005,観察開始
砂浜を越えた先にある膝丈ほどの下草が生い茂る大地を少し進むと、魔導技能『周辺探知』で発見していた土を踏み固められただけの道に出た。
轍があるものの、統一大陸で一般的な移動手段だった魔導車のタイヤの跡と比べると随分と細い。
だが、魔糸が計測した結果から、最近というか数時間前に刻まれた跡があることがわかる。
それはつまり、この細い轍ができるような物体がここを通ったということだ。
何重にも重なっている跡も、ほとんど長さは変わらないらしい。
まあ、ムーンシーカー島以外の統一大陸も天変地異が起こり、壊滅的な打撃を受けたのはまず間違いない。
あれほど巨大な湖ができているわけだからね。
それを考えたら、魔導車の車輪がちょっとくらい細くなっていても不思議ではないだろう。
それよりも、明らかに人工物と思しき道と、少し変わった魔導車が通った跡があるのだ。
この先には街などがある可能性が高い。
計測結果からも、進んでいる方向が大体偏っているようだし、そちらに行けば何かしらあるだろう。
周辺探知をそのままに、魔糸を足に巻きつけて脚部の性能を高めるとさっそく走り出す。
魔糸のおかげで強化補正された足のおかげで、風景を置き去りにするような速度を出すことができる。
さらには脚部にかかる負担の軽減も同時に行なってくれるので、どれだけ速度を出しても疲労が蓄積しづらくなっている。
魔導技能という特殊能力をインストールせずとも、魔糸のみの強化だけでこれだけのことができるのだ。
ダイチ・ムーンシーカーの最高傑作という名は伊達ではない。
だが、そんな疾風のような走りも長くは続かなかった。
なぜならば、周辺探知にいくつかの人間の反応がひっかかったからだ。
まだ距離があるが、今のような速度で接近しては警戒される可能性が高い。
いらぬトラブルを引き寄せないように、メラ姉さんからはあまり目立つ行動は控えるように言われている。
すぐさまスピードを落とし、一般的な人間の出せる速度での移動に切り替える。
まあ、要するに普通に歩くということだけど。
「観察開始」
歩きに切り替えたからといって、前方十キロ地点を歩む人間たちから警戒されないかといえばそうでもない。
魔導技能は資格さえあれば誰でも取得できるのだ。
ボクの使える魔導技能を他者が使えないと考えるのは油断がすぎるというもの。
だから、周辺探知で捉えることができる最大範囲である半径十キロ圏内ならば、相手からも探知されているという前提で行動すべきだ。
無論、半径十キロという範囲は、周辺探知を極めた場合の最大到達距離。達人の域といってもいい距離だ。
魔導技能はインストールさえしてしまえば、十全に機能を発揮できる。
だが、ただ使えるのと、極めるのとではまったく違う。
今回の周辺探知でいえば、インストールしただけの状態ではせいぜい探知できる距離は三、四キロといったところだ。
何度も使い、長い年月をかけて極めることによって最大距離である半径十キロを探知できるようになるのだ。
しかし、それでも魔導技能を資格さえあれば誰でもインストールし、扱うことができるのは統一大陸時代においても歴史に残る大発明であったことは変わりない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
観察を開始すること十数分。
前方約十キロぎりぎりを進む人間たちは、ボクに気づいた様子はない。
統一大陸時代にもあまり見ないような、観光客相手に珍しさを売りにするような古めかしい馬車のような乗り物を囲み、しきりに周囲に目を配っている。
馬車を引いているのは馬ではないようだけど、見た目は馬車としか言いようがない。
所持している武器も原始的なものであり、周辺探知に魔力反応はない。
つまり、あれらの武器は見た目そのままの鉄を打って作り上げた武器なのだろう。
ぶっちゃけると、ただのコスプレ集団にしかみえない。
だがそれにしては警戒している人間たちが本気すぎる。
それに、彼らが警戒している通りに、道を外れた遠い草むらの中には四足歩行の魔獣がいくらかひそんでいるのだ。
しかもそれらの魔獣は牙や爪などが発達しており、前方を進む人間たちの装備している革をつなぎ合わせただけの防具など、容易く切り裂ける鋭さを持っている。
あのようなコスプレでは、とてもではないが無傷で魔獣を撃退できるとは思えない。
例え魔導技能をいくつかインストールしていても、相当うまくやらなければ無理だろう。
あんな危険な魔獣が潜んでいる場所で、コスプレ遊びをするなんて自殺行為と変わらない。
「でも」
もし、彼らがコスプレ遊びなどしていなかったら。
本気で馬車を守りながら危険な道を進んでいるとしたら。
鉄を打っただけの、原始的にすぎる装備が、彼らの標準的な装備だったとしたら。
――メラ姉さんが予想していた通り、本当に文明が大幅に後退しているのではないのだろうか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ムーンシーカー島の施設や、メラ姉さんという魔導頭脳のみの存在など、地球の近代的な文明と同等かそれ以上のものだけしか見ていないボクにとって、外の世界も似たようなものだろうという感覚があったのは否めない。
メラ姉さんに、何度も天変地異によって文明が大きく後退している可能性を聞かされていても、だ。
メラ姉さんの思い過ごしと高を括っていたのだ。
だが、それはどうやら思い過ごしでもなんでもなく、本当に事実なのかもしれない。
後方に周辺探知の反応があり、近づいてくる人間たちの乗り物も前方を進む人間たちと似たような馬車としかいえないものだったのだ。
後方から近づいてくる集団も馬車を数人の人間が囲んで護衛している。
もちろん彼らが装備している武器防具も、前方の集団と大して変わらない原始的なものだ。
まだ確定とするには情報が足りなさすぎるが、危険な魔獣が潜む場所にふたつも似たような装備と乗り物の集団が現れたのだ、偶然で済ますほど無警戒ではない。