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第1話 最強戦士は村にいる

初投稿となります。

よろしくお願いします!

 星馬暦1000年-ピアリハ74年。

 剣貿の時代が終わり、神官ニクツ=テルにより宗教が全てを支配し始めていた。

 宗教によって魔法の技術は秘匿とされ、かつて歴史を動かした魔法使いたちはその存在を否定され強い迫害を受けていた。

 しかし一方で、神への祈りによって光魔法を得た者だけはハバナール帝聖国の認めた魔法使い、『正統魔導師』となる事が出来る。


 キャスク=ベータ、20歳。

 ハバナール帝聖国には自然豊かな小さな村・ヤンカがある。そこで育った、その青年は今、同年齢の若者との決闘を始めようとしていた。


 ドンスレン=マグ。

 ウェーブが無駄に効いた紫色の長髪。その前髪を、木刀を持たない右手でかき上げながら、彼はキャスクに話しかけた。


「おいィ、青髪(あおかみ)。いつでもユーは俺氏を見下してくれちゃってるんだが。それってつまり、今日こそ俺氏がそのヤバい態度を改める日になっちゃうんだが!?」


 青髪とはキャスクの事だ。正確には青というよりは、むしろ目が覚めるような藍色の髪なのだが、ドンスレンという男にはそうした繊細な違いを分けて考えるための言葉がない。

 それは1つには、キャスクとドンスレンが育ったのがヤンカの村である事に起因していよう。そう、良く言えばとても素朴に育った、のである。


「スレン、キミは勘違いしてるんだ」


 しかしきっぱりとキャスクは彼の、ドンスレンの言葉を受け止めた。

 お互いが練習用に村の訓練場が貸し出している皮の鎧を身に付け、木刀を構えて向かい合う。そこには戦いの前の独特な緊張感が漂わっていた。

 よく晴れた真夏の昼下がり。剣術の稽古にはうってつけの時間だ。

「折角だから」その口癖を挟んで、キャスクは言葉を続ける。


「キミは何度でもボクに挑んで構わない。だって、―――」

「隙ありィ」


 キャスクが言い終わらない内に、ドンスレンは木刀をキャスクに向けて素早く突進してきた。


(腕を上げたな)―――キャスクは心底その脚力、瞬発力に感心した。しかし感心ばかりもしていられない。


 バシッ。


 カラカラカラ…


「えっ。……えっ!?」


 ドンスレンが両手でしっかり握っていた木刀は、地面に叩き落とされていた。しかも彼が気付かないほど素早く、である。

 そしてその瞬間的攻撃を加えたキャスクは、余裕の表情でこう言った。


「じゃあ、今から三発入れるから避けるんだ」


 ドッ、ドン、ドオッ。


 ドンスレンの右胸、左肩、そしてヘソの真上に神速の突きが繰り出された。キャスクもまた練習用の木刀を使っているとはいえ、この技を食らったものはドンスレンでなくとも、ひとたまりもないだろう。

 それは決闘とは名ばかりの一方的な試合だった。

 ()()、キャスクの勝ちだ。


(わあっ、しまった。つい今日もやってしまった)


「ごめん、スレン。ケガはない?」


 ドンスレンは、キャスクと同い年ではあるが、身分で言えばドンスレンが数段上だ。


 接待試合。その事をキャスクが忘れてしまったのは、今日でちょうど100回目。

 100戦100勝。それが彼の戦績であり、つまりドンスレンは100戦100敗なのだ。


「くっそう、青髪。ユーというヤツは」

「だから、ごめんってば」

「俺が気付きもしない反則はやめてくれと言ってるんだが? やれやれ、俺氏のグランドな心がなければ、いつでもユーの家は今ごろ、―――いや、よしておこう。だって実力からして当然、対等な試合なら、いや実戦ですら俺氏こそが」


「常勝ォ!」ドンスレンは両の拳を天に向かって突き上げた。


「そ、そうだね。多分…」


 話を合わせる、それがキャスクに出来る気遣いなのもまた、いつもの事だ。それに、実際問題、家柄は確実にドンスレンが上。下手を打てばキャスクの一族、ベータ家がマグ家に逆らったとなり、酷い目に合うのもまた確かなのだ。

 と、その時


「ドンスレン様。ドンスレン様ぁ~」


 いかにも村人Aという肩書きが似合いそうな村人がドンスレンの名を叫びながら、キャスクらに近づいて来た。すると呼ばれた本人、ドンスレンは前髪をかき上げてから―――この仕草は癖である上に、彼自身が最高にカッコいいと思っているのだ―――こう言った。


