を創設したが、今なお軍も構えており、王帝戦役時代よりむしろ軍備は増強されている。

 そして、貴族階級の男は軍の指揮官など要職に務める義務が課されている。

 王帝戦役で戦争が終わり平和が訪れた、そう考える者はまだ少なく、いついかなる時にも戦に備えるべしという暗黙の支配は帝聖国の闇として、巷ではすっかり不満の種となっている。


「バリカ。お二方に紅茶を」


 呼ばれて間もなく、バリカらしき緑髪の女性が紅茶の入ったティーカップを銀のトレイに乗せてやって来た。


「失礼致します。お茶請けは羊羮でよろしかったでしょうか」

「ええ、ええ。相変わらず完ぺきですわよ」


 出された紅茶を啜り、先に言葉を発したのはヤックだ。


「―――ダージリフィですかな」

「まあ、帝都の僧にも少しは出来る御仁がいらっしゃるのね」

「いや…この香りを一度知れば、多少疎い私にも否応なしですわい」

「ほっほっほ、知った上で効いた口でございますよ」


 高飛車が老婆になったような女性だ、とテュールは羊羮を楊枝で口に運びながら思った。


「ただ、南陸のダージル地方でしか作られていないこの茶葉をご存知なのは、やはり素晴らしいわ。どうかしら貴方、私に仕える気はなくて?」

「滅相もございません。それに男子禁制のこちらにお勤めするならば、私は男性を辞めなければなりませぬでな。ははは」


 無口なテュールを差し置いて会話が弾む。と、気を利かせたのかバリカがテュールに茶のお代わりを尋ねた。


「俺は十分だ」

「まあ、そうおっしゃらず。それにそんなに警戒なさらなくとも、アカボーディ様は紅茶に毒を盛ったりしません」


 味わって飲むにしては、幾分ではあるがテュールは紅茶の香りを気にして飲んでいた。それをバリカは、服毒を警戒して、毒物の異臭を察知しようという疑いの行いであると見たのだ。


「…単に素晴らしい香りを楽しんでいただけだ。こんな茶は滅多に口に出来ない」


 そう言いながら紅茶のお代わりを頼んだテュール。しかし、


「夫人殿。少し、僧と話がしたい。席を外させてくれないか」


 テュールは次の瞬間にはそう告げ、何を思ったかヤックと共に応接間から出た。


 応接間から出ると、玄関に続く通路が左手に続く。右手に進むとどうやら厨房だ。バリカはそこに控えて呼ばれるのを待っているらしい。


「女、外の空気を吸ってくる。何かあれば呼べ」


 貴族然としてバリカにそう告げると、テュールはヤックと共に玄関を出た。


「せめてバリカさんとお呼びして差し上げては…」

「余計な」

「お世話、でしたか。はは、これは失礼致した」

「おい、ヤック坊」


 テュールは屋敷の訪問を適当に切り上げて、先に進もうと提案した。


「エルフとは言っても、他人は所詮他人。確かにこの家の者は親切に違いないが、ただそれだけだ。俺は慣れない待遇を好まぬ」


 そもそも、ヤックが屋敷に行こうと言い出したのを渋々着いてきたに過ぎないテュールの主張、これは至極真っ当な道理だ。

 ただ、テュールになテュールなりの格段の使命があるわけではなく、よってヤックの都合さえ合うなら急ぐ道理はないとも言える。

 ならばと、新たな道理を適度に与えるのがヤックのやり方である。


「テュール様。同族と共に過ごす事も時には修行ですぞ。心を開き、仲間というかけがえのない存在があなたには必要なのです」

「な、なんだ急に。それに、なぜそう言い切れるのだ」


 ヤックはテュールに、天涯孤独に近い寂しさを見出だしていた。ただでさえ差別や迫害の対象となりやすいのがエルフであるのに、テュールの持ち前である異常なプライドの高さはそれを増長していた。


