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お目当てのものは、滑走路脇に併設された木造ハンガーに駐機されていた。
ティナは目を輝かせながらレイラの肩をゆする。
「見てよ。あれ〝フェスカ〟じゃない? 絶対そうよ!」
ティナの指差す先には、一機の単発戦闘機が鎮座している。
濃いグレーに迷彩されたその機体は、液冷エンジン特有の細くに引き締まった鼻先を持っていた。しかし、外見上のスマートさに反して〝モランデル〟よりひと回り大きいようである。また、主脚は引き込み式になっており、機銃のひとつはエンジンの同軸上、つまりプロペラの中心から弾が発射できるように配置された『モーターカノン』が採用されていた。
外観からわかる特徴だけで、いかにその機体が先進的であるか容易に想像がつく。
同じく〝フェスカ〟に目を向けたレイラは、肩にかかるティナの手を振り払ないながら冷静に答える。
「確かに本物の〝フェスカ〟みたいね。私も初めて見るわ。だけど、なんで敵の最新兵器がこんなところにあるのかしら」
そもそも〝フェスカ〟は、ティナの母国と敵対する反政府側の航空先進国が開発した主力戦闘機だ。
現政府側に属するティナたちにとって、言わば敵の主要兵器である。
「義勇軍のものじゃなさそうだし、内戦が始まる前にここの国が買ったか、譲渡でもされたんじゃない? そうでなければ鹵獲したとか、機体と共に敵のパイロットが亡命してきたとか」
二人はそのままハンガーの中に入り、まじまじと〝フェスカ〟を眺め始める。
近づいてみてもその洗練さは色あせず、部品ひとつひとつの細部からは技術力の高さがはっきりとにじみ出ていた。
ティナは機首に据えられたプロペラを撫でながら感嘆とした様子で呟く。
「綺麗な機体……私の〝モランデル〟より高く飛べるんだろうなぁ」
「一〇〇〇馬力もない〝モランデル〟と比べたらこのコが可哀そうよ。まあ、この液冷エンジンがマトモに動くかわからないけど、公称スペックで見たら三割くらい負けてるんじゃない?」
「ドッグファイトでなら負ける気がしないけどね」
ティナは〝フェスカ〟の主翼を回り込んで機体の側面に移動する。
ボディは綺麗に磨きあげられていたが、ところどころ被弾して修復した個所が見てとれた。それだけで実戦を経験した機体であることがわかる。
ふとコックピットの後ろに目をやると、所属国を表す青十字のマークが丁寧に描かれている。澄んだ空色をしているそのマークは、機体の濃い迷彩がコントラストを強調して綺麗に浮かび上がっていた。
ティナはそのマークを指でなぞってみる。先ほどからペットでも扱うかのようにベタベタと機体に触れているが、ティナは琴線に触れるものがあると何でも触りたくなるクセがあるのだ。
「この国の識別章がペイントされてるから、味方の機体みたいね。誰が乗ってるんだろう」
「そいつは俺のだ」
突如発せられた第三者の声に、ティナとレイラは驚かされた。
二人揃って振り向いてみると、ハンガーの入口に一人の男がたたずんでいる。
長身でガタイのいいその男は、濃く青味がかった軍服を纏っている。顔は若々しく端正だが、鋭く細められた目は人を寄せ付けない類の雰囲気を放っていた。
男は、二人の顔を見て少しだけ動揺の色を示した。
「女……そうか、お前達が例の義勇軍のパイロットか。誰の許可を得てここに来た」
威圧的な態度を受けて固まるティナに対し、先に反応を示したのはレイラだった。
「あらごめんなさい。配属されて間もないから自主的に基地の見学をしてたのよ。これから一緒に戦うことになるんだから、何でも知っておかなきゃいけないでしょ?」
「ちょっとレイラったら……」
レイラは目ざとくも男の襟についた階級章を確認し、男の階級が自分と同じであることを承知した上であえて偉そうに振る舞う。
たとえ国が違えど、軍の階級序列というものは大方通用するものだとレイラは考えていた。