「なんだ、ユーか。騒々しいのだが」


 ドンスレンは都会への憧れが強い。そのため、話し相手のことは「あなた」ではなく「ユー」と呼ぶのだ。


「なんだ、ではありませぬ。ドンスレン様、―――あ、あとついでにキャスクにも、お願いしたい事があるんです」


 ヤンカ村は、ハバナール帝聖国の南東の国境付近に位置する。村人はそこから西にあるアセル草原という地に、とんでもなく強い魔物が出たので退治して欲しい、と言うのだ。


「見た事もない黒い大きな獣でして、村の者で倒せるとしたらドンスレン様、あなたしかいないんです」

「えっ。―――えっ、と。そ…そ、そうだよ。お、俺氏こそは、いつでもヤンカ1の剣豪、ドンスレン=マグ様なのだが」


 明らかに挙動不審なドンスレンに村人は気付かない。むしろ、戦いに向けて闘争心が高まり出したのだと勘違いすらしている。


「ふふ、では朗報を楽しみにしております。それとキャスク、ドンスレン様の技を見られるチャンスをやったんだ。しっかり務めを果たせよ」


 村人は、そう告げてその場を去った。


 キャスクの扱いは、ヤンカ村では並の戦士―――いや、最低ランクの強さのへっぽこ戦士だ。キャスクはとんでもなく強いのに、それを発揮出来るのがドンスレンとの決闘の場くらいしかないのがその理由だ。つまり本当のキャスクの実力は、世界中の誰もが知らないのである。


「よし、じゃあな青髪。早速だが俺は務めを果たしてくる。まあキャスクは、いつでも足手まといだから着いてこなくて良いんだが」

「う、うん。気を付けてね」


 ドンスレンは、自らを決して強いと思っているわけではない。ただ戦士という職業を選んだ以上は逃げてはならないという覚悟がある。

 そしてそれに関してだけは、つまり覚悟だけならキャスクより遥かに強いのだ。


 宣言通り、まもなくドンスレンは支度を整えた。木刀を青銅の剣に持ち替えて帯刀し、青銅の鎧を着込んだ様は、さながら戦士だ。戦士なのだから当然なのだが、ドンスレンは見た目だけなら強そうであり、それが村人に信頼を得ている理由なのである。

 そしてとうとう、ドンスレンはアセル草原に旅立っていった。


「でも心配だなあ、スレンも弱くはないけど。―――よし、折角だから尾行しよう」


 キャスクもまた、旅支度を整えるために帰宅した。


 ベータ家―――元は代々続く、農民の一族である。

 しかしキャスクの父は一念発起して戦士となった。一代で築いたその稼ぎでようやく建てた、立派なレンガ造りの家がキャスクの自慢だ。


「ただいま、母さん」


 キャスクの母は、もういない。キャスクが生まれて間もなく、出産後のショックで死んでしまったのだ。

 だから、キャスクが声を掛けたのは母の肖像画である。


「母さん、ボクは立派な戦士になりたい。スレンみたいに勇敢で、父さんみたいに強く」


 キャスクは昔から臆病で暗い性格が災いし、長い間、苛められてきた。それを見かねたドンスレンが剣術を教えてくれなかったら、今のキャスクは確実に存在しない。

 ドンスレンはキャスクの剣の師匠なのである。


 キャスクは母の遺影に向かって三度の礼をした後、青銅の鎧を着込み青銅の剣を腰に下げた。念のため、薬草が入った袋も腰に結わえた。


「訓練所の係員さん…皮の鎧は、後で絶対に返します」


 ドンスレンが村を出て、もう10分ほど経ってしまった。急がねば何が起きていても、おかしくはないのだ。


「まあ、心配しすぎだとは思うけどね」


 キャスクがいつしか剣術の腕を上げてしまっただけで、ドンスレンでもゴブリン程度ならば倒せる。

 しかし、村人が言うには黒い大きな獣だと言う。キャスクもドンスレンもアセル草原は何度か、村からの依頼で行った事があるが、そんな獣は見たことがない。


「母さん、行ってきます」


 静かに木製の扉を開き、遂にキャスクはアセル草原へと向かい歩み始めた、―――いや、遅れを取り戻そうと、全力でダッシュし始めた。


 ところでキャスクとドンスレンは、ヤンカ村ではたった2人の戦士だ。魔法使いはいないので、戦えるのはヤンカ村では2人だけという事になる。

 昔はキャスクやドンスレンの父親が、ヤンカ村に降りかかる困難の全てを振り払っていた。


「よし、草原が見えてきた。父さん。ボク、頑張るから」


 キャスクの父はハバナールの帝聖騎士団に選ばれたので、戦士ではあるが今は滅多に村には帰らないし、ドンスレンの父は役人として出世したので、村にはいるが滅多に剣を振るわない。


