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 雲の上に到達したティナは、久しく見た太陽光を浴びて目を細める。

 視界が開けると翼下には広大な雲の海が広がり、頭上は無限の青空が覆ってている。

 雲の上は、飛行機乗りのみが立ち入りを許された神秘的な空間だ。この美しさを見て感動しない者はいないとティナは思う。

 そんな壮大な空間にいて、更に目立つ存在が目に入る。

 太陽光に照らし出された〝白いフェスカ〟は、逃げることなく堂々と待ち受けていた。

 雲と同じ色を纏ったその機体は、強い存在感を放ちながらも空間の秩序を乱すことなく優雅に上空を舞っている。たった一機でありながら、その姿は雲の上の支配者も同然だった。

 むしろ、汚れ傷ついているティナの〝モランデル〟とベッカーの〝黒いフェスカ〟の方がよっぽど場違いだ。

 ちぐはぐで矮小な存在だからこそ手を取り合う。孤高になることができなければ寄り添えばいい。それこそが、ティナが空の上で見つけた一つの答えだった。


「周囲に敵影はありません。どうやら相手は本当に一機だけのようです」


『やつを追ってきた俺たちが言えたことじゃないが、たった一機でやりあおうとはよっぽど物好きだな』


 〝白いフェスカ〟が何を思って向かってくるのかなど考える必要はない。空の上で戦えば、全てを語り合うことができる。

 ティナはスロットルを全開にし、全てに決着をつける覚悟を決めた。


「私は正面から行きます。ベッカー中尉は高度をとって優位な位置についてください」


『すれ違いざまに堕とされるなよ!』


 ベッカーと言葉を交わして間もなく、〝モランデル〟と〝白いフェスカ〟は一気に距離を詰める。直進すれば正面衝突するコースだ。

 空中戦において、初撃が向かい合った状態で行われる「チキンレース」はよくみられる光景だ。だが、相撃ちになりやすいため手練のパイロット同士なら本来は避けるべき戦い方とされている。

 しかし、一度向かい合ってしまうと臆して回避を始めた方が不利な位置をとられる。だからこそ「チキンレース」になるのだ。

 ティナは何の迷いもなく照準器の中央に〝白いフェスカ〟を捉えたまま直進する。

 胸の鼓動が高鳴り、手袋の中は汗にまみれる。幾度となく繰り返してきた経験だ。恐怖に打ち勝つ興奮こそが、空で戦う者には必要なのだ。

 狭い視界の中には〝白いフェスカ〟だけが映り込んでいる。その美しい姿を明確に捉えた瞬間、互いの機体は火を噴き機銃を浴びせ合った。

 射撃と着弾の衝撃で機体が大きく揺れる。

 風防が割れ、機銃弾が機内を跳ねまわりティナに襲いかかった。


『大丈夫か!』


 激しい衝撃に一瞬視界を奪われたが、ベッカーの無線によりすぐに意識をとり戻す。どうやら命だけは無事のようだ。

 しかし、気がつけば頭と肩口からは鮮血が滴っており、右目は開けられなくなっていた。致命傷ではないが、片目の視力を失ったのは手痛い。

 〝モランデル〟の方も幸いにしてエンジンは無事ようだが、操縦感覚に違和感を覚える。どこか損傷していらしい。

 なんとか態勢を立て直したティナは即座に旋回し、〝白いモランデル〟の様子を窺う。

 手応えはあったものの、〝白いフェスカ〟は悠々と飛行を続けている。今は上昇しながら再び高度をとっていた。

 機銃は命中させたはずだが、有効弾は与えられなかったらしい。

 ティナは流れる血を拭いながら無線で答える。


「こちらの損傷は軽微、まだやれます。それより中尉、下方から敵が接近中!」


 〝白いフェスカ〟は、ティナを襲った際に得た速度を利用し、上空を飛ぶベッカーに標的を移す。これに対応したベッカーは、即座に優位な状態から縦機動のドッグファイトに突入した。

 〝黒いフェスカ〟と〝白いフェスカ〟がループを繰り返し、互いの尻尾を掴もうとする。同型機の戦いでものを言うのは己の腕だけだ。

 昇っては落ちる機動を繰り返す二機は青空に綺麗な輪を描く。ティナはサポートの機会をうかがいながらもその姿に見惚れていた。

 荒々しい獰猛さを見せつける〝黒いフェスカ〟は、獲物を狙う大鷲のように飛びかかる。対して、〝白いフェスカ〟は白鳥のようにひらりと舞って優雅な回避を続ける。

 同じ機体を操りながら対照的に飛ぶ二機は、互いの動きに呼応して予測不能な変化を続ける。 

 時には正攻法で、時には裏をかいて互いの綻びを探り合う。隙を見せれば一瞬でケリがつく空中戦においては気の緩みが仇となる。

 そして形勢は〝白いフェスカ〟に傾きつつあった。

 〝白いフェスカ〟は無駄のない飛行で常に速度と高度を維持している。対して、敵に食らいつくことを最優先にしている〝黒いフェスカ〟は一見すると攻め続けているように見えるが、みるみるうちに速度を失って不利な位置に誘い込まれていた。

 突如として〝白いフェスカ〟はループを止めて水平飛行に移る。当然、〝黒いフェスカ〟はこれに続いて後ろをとる。速度差はあるものの、互いの距離は一〇〇メートルを切っており、一時的に必中の間合いに入っていた。