(死相が見えるのだ。なんとかしてやりたいが…)


 ヤックはそう思いこそしたが、死相が見えるなど口にするのはやはり憚られた。そこでこう尋ねた。


「テュール様。同族だからと言って無闇に心に壁を作るのは、もしそれを人間がしていたらと想像してみてください。どうなると思いますか?」

「どうなる…だと。決まっているだろう。心に壁を作る様など、端から見てもあからさまだ。無理してそんな挙動に走れば愚行。どんなに強い戦士とて、決して一人前とは誰も言わぬ」

「では、テュール様。あなたの行いが、その行いでないと言いきる事が出来ますか?」

「それは、…」


 しばらくテュールは考え込んだが、やがて「確かにな」とこぼした。


「もう少しで俺が愚行に走る所だった、―――そう言いたいのだろう。そうした考えを理解出来ないほど、俺は朴念仁ではない」


 ヤックの説得もあり、2人はとりあえず屋敷に戻ったのだった。






 ライドーンは、うつらうつらと舟を漕いでいた。もうすっかり深夜なので、無理もない事だ。


 その様子を傍目に見つつ、キャスクはヤックに質問をした。


「それで、テュールさんはその後、どうなったのです。死相は消えたのですか?」


 ヤックは、遠くに目をやった。それはまるでキャスクからは見る事が出来ない、とても遠い場所であるようだった。


「テュール=ハンデロニスは、還らぬ人となりました。ほんの翌日の事です」

「よ、翌日…」


 キャスクは狼狽えたが、ひとまずヤックの話の行く末を聞き届ける事にした。最早それは、そうしなければならないほどに全てが重要な言葉であるとしてヤックの口から発せられていく。






「テュールさん、紅茶をご用意してあります」


 応接間で再びアカボーディ氏としばらく話している所に、バリカがやって来た。


「どうも…」


 ヤックが肘で小突く。もっと気を利かせよ、という意味だ。

 テュールは23、バリカは21。どちらも年頃で、色恋までは行かずとも縁があるのは悪い事などないというヤックの、完全なる余計なお世話だ。


 しかしテュールが口走ったのは、ヤックのみならずその場の誰もが知らない、隠された彼の出自であったのだ。


「…俺はレウト島に捨てられていた」






 テュール=ハンデロニス。その名前は、帝都の神官に与えられた仮の名だ。たまたまレウト島に用があって来ていたその神官は、しかし心から彼を助けたかったわけではなかった。


 テュールは5歳までを帝都で過ごした。しかしそれは決して幸せな毎日ではなかった。

 帝都の大義として、秘密裏にではあるが異人種は研究のために接せよという指針が神官たちには行き渡っていた。


 テュールを拾った神官はその考えにある程度、同調していたのだ。


(上手く育てりゃ、手当てが出る…そうしたらこんな窮屈な人生とはおさらばなんだ)


 しかしある時に、テュールは神官からの致命的な怒りを買ってしまう。


「テュール…いや、エルフ野郎。こっちに来い」


 そこには神官の飼い犬が無惨に殺されている光景があった。殴られ蹴られた末の失血死のようで、そこにいるのは毛並みが艶やかな茶毛の大型犬ではなく、ボロボロの変わり果てた姿になった犬の骸である。