 もっとも、それはそれとしても黒い大きな獣の姿を想像してはゾッとするような結末を思い描いてしまうキャスクがいる。


「アセル草原…広いんだよな、思ったより。スレンは、どこだ?」

「ぎゃあああ。誰か助けてくれえ」


 ドンスレンの叫び声だ。声が聞こえてきた方向に、キャスクは走っていった。


「グァルルル」


 黒い大きな獣、確かにそれはそこにいた。しかし、大きいなどというレベルではない。軽く見ても3メートルほどの高さがあるであろう、犬型の獣だ。


「青髪、なんで来た。俺氏が1人いれば余裕なのだが」


「叫んでなかった?」と聞きたいキャスクだが、獣は物凄い速さで突進してきた。


(―――! スレンの2倍速い)


 キャスクは余裕を持って避けたが、ドンスレンは直撃を受けた。3メートルほど後方に吹っ飛んだが、受け身は取れたようだ。


「くっそう。…いや、いやいや。青髪、違うんだが。今のはアレだ。油断しただけだが」

「う、うん。分かってる」


 キャスクはドンスレンに、なんとかして獣を倒して欲しいと考えていた。キャスクになら一撃で殺せるという確信があるが、ドンスレンに花を持たせてやりたいという弟子心なのだ。


「スレン。折角だからパターンBで、どうかな?」

「あ?ああ、そうだな。問題なしだが」


 だが、というのはドンスレンの口癖なので、ドンスレンとしては「パターンBで問題ない」と言っているわけだ。


「行くよ」「おう」


 二手に分かれ、獣の前方にはキャスク、後方にはドンスレンがいるような陣形となった。

 すなわちパターンBとは、キャスクをオトリにしながらの挟み撃ち作戦だ。


(ちょうど、スレンからボクは見えない。―――本気を出せる)


 キャスクは青銅の剣を鞘から抜き出して構えた。その構えは父から教わった技をキャスクなりに改良した我流奥義の構えだ。


真空十字斬(クロス・ブレイク)


 ザザゥ、と縦斬りと横斬りを同時に放った。

 構えから工夫し、限りなく斬撃の中心に刀身を寄せる事によってギリギリで放てる、キャスク最強の技だ。


「究極ドンスレン・ブレイィドォ」


 獣の背後から何か声がする。そう、ドンスレンもまた何らかの技を放ったのだ。

 タイミングよく、獣は十字に切り裂かれた。あたかもドンスレンがとどめを刺したような感じに上手く獣を倒せたのだ。


(よ、良かった。ゆっくりめに斬った甲斐があった)


「どうだァ。十字に斬った覚えはないけど、なんかめっちゃ派手にチギれて行ったんだが」

「ほ、本当だね。ボクなんかが技を出す前に、獣が死んじゃったよ」

「いやいやいや、俺氏の身代わり、ご苦労」


 ちなみにパターンはAとBしかなく、Aはドンスレンが敵の前面に出る挟み撃ちだ。

 とにかく、これで帰れるのだ。村人からの依頼は無事に完了した。


「ふう、危なし危なしだったな。俺氏がいなければユー、今ごろ喉元かっ切られて、こんなになってたんだが」


 ドンスレンは自らの首の前で、右手の親指を左から右に横切らせた。


(それは確実にキミだったよ。位置が逆だったらね…)


 などと思うものの、師匠であるドンスレンを立てないわけにはいかない。


「良かったよ、スレンがいてくれて。最強戦士はヤンカ村にいるって自慢してもいいかい?」

「ハッハァー! よせ、よせ。そんな本当の事が知れたら、モテてしょうがないだろ?こう見えて俺氏は硬派なんだが」


 ご満悦のドンスレン。しかし、


「スレン、危ない!」


 何かが急に来て、キャスクはその何かからドンスレンを守った。


 キイィィン…!