 わざと相手に後ろを取らせるその動きは、レイラを撃墜した際に見せた「誘い」の手そのものだった。

 〝白いフェスカ〟は、レイラを葬り去った時と同様に、ローズ・バレルロールを狙っている。

 たまらずティナは無線で呼び掛ける。


「ベッカー中尉!」


 レイラのときとは違い、今度はしっかり送信機のスイッチを上げていた。

 しかし返信はない。言葉を返す余裕もないのだろう。

 しかし、ティナは一度ベッカーにローズ・バレルロールを披露している。先の呼びかけが何を意味しているか、ベッカーが理解しているものと信じて固唾を飲んだ。

 〝モランデル〟も、やっと交戦高度まで到達していたが距離的に援護を行える手立てはない。

 レイラの時と同じように、ティナには見守ることしかできなかった。

 全ては必然の出来事のように〝白いフェスカ〟は螺旋機動を開始し、〝黒いフェスカ〟がそれに続く。

 二機が螺旋機動の頂点に達した瞬間、機体を垂直に立てた〝白いフェスカ〟は重力に身をまかせて急降下する。到達する先は、〝黒いフェスカ〟から見て死角になる位置だ。

 しかし、ティナには見えている。この場にいて唯一、両者の位置関係を第三者の視点で見ることができた。


「右フットペダル!」


 反射的にティナは叫んだ。状況を伝えるわけでもなく、操作のみを指示する。

 ベッカーは即座にこれに応える。

 右フットペダルが踏み込まれ、大きく旋回した〝黒いフェスカ〟は再び〝白いフェスカ〟と対等な位置関係を得た。

 ローズ・バレルロールは失速を利用して高速旋回を行う技であるが、それ以上に追い縋る相手に突如消えたような錯覚を見せることで成立するテクニックだ。敵の未来位置を予測し、的確な機動が取れれば不利になることはない。

 ベッカーが立ち直り、仕切りなおしになったところで援護を始めればいい。危機を未然に防いだことでティナは安堵した。

 しかし、状況はまったく予測のつかない方向へと推移していた。

 ローズ・バレルロールを終えた〝白いフェスカ〟は、突如として急上昇を始めたのだ。有利な位置を確保していながら、ベッカーを追おうともせず再び螺旋機動を始めている。

 その動きは、もはやバレルロールとは言えなかった。一度目のローズ・バレルロールで大きく速度を失ってる〝白いフェスカ〟は、失速ギリギリの状況で上昇している。そのままいけば失速してスピンを起こしかねない危険な機動だ。

 ティナは次の瞬間、己の目を疑った。

 案の定、失速を起こした〝白いフェスカ〟はエンジンの推力を完全に失い、ブーメランのように真横に回転しながら空を舞う。

 だが、その動きは決して失敗によるものではなかった。故意に起こされたスピンは、計算しつくされたかのような秩序を持って華麗な機動を描く。

 それは、空の上で行われたジャンプだった。揚力を打ち消し、上向きの速度だけをもって何もない空間で飛びあがる。後は重力にまかせて落下しながら着地し、通常の飛行状態に復帰する。

 ティナは今目の前で起きた現象を受け入れられなかった。

 スピンは揚力と推力を失った際に発生するため、通常の機体操作を殆ど受け付けない状態に陥るのだ。だからこそ、一度スピンを始めてしまった機体はそのまま復帰できず落ち葉のようにくるくると回りながら墜落してしまうという事態が往々にして発生する。

 だというのに、故意にスピンを起こして復帰した〝白いフェスカ〟は、始点から終点までのプロセスを全て先読みしてスピンを始めたことになる。

 三次元的機動を予測し、それを正確に実行するなど人間業ではない。

 何がそれを可能にするのか、それは「勘」なのだろう。

 ティナが敵の気配を察知したりできるように、空に愛され、空の声を聞ける者にしか成せない業を〝白いフェスカ〟も持ち合せている。

 そんな究極の曲芸飛行とも呼べるスピン旋回を行った〝白いフェスカ〟は、再び最少の旋回半径を得て〝黒いフェスカ〟の側面をとった。

 数秒後には機銃の射線に入る〝黒いフェスカ〟に、回避する術は残されていない。


「嫌!」


 ティナは悲痛に叫ぶ。

 既に攻撃位置についている〝モランデル〟は、いつでも仕掛けることができる。しかし、それは〝黒いフェスカ〟が撃墜された後の話だ。位置的に高速ですれ違う〝白いフェスカ〟の射撃を阻止することはできない。

 また目の前でペアが死ぬ光景を見せつけられる。想像しただけで意識が遠のきそうだった。

 自分の無力さを再び痛感する。いつも見てるだけで、結局は何もすることができないのか。

 全てを諦めかけた瞬間、胸の中で甲高い金属音が響いた気がした。

 それは、飛行体長から貰ったコンパスとレイラの懐中時計が入れてある位置だ。二つがポケットの中でぶつかり、音を立てたのだろう。

 ティナには、不思議とその音がレイラからの叱責のように思えた。


――もう諦めるの?


 レイラの死はティナにとって何だったのか。悲しむべき出来事だったのは間違いないが、ティナがパイロットとして戦い続けるなレイラの死は一生つきまとうトラウマになるだろう。

 だからこそ、これからはレイラの死を乗り超えなければならないのだ。

 あの時の再現とも言えるこの状況は、レイラの死を乗り越えるための機会なのだとティナは確信した。

 全てを賭けてベッカーを助けなければならない――レイラの死という経験を無駄にしないためにも。

 ティナは再び正面を向き、全てを打ち破るために操縦桿を握った。

 ターゲットを照準器の中に捉え、機銃発射レバーを軽く押さえる。今からやろうとしていることが成功する保証は一切ない。

 しかし、成功させねばレイラの死を超えることはできない。

 狭い視界の中で、ただ一点だけを見つめる。

 レイラと共にいれば何でもできる気がする。レイラが死んだ今もなお、その気持ちに変わりはなかった。

 そしてティナは、全身全霊をかけて発射レバーを握った。

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