「と、父さま。これは」

「父さまだと、この後に及んで…!」


 テュールの視界がぐるりと回転した。育ての親に殴られたのだ。


「お前が殺したんだろう、知っているんだ私は。日頃からサープを殺したいと吹聴していたそうだな」


 サープとは神官の飼い犬だ。そして、神官の言葉は部分的に正しかった。

 差別され、奴隷のような日々を強いられていたテュールは、事あるごとにその恨みをサープに転嫁していた。

 その時に殺したい旨の独り言を言っていたのが周囲に知れ渡っていたのだ。


「あ、あ…違う。いや、違わないけど俺はやってません!」

「出ていけ。いや、放任では何をしでかすか分からない。私が貴様の行き先を決めてやるから、二度と私の目の前に現れるな。分かったな」


 気付くとテュールは、馬車の荷台に揺られていた。しこたま殴られ、気絶したテュールを神官は馬車に預けたのだ。


 その後、テュールはブラヤンドの町で育った。帝都ほどの厳しい差別はなかったし、里親も親切だったが、テュールの心の傷は癒えなかった。





「俺は捨て子なんだ。こんなに親切にされるような存在なんかじゃない!」


 すると、テュールはまたしても外に飛び出してしまった。


「やれやれ。よほど外の世界がお好きなお方なのね」


 呑気に構えるアカボーディ夫人を前に、ヤックが機転を働かせた。


「行ってあげてください、バリカさん。エルフであるあなたにしか…彼を受け止める事は出来ますまい」


 言われるがまま、バリカはあたふたとテュールを追いかけていったので、応接間にはヤックとアカボーディ夫人が机を挟んで2人きりとなった。


「夫人、…失礼。ロア先生。私の判断は間違っているでしょうか。―――余計なお世話でしょうか?」


 それでもアカボーディ夫人は、のんびりと紅茶を一口飲み、羊羮を食べるために楊枝に手を伸ばしながら、こう答えた。


「人の心はままなりませんわ。それはエルフとて同じ…そうでございましょう? なれば我々はただ、運命の虜である以外に何が出来るというのです」


 ヤックは動けなかった。今、自らもまたテュールを追うのは容易い事だ。しかし果たして正しい行いとは何なのか、自らの心が分からなくなってきたのだ。


「運命の虜…。ロア先生、我々はもしかしたら、とんでもなく無力なのでしょうか」


 しばらくして、テュールはバリカと共に戻ってきた。しかし、テュールが涙を垂らした跡を顔に残している以外に、何が起きたのかはヤックたちには分からないのだった。


 そして、翌日。


 その日、不運にもアカボーディ夫人の屋敷を竜を従えた魔法使いが襲った。


「ヤック坊、起きろ。火事だ、火事だ」


 起こされ、ヤックは戦慄した。

 既に彼らがいる2階にまで火の手は回っており、焦げ臭いにおいがやけに鼻に付いた。


「夫人は、それに…バリカさんは」

「2人とも、ありったけの服でロープを作らせて裏手から逃がした。お前もそれに続け。敵は俺がなんとしても食い止める」


 ブラヤンドで落ち合おう、―――それが彼の最期の言葉となったのだった。






「むごい…べな」


 いつの間にかライドーンは目を覚ましていた。


「ええ。ミスリルの装備と焼死体が発見されました。おそらく彼はもう、…」


 暫くの間、その場の者は誰一人として口を開かなかった。

 ライドーンは、なんとなく泣きそうになっていた。前途ある戦士の死を悼んでの事だろう。

 キャスクはただじっと目を閉じ、何を思えば良いのか、何をも思わないのが良いのか分からなくなっていた。


(運命の虜…。テュールさんの運命に、幸福はあったのだろうか)


 ヤックの顔に終止浮かんでいる穏やかさも、今はただ苦々しいような、悔しいような表情に変わっていた。


 更に暫くの後に、ヤックが口を開いた。


「すまないとは思っております。こんな後味の悪い話をするつもりはなかったのです。しかし、エルフという民にまつわる何らかの因果を、私は彼から、…テュールから感じていたのだと思います」


 命に対するこだわり、…かつてテュールが口にした言葉の真意もまた、彼の死と共にどこかに去ってしまったのだろうか。


 けれども、テュールはこうも言った。


 魂の行き着く所。死した魂が等しく向かうどこかに彼もまた消えていったのだとしたら、そこにあるのが、何かかけらほどの救いだけでも…。

 キャスクはそう願わずにはいられないのだった。

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