 青銅の剣が甲高く鳴り響く。あと一瞬でも遅れていたら、ドンスレンはただでは済まなかったかもしれない。


「あっ、お前はさっきの獣!?」

「本当だ。十字の傷があるんだが」


 黒い獣が蘇ったのだ。そしてどうやら、先ほどのキャスクの斬撃の傷を塞ぎきれていないらしいのである。

 しかし切り裂いたはずの獣が再生している、という状況を、キャスクたちは今までの生活の中で見たことがない。


「ドンスレン、どうしよう」

「決まってる、今度はパターンAなんだが。さっきの礼だ、行くぞ」


 ドンスレンは颯爽と獣の前に陣取り、早く敵の後方に回れとキャスクを促す。


(―――どうしよう。確実にドンスレンが、死ぬ)


 先ほど獣がキャスクたちに突進してきた時に、キャスクは獣の速さがドンスレンの2倍と感じた。そしてキャスクのそうした感覚は正確だ。

 それは、つまりドンスレンでは遅すぎて獣のオトリには、なれないという事を意味している。


「安心しろ、俺氏は死なん」

「―――!」


 ドンスレンはたまに、キャスクの内心を見透かすような事を言う。そして今もそうで、まるでキャスクの心配など知っているかのような口ぶりだ。

 だが、今までドンスレンがそうなった時は、どんなに窮地でも生き残ってきた。


「スレン。…任せた」


 そして獣の脇を通り抜け、キャスクは剣を構えた。しかし、である。


「どうすれば良い? 獣が不死身なら斬っても、また蘇る。どうすれば…」


 キャスクは瞬時に頭を巡らせた。数十匹のゴブリンを相手した戦いや、盗賊がヤンカ村に攻め込んだ時の、ドンスレンの父をも交えた共闘。それらは、しかし今のキャスクには何のヒントにもなりそうにない。


(考えろ、キャスク=ベータ。スレンを見殺しにするのか)


 キャスクは自分で自分に言い聞かせた。今、出来る事は何か。


「―――ぐわあ」

「しまった、スレン!」


 悲鳴が聞こえた。しかし戻る時間は惜しい。


「仕方ない。もう一撃の、真空十字斬だ」


 目の前の獣を斬るしかない。それがキャスクの精一杯なのだった。


「スレン。スレェーーン」

「…んだ、騒々し、…ぞ」


 ドンスレンの額は、獣の爪で深く切られていた。出血もひどい。


「ごめん、スレン。ボクが、ボクがもっと強ければ」

「なめ、んな…。俺氏は、ドンスレ、…ン」


 ドンスレンは意識を失った。流れる血は止まるどころか、ますます勢いよく吹き出てきた。


「―――さない」


 キャスクは呟いた。


「グァル? グルルァグラァアアア」


 一方、黒い獣は既に復活し、ドンスレンに駆け寄ったキャスクの背後にいた。


「許さない、と言ったんだ」


 キャスクは涙を流していた。そして自分でも驚くほどの大量の真空十字斬を一度に放っていた。

 黒い獣は、今度はかけらも残らないほどに細切れにされ、もう二度と復活出来ないのだった。


 数日後のヤンカ村。その日は一日中、雨だった。


「先生、スレンはどうですか」


 キャスクは帝都からの医師に、ドンスレンの容態を聞いた。


「うむ、信じがたい事に、死の狭間でギリギリをさ迷っておるな。精一杯、声を掛けてあげなさい」

「そ、そんな。スレン、嫌だよスレン」


 スレンは、見覚えのない場所にいた。


「あっれえ。俺氏、確かブラックワンワンと戦って、それから、―――そういえば、青髪もいないんだが」


 赤黒い不気味な空は、彼が子どもの頃に両親に読み聞かされた絵本に出てきた魔界に似ていた。


「こわっ。ていうか、何、俺氏もしかして死にかけ?」

【スレ…。ス…ン。嫌だ…】


 どこかから、聞き覚えのある声がした。


「青髪、なの…か?」

【スレン。……えてよ】


 いよいよドンスレンには、その声の主がキャスクだと分かってきた。


「おーい、青髪。元気がないんだが。あ、まあ俺氏はもう死ぬけど。まあ、達者でなあ」


 ドンスレンはどこか達観していた。というか、実はドンスレンだけは知っていたのだ。

 いつしかキャスクが自らを、いや、キャスクの父すらも超える戦士の実力を持っていた事を。そして、達観というのは足を引っ張っていた自分は死んで当然という、そうした境地だ。


 しかし、声、おそらくキャスクの物である声は、ドンスレンに語り続けた。


【剣をまた教えてよ、スレン。ボクは、スレンがいなかったら強くなれなかった。まだ1割も教えてくれてないんでしょ。だったら死んじゃダメだ。そんなの……ダメなんだ】

「青…髪。俺氏を、許してくれ。俺氏じゃあ、もう…」


 キャスクは、スレンの体を揺さぶった。


「スレン!もしキミがその程度って言うなら、ボクは、ボクは、―――」

「こ、これ、キミ。患者は重症なんだ」

「すみません、つい…」


 するとその時、ドンスレンの口がかすかに動いた。


「…スク」

「スレン!ボクだよ、青髪だよ」

「キャス…ク。俺…氏」


 ドンスレンの目から、涙がこぼれた。


「俺…氏の最強の…弟子」

「そ、そんな事ない。スレンはヤンカ村の最強戦士だ。ここで死ぬわけはないんだ。そうだろ?」

「ハ…ッハ。そ…うか…な」


 ドンスレンは、あの世とこの世の境目あたりにいた。


(光がある場所をアイツが、―――キャスクが教えてくれる)


 この世であろう、光の海から手を伸ばす誰かがいる。きっとそれは、キャスクだ。


「俺、今度は、―――いや、今から俺はキャスク、お前を越えてみせる」


 そしてドンスレンは、差し出された手を掴んだ。


「キャスク」

「スレン…おかえり!」


 更に数日後の、ある日のヤンカ村は決闘の日のように晴れていた。


「それにしても凄いね、スレンは。お医者さんは、下手したら1年あっても治るかどうかって」

「ハッハァー! 俺氏を何様だと思ってる。マグ家の大黒柱にして死をも超越した戦士、ドンスレン=マグ様なんだが」

「あはは。確かに、すっかり元のスレンだ」

「あ? 俺氏が、らしくなかった瞬間などあったか。いや皆無なんだが」


 ドンスレンがキャスクをキャスクと呼んだのは、死の淵から戻ったあの日だけだったようで、今ではすっかりいつものドンスレンだ。

 ただ、今までと変わった部分もある。


「青髪、今の技は何だ」

「ご、ごめんスレン。何か間違ってた…かな?」

「違うんだが。今の技は、その、―――どうやって出したんだ」


 今までは、偶然の産物だの隠し魔法だのと相手にして来なかったキャスクの剣技を、ドンスレンが知ろうとするようになったのだ。


「構え方が大事なんだ。よく見ててね」

「えっ。よく見ないと厳しいのか」

「うん。本当に繊細な感覚が必要なんだ」


 キャスクは真空十字斬の出し方さえ、惜しみなくドンスレンに教えた。そんな日が来るとは思わなかったキャスクにとって、素晴らしい時間なのは言うまでもない。

 なにせ、それは師匠であるドンスレンに少しだけ、認められるようになったという事に他ならないからだ。


「こう、構えるだろ。―――こうか?」

「うーん。構えは悪くないけど、今度は踏み込み、かなあ」

「2人とも、最近やけに熱心だな」


 ドンスレンの父だ。親子なだけあり紫色の髪だが、役人ゆえか、よく刈り込んだ生真面目そうな短髪だ。


「親父、青か、じゃないや、キャスクくんは最近、腕をかなり上げたんだ」

「ふん、お前はどうなんだ。騎士になるか役人になるか、いつかは決めねばならん」


 戦士という仕事は、他の専門的な職業の下積みでしかない。今はたまたま村出身の2人が戦士をしているから雇わないだけで、戦士程度なら実際、村の予算でなんとかなるのだ。

 給料も大してもらえないのに、ただの戦士で一生を終えるなんて事実上、不可能なのである。


「親父。俺は、旅に出ようと思ってる」

「何ィ? 正気か、お前」

「スレン、そうなの?」


 キャスクを一人前に育てたら、そうする。それはドンスレンにとって、兼ねてよりの決定事項だ。


「青髪。ユーはどうする? 俺氏と共に行くか、よく考えてほしいんだが」

「う、うん」


 人の道は変わりゆく。

 キャスクの道、すなわち運命もまた、その歯車を静かに動かし始めたのだ。


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