対するティナは、そんなレイラの考えなどわかるはずもなく、面倒事にならないよう祈りながら場を見守ることしかできなかった。
男はレイラの挑発に乗ることなく鋭い声で話を続ける。
「いくら義勇軍とはいえ、我が軍の装備を何から何まで見せるわけにはいかない。それくらいのことはお前達にもわかるだろう。今日のところは見逃してやるからとっとと兵舎へ帰れ」
「それもそうね。いい機体だったからついつい見入っちゃったのよ。アナタと一緒に飛べる日が待ち遠しいわ」
そう言い放つと、レイラはティナに目配せをしてそのままハンガーを後にする。
ハンガーから少し離れたところで、ティナは滑走路脇を堂々と歩くレイラに対して心配そうに声をかけた。
「ちょっとレイラ、ここは母国じゃないのよ。強気なのはいいけど問題起こさないでよね」
「ティナは胸もないけど度胸もないのね。あんな男、大したことないわよ」
「別に胸はないわけじゃないし、無謀をするための度胸なんて別にいらないから」
ティナは不満と対抗心を抑え、必要以上に背伸びをするレイラに釘を刺す努力をしていた。
二人は互いに自己主張の強い女であるが、本能に忠実なティナと違ってレイラのそれは自尊心から来ている節があった。つまり必要以上にプライドが高いのだ。
ティナはそんなレイラのことを余計なお世話とわかりつつも心配していた。
「レイラはすぐそうやって男女を引き合いに出すんだから。自分でも言ってたけど、あの人とはあくまでも仲間なんだからちょっとは仲よくする努力もしないと」
「フン、なんだか偉そうなヤツだったし慣れ合うなんてお断りよ」
「偉そう」という単語を聞いて、ティナは少し引っかかるものを感じた。
確かに、さっきの男は高圧的な態度をとっていたが、それは警告のためであって自分の立場を棚に上げている様子なかった。
むしろ、やろうと思えば二人が義勇軍であることや女である部分をついて攻撃することができたハズだ。そのようなときに一番多い言い草が「これだから女は」理論である。ティナは今までの経験からそれをよく心得ていた。
「あの人、別に悪そうな人じゃなかったけどなぁ」
「どこ見てたのよ! 目つきから性格の悪さがにじみ出てたじゃない」
ティナは他人に噛みつく愛犬の調教に失敗したようなやるせない気分に陥ったが、とりあえず頭の中を切り替えて先の男のことを思い出してみた。
美しい機体を持つ端正な男――ティナがあの男に興味を抱くとしたら、どんな操縦をするかという一点に尽きる。
機体の被弾痕から男が実戦を経験しているであろうことは伺い知れる。直感的に腕のあるパイロットだと確信していたが、その腕とはティナやレイラのような操縦技術だけに裏付けられたものではない。実戦を経験した者だけが得られる「凄み」こそが、男の持つ実力の根拠になっているのではないかとティナは薄々感じていた。
生真面目で厳しそうだが鼻にかけた態度をとらない男――ティナの頭の中には、母国で別れた隊長の顔が浮かんでいた。どことなく雰囲気が似ていたので、もしかしたら隊長も昔はあんな人だったかもしれないと想像が膨らむ。
ティナは、おもむろにポケットからあるものを取り出した。
それは、隊長との別れ際に餞別で受け取ったコンパスだ。それは、軍用品ではなくデザインに凝った小型の装飾品だった。
コンパスは飛行機乗りとしては欠かせない装備品である。しかし、わざわざ機内に持ち込まなくとも機体の計器盤に専用のものが搭載されている。言わば、お守り的な意味合いを込めて贈られた品だ。
隊長は別れ際に素っ気ない態度でこれを渡してきたが、小物売り場を回ってこれを選んでいる姿を想像してみると微笑まずにはいられなかった。
同時に、指揮所で隊長が一瞬だけ見せた不格好なはにかみ顔を思い出す。
〝フェスカ〟に乗る男――あの男も隊長みたいに笑うことがあるのだろうか。
不意に繋がった二人の男は共に戦場での経験を背負っている。
ティナは、隊長からの忠告を思い出して複雑な気分になった。