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ティナの放った機関砲弾は、ある一点へと吸い込まれていった。
徹甲弾がアルミの外板を粉砕し、部品をバラバラに砕く。
ティナが狙ったのは、なんとベッカーの操る〝黒いフェスカ〟の尾翼だった。尾翼の一部を破壊された〝黒いフェスカ〟は、その衝撃によりバランスを崩して大きく速度を失う。
そして、そのタイミングこそが紙一重だった。
同時に射撃を開始した〝白いフェスカ〟は、急減速した〝黒いフェスカ〟を捉えきることができず、的確な射撃の機会を逸した。
それでも食い下がる〝白いフェスカ〟は、追突ギリギリの位置まで接近して渾身の射撃を行う。
〝黒いフェスカ〟の機首を捉えたその機関砲弾は、エンジンに数発命中する。本来は操縦席を直撃するはずだった弾は、〝黒いフェスカ〟の息の根を止めるに留まった。
ティナの行動に驚愕しながらも射撃を終えた〝白いフェスカ〟は、再び姿勢を整え仕切り直しを図る。
しかし、その判断は一歩遅かった。
ギリギリまで近づいて射撃を行った〝白いフェスカ〟は復帰のタイミングを逸し、〝モランデル〟の射線上に飛び出ていたのだ。
だが、〝モランデル〟に弾は残されていない。先の射撃により機銃・機関砲共に全て使い切っていた。
それでもティナは、照準器に〝白いフェスカ〟の姿を捉え続ける。
ベッカーの命を救ったとは言え、エンジンの停止した〝黒いフェスカ〟は滑空するただの的になり下がっている。ここでティナが〝白いフェスカ〟を仕留め損ねれば確実に逆襲される。
であれば、どうすればいいのか。
簡単なことだ。このまま〝白いフェスカ〟を捉えながら真っすぐ飛べばいい。そうすれば〝白いフェスカ〟と〝モランデル〟は衝突して共に粉砕する。
ティナは覚悟を決めて操縦桿をいっそう強く握りこむ。
結局、実力で勝ったとは言えない勝負だった。
最後は戦闘機乗りのプライドまで捨てた「体当たり」で決着をつけようとしている。そんな戦いであっても、ティナの胸は満足感で溢れていた。
これでベッカーを救うことができる。
もはや何の未練も感じない。むしろ、早くレイラの元へ行きたいとすら思えてくる。
気がつくと、〝白いフェスカ〟の姿が照準器いっぱいに映り込んでいた。
――なんて美しい機体だろう。
間近で見ても色あせないその美しさは、雲に溶け込み至高の輝きを放っている。
あと三秒もすれば〝モランデル〟と〝白いフェスカ〟は空中に大きな花びらを散らすことになる。
――ごめんね。
それは〝モランデル〟に向けた言葉だった。
共に歩んできた相棒なのに、最後は自分の我儘を〝モランデル〟に押しつけてしまった。悔いがあるとすればそれだけだ。
体から飛び散ったティナの血は〝モランデル〟の操縦席を赤く染める。傷つきながらも素直に飛ぶ〝モランデル〟は、まるでティナの意思を受け入れていたかのようだった。
最後の瞬間が訪れ、ティナは目を瞑る。
そして、考えるのを止めたそのとき、無線機から鋭い声が届く。
『時計の針を止めるな!』
空の上で幾度と聞いてきたその声は、体の芯にまで響き渡った。
時計の針を止めるな――その言葉は、レイラの懐中時計を受け取った際に言われたセリフだ。
初めは、単に壊さずに持っていろと言われただけだと思った。しかし、その真意は違うところにあった。
レイラが死んでから無情に戦い続けていたティナの時間は、ベッカーから懐中時計を受け取るまで止まり続けていた。
時計は誰の意志にも関係なく、時を刻み続ける。
あの言葉は、そんな時の中にいて自分の意志を過去に置いて行くなという意味だったのだ。
意志だけではない。ここで生きることを止めれば、ティナの時間は永遠に止まることになる。それは、死んでもなおティナの中で生き続けるレイラの時をも止めることを意味していた。
一気に覚醒したティナは、反射的に操縦桿を引く。
次の瞬間、機体はすさまじい衝撃を受ける。
だが、バランスを崩した〝モランデル〟はティナの意思に従い、まだ操作を受け付けることができた。
真っすぐ飛ぶことすらままならない状況だが、なんとか水平飛行に移行する。
