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 甲高いエンジン音の鳴り響くこの狭い機内は、ティナにとって慣れ親しんだ場所だった。

 赤く染まった夕映えの空、高度3000メートルを飛ぶのはティナの操る一人乗りの小型レシプロ戦闘機『Mo‐16C』通称〝モランデル〟だ。

 薄い青色に迷彩されたその機体は、ずんぐりした木製胴体の先端におよそ900馬力の空冷エンジンを搭載している。引き込み式の主脚は採用しておらず、飛行中も大きな固定主脚が主翼から突き出しのままになっていた。

挿絵(By みてみん)

 そんな〝モランデル〟は快調な唸りをあげて空を駆けている。

 しかしながら、機体の機嫌の良さとは裏腹に、操縦者であるティナは単調なフライトに飽き飽きしていた。

 かれこれ三時間も直線飛行を続けていれば、固い座席のせいでお尻が痛くなってくる。このときばかりは自身が女であることを後悔せざるを得ない。また性別に関係なく、長時間飛べばお腹は減るし、騒音と気圧差で耳は痛くなるし、操縦桿を握る手も棒のようになってくる。

 今日という今日は我慢の限界だった。

 単なる書類の郵送ごときで遠方の基地まで往復六時間の郵便フライトを命じられたティナは、上官を恨まずにはいられなかった。

 女だから舐めているのか、私の相棒は郵便機じゃない、と食ってかかりたい気持ちもあったが、そんなことをすれば「これだから女は」と蔑まれる口実を与えてしまうだけだ。軍人である以上、女であろうと男であろうと命令されれば粛々と任務を全うする他はなかった。


――せめて自由に飛び回りたい。


 パイロットであれば誰もが抱く願望が込み上げてくる。

 ふと周囲を見渡してみると、西の空は夕焼けに染まり、東の空は夜の帳が下りて濃紺に覆われている。まばらに舞う雲は紫色の化粧を纏い、地上の森は光を乱反射させて幻想的に輝いていた。

 今日は最高の空だ。

 こんな空を飛ぶ機会は二度とないような気がしてくる。そして、自分は空に魅せられたからこそパイロットになったのだということを思い出す。

 胸の奥で何かを爆発させたティナは、おもむろに機内を密閉している風防を開け放った。

 淀んだ空気は一瞬で吐き出され、肌を刺すような冷たい突風が全身を襲う。風切り音とエンジン音が耳を覆い、気分を高める。

 高度3000メートルの上空では、ティナと〝モランデル〟の行く手を遮るものはいない。もはや大空全てが自分のものになった心地だ。

 最悪のフライトが最高のフライトに変わる瞬間だった。


「やっぱりこうでなくっちゃ! アンタもそう思うでしょ?」


 大空に向けてそう言い放ったティナは、固定していたスロットルを一気に押し上げる。多量の燃料を注ぎ込まれた〝モランデル〟は、ティナの問いかけに答えるかの如く喜びの悲鳴をあげ、エンジンは一層高い音を奏で始めた。

 〝モランデル〟の調子に満足したティナは、操縦桿を乱暴に倒しフットペダル優しく踏み込む。小さな機体は鮮やかなロールをきめ、そのまま反転急降下に入った。

 降下する機体は増速を続け、体を襲う突風は強さを増す。機体の主翼も軋みをあげ始めた。

 それらの変化全てが刺激となり、脳内にアドレナリンが満たされていく。もはや速度計を見なくとも五感で速度を感じとることができる。

 そして機体が限界速度に達しようとしたその瞬間、ティナは重い操縦桿を一気に上げて全身で遠心力を受け止めた。

 頭から血が抜けて眠気のような感覚が襲ってくる。俗に言うブラックアウトだ。この感覚に負けて気絶してしまうと、機体と共に永遠に眠ることになるので全身全霊で意識を保つ努力を行う。この生死の境を彷徨う感じがたまらない。

 機首を上げ終わると、機体は一転して垂直上昇を始める。昇れば昇るほど機体は減速し、あっという間に失速寸前まで昇りきっていた。

 そしてエンジンの推力が重力に負けて機体が降下を始めるその瞬間、ティナはおもむろにエンジンを停止させた。投げ上げられたボールのように上昇と落下の境目を通過する機体は、一瞬だけ空中で静止する。

 風切り音もエンジン音も止み、無音の中で水平線が一望できる瞬間が生まれる。ティナはこの一時がお気に入りだった。

 ティナにとって空は自由の象徴であり、全てを受け入れてくれる楽園に他ならない。

 あたかも天国から地上を眺めているような感覚だ。

 そんな夢心地は一瞬で終わりを告げる。

 推力を失った機体はそのまま自由落下を始める。ティナは慣れた手つきで左のフットペダルを踏み込み、機体を一八〇度ヨーイングさせ降下姿勢へと復帰させた。

 失速した機体を振り下ろされた金槌に見立てて反転するその機動は『ハンマーヘッド』というテクニックだ。

 危険なアクロバット飛行に満足したティナは、そのテンションを落とすことなく自由気ままな飛行を続ける。手近な雲を翼で撫でてみたり、背面飛行で地上を眺めたりしては嬉しそうに微笑んでいた。


「ずっとこうして飛んでたいね」


 そう呟いたティナは、優しく操縦桿を撫でる。

 度重なる操縦によって〝モランデル〟の操縦桿は手の形に合わせて塗料が剥げていた。その小さな手形が、ティナと〝モランデル〟を繋ぐ証そのものだ。

 二人は無限の空を踊り続ける。

 時にはティナがリードし、時には〝モランデル〟がリードする。二人は魔法の解ける日没まで美しく舞い続けた。


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