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一晩中泣き続けたティナは、翌日の早朝にレイラの遺品整理を済ませ、原隊の飛行隊長とレイラの遺族に手紙を書いた。その手紙は、レイラの死を知らせるためのものではなく、レイラの死に対して同期でもあり友達でもある自分の気持ちを率直に伝えるためのものだった。
自己満足だったかもしれないが、戦死通知書だけでレイラの死を伝えたくはなかった。レイラが生きていた証を残したいという思いがあっての行動だ。
そして全てを終えた後、ティナはまた空へと舞い戻る。
繰り上げで第三小隊の小隊長となったティナは、即日のうちに列機を引き連れてベッカー率いる第四中隊の要として働くことが求められた。
戦況の激化に伴い、空で小競り合いが起こらない日などなくティナは哨戒飛行や防空任務で毎日駆り出されることになる。
そんな渦中に放り込まれたティナは、めげることなく期待以上の活躍を見せた。
基本的にフォローに徹する役回りなので目立ったスコアを挙げているわけではないが、「ティナが後ろにいると必ず助かる」とにわかに語られるほど僚機の被弾率が下がるのがティナの特徴だった。それは、敵を発見する嗅覚と敵の行動を予測する勘、それに視野の広い判断力が加わることで発現された能力だった。
しかし、未だ基地内ではルーキーであることに変わりはなく、実戦経験も十分とは言えない。それは急きょ集められた義勇軍全員に言えることでもあった。
そこで、ベッカーは任務の間を縫って訓練の時間を設け、ティナ含めた義勇軍の練度を底上げする方針を掲げた。前線に展開する基地にしては珍しい話だが、それだけ個々のパイロットの技量向上が求められるほど機体が不足しているという事情があってのことだった。
雲のない快晴の空の下で、今日も朝の哨戒飛行の間を縫って訓練が行われる。
その締めくくりになったのは、ベッカーの〝フェスカ〟とティナの〝モランデル〟が一対一で対峙する模擬空戦だ。
基地上空一五〇〇メートルで、青い機体と黒い機体は狂ったように舞い踊る。
激しい空戦機動により、時より翼端が雲を描いて交差する。その美しいダンスに基地中の兵士達が見とれていた。
ティナは〝モランデル〟の中で必死に操縦桿を倒す。しかし、後ろを振り向いてみるといつの間にかベッカーの操る〝フェスカ〟がぴったりとついてきていた。
受信機よりベッカーの声が轟く。
『〝フェスカ〟のエンジン出力は〝モランデル〟を大きく上回っている。相手の土俵に上がれば一瞬で食われるぞ!』
返事を返す余裕もないティナは、渾身の力で操縦桿を引き〝フェスカ〟を振り切ろうとする。しかしベッカーはその誘いに乗らず、あえて緩い機動で速度を維持したまま〝モランデル〟に追い縋った。
一瞬、ティナは〝フェスカ〟を引っぺがすことに成功したと錯覚する。だが、高度と速度を維持した〝フェスカ〟は依然、有利なポジションを維持していた。
疲労したティナが操縦桿を緩めると、瞬く間に〝フェスカ〟が後ろについてくる。
『これで五回目の撃墜判定だ。意地を見せてみろ!』
「はい!」
自分の不甲斐なさに悔しさが込み上げてくる。
ティナとベッカーの間には、圧倒的な実践経験の差が浮き彫りになっていた。
レイラならこの状況をどう打開するだろうか。
ティナは胸ポケットに入れられた懐中時計を握り締める。
すると、レイラに「根性無し」と馬鹿にされたような気がした。
レイラならこの状況でも必ず諦めない。むしろ焚きつけられ、より鋭い飛行を見せつけただろう。
そんなレイラの姿を思い出したティナは、光明を見出す。
ティナはスロットルを上げ、操縦桿を引いて縦機動に移る。しかし、今度はループではなく、フットペダルを踏み込んだ状態で行うバレルロール――螺旋機動――を行った。
ベッカーは冷静に同じ挙動をとる。
だが、ベッカーは目を疑った。ロールの頂点を過ぎたところで、今まで追っていた〝モランデル〟が突如として消えたのだ。
ベッカーはまだその機動を目の当たりにしたことはなかった。
誘い込むようなバレルロールから失速を利用して急反転する機動――それは、レイラを撃墜した〝白いフェスカ〟が見せたテクニックだ。
ティナは脳に焼き付けたそのイメージを即興で再現してみせた。
ティナ機を見失ったベッカーは、そのままバレルロールを終えて仕切り直しを図る。だが、急反転したティナ機を振り払うには正直すぎる機動だった。
両機がぎりぎりの距離で交差するその瞬間、照準器の中に相手の姿を捉えたのは、ティナの方だった。
「やった!」
思わずティナは声を上げる。
『一瞬後ろをとったくらいでいい気になるな。まあいい、今日はもう上がりだ。先に帰投しろ』
心なしか、無線越しに聞くベッカーの声は満足げであった。
模擬空戦を終え、先に着陸していたティナは滑走路でベッカーを出迎えた。
激しい戦闘機動により疲労困憊しているはずだが、ティナの顔はいつも以上に生き生きとしている。
「お疲れ様ですベッカー中尉。ご指導ありがとうございました!」
「なかなか良い動きだったな。ただし、まだ〝モランデル〟の特徴に引っ張られすぎる面がある。機体性能を生かす飛び方もいいが、これからはもっと実戦に即した動きを覚えろ」
「はい!」
ティナにとって、ベッカーは尊敬できる唯一のパイロットになっていた。
戦闘機乗りとしてのベッカーの腕は一流だ。それだけで慕う根拠としては十分だったが、ティナはベッカーの人間味にもどこか惹かれるものがあった。
レイラの葬儀の際にあった一件は、ベッカーなりの気遣いであるということはティナに理解できた。不器用なやり方だった気もするが、憐れみを受けるよりは何倍もいい。
先のしごきも、ベッカーなりの励ましだったのかもしれないとすら思う。
自意識過剰なことは理解していたが、ティナにとってベッカーは他の戦友とは一線を画す特別な存在になりつつあった。
「ベッカー中尉、お願いがあります。私にもっと〝フェスカ〟のことを教えてください」
訓練を終え、ベッカーに付き従うティナはベッカーに教えを請う。
「〝フェスカ〟のことだと? それを知ってどうする」
「敵が繰り出してくる機体で、最も手強い相手は〝フェスカ〟です。機体性能に差があるなら、もっと敵機の特性を知ってその弱点を見つけたいんです。ベッカー中尉が知っている〝フェスカ〟の全てを教えてください」
ベッカーの脇を歩きながらティナは深々と頭を下げる。
それを見たベッカーは足を止めてティナに向き直った。
「いいだろう。一度、俺の〝フェスカ〟にも乗ってみるといい。計器の見方と機器操作の違いだけ覚えればお前なら飛ばせるはずだ。ただし、俺も〝モランデル〟に乗せろ。互いの機体差を学ぶなら両方乗るのが手っ取り早い」
「はい!」
ティナは、〝モランデル〟の座席を譲ることに何の躊躇いもなかった。
ティナは、原隊で〝モランデル〟を受領してからというもの、頑として愛機の席を譲ったことはなかった。
自分で整備・点検をした機体に乗りたいという言い訳もできたが、本音を言えば長らく共に飛んでいる機体に只ならぬ愛着を感じていたのだ。他人に乗られて良い気がしないのは当然である。それは練達したパイロットなら誰もが抱くものだった。
しかし、ベッカーは進んで自分の愛機に乗れという。互いに信頼し合っていなければできない提案だ。
たった二週間足らずの付き合いだが、ティナとベッカーは互いの腕を認め合える関係を築きつつあった。
しかし、それは空の上に限っての関係だ。
「ティナ、今日はもう待機を解け。〝モランデル〟を整備に回し、兵舎で休むといい」
「はい。中尉の方は?」
「俺も〝フェスカ〟の調子を見たら休む。明日からはまた訓練と前線哨戒だ。体力を温存しておけ」
そう言い放つと、先ほどまでの態度からうって変って話は済んだと言わんばかりにベッカーは指揮所に向かって歩き出した。
地上に降りれば二人の関係は指揮官とその部下でしかない。飛ぶことに関しては師弟のような関係を持てても、それ以外のことにベッカーは一切心を開かなかった。
仲を深める必要があるかどうかと問われると、それはわからない。もの寂しく感じるのは事実だが、ベッカーが一人の人としてティナのことをどう思っているのかを推し量ることはできない。
結局、レイラと同じで空を飛ぶことでしか自分を表現することができないのだなとティナは改めて自覚した。