ティナは、〝モランデル〟の最大の特徴である主脚を〝白いフェスカ〟にぶつけたのだ。
大きく突き出した固定脚は強度もあり、飛行しているだけなら無用の品だ。操縦席からは確認できないが、今やその特徴ある脚は無残に破壊されていることだろう。
後方に目をやると、主翼を折られた〝白いフェスカ〟は、スピンしながら雲の中へと吸い込まれていく。空に舞うのはバラバラになったアルミ片だけだ。
〝白いフェスカ〟の輝きは永遠に失われた。ティナは〝白いフェスカ〟を葬り去り、全ての因縁を断ち切った。
『相変わらず無茶なことをする……』
全てが終わりを告げると同時に、穏やかな声が無線機から放たれる。
ティナはふらつく機体をなんとか操作し、滑空を続ける〝黒いフェスカ〟に近づいた。
どうにか〝白いフェスカ〟を撃墜できたとは言え、今の状況は芳しくない。互いに機体は満身創痍だ。
「そんなことよりベッカー中尉。エンジンの再始動はできますか!」
『無理だ。一八ミリ機関砲弾が命中したんだろう。エンジンを載せ替えないとコイツにはもう乗れないな』
そう答えるベッカーの声は、何故か聞いたことがないほど陽気に聞こえた。
「でも、それじゃあ……」
対するティナは悲痛な声をあげる。
エンジンが再始動できないということは、このまま滑空を続けて近場に降りるか、機体を捨てて脱出するかしか選択肢がないということを意味している。
更に、ここは敵の勢力圏内だ。うまく地上に降りれたとしても、味方勢力圏まで脱出できる保証はない。
『……』
突如として無線機から声が途絶える。
慌てて〝黒いフェスカ〟に近づき操縦席に目をやると、ベッカーが手信号を送ってきた。
《バッテリーが壊れた》
ティナはどう返していいかわからず、心配そうな面持ちでベッカーを見つめ続ける。
《燃料が漏れてる。怪我をしている。早く帰れ》
続くベッカーの手信号を受けて計器を確認してみると、確かに片側の胴体燃料タンクが空になっていた。体当たりをした際に配管でもやられたのだろう。残った燃料だけで飛行距離を計算すると、ギリギリ帰れるかどうかといったところだ。
それに、先ほどまで興奮でまったく気にならなかったが、体に機銃弾を浴びていることをすっかり忘れていた。傷のことを思い出すと、急に鈍痛が襲いかかる。
《命令だ。早く帰れ》
ベッカーの無事を見届ける気でいたが、うかうかしているとティナも敵地に降りざるを得なくなってしまう。それに出血の量も心配だ。
ティナは、ぶつかりそうになるほど機体を近づけ、最後とばかりにベッカーの顔を見届ける。
ゴーグルを外したベッカーは笑顔を浮かべている。普段の顔からは想像できない、ちょっぴり不格好なはにかみだ。
《すぐ戻る》
そういった旨の手信号を出すと、徐々に高度を落とした〝黒いフェスカ〟は雲の中へと落ち込んで行く。
ティナは、何度も頷きながらこれに答えた。
いつの間にか頬には涙が伝ってた。
ベッカーに泣き顔を見られてしまっただろうか。それでも構わず笑顔を作る。こんな血まみれの顔だと心配されるかもしれない。
様々な思いが頭を巡っているうちに、〝黒いフェスカ〟とベッカーは雲の中へと消えていった。
「すぐ戻る」とはどういう意味だろう。基地にすぐ戻るということだろうか。それとも、ティナのもとへすぐ戻るという意味だろうか。相変わらず不器用なところは変わらない。
ティナは血と涙を拭い、操縦桿を引いて機首を基地に向ける。
満身創痍のティナと〝モランデル〟にとって、これからのフライトは苦難を伴うことが容易に想像できた。
それでもやるしかない。
ベッカーは戻ると約束した。それならば、ティナもそれに応えて基地で待っている義務がある。
「行くわよ。相棒」
そう囁いたティナは、スロットルを上げて機体を増速させる。
対する〝モランデル〟は、損傷など感じさせないほど快調な唸りをあげた。
いつの間にか日が傾き、雲は緋色に染まる。
コックピットから見える〝モランデル〟の青い翼が夕日を反射させ、ティナの顔を照らし出す。
その顔に涙はなく、悲しみの色もない。
ティナの瞳は、決意に燃えて赤く輝いていた。
無限に広がる雲の海をティナと〝モランデル〟が翔る。
そのフライトは、最後まで美しさを損なわず、優雅に演出され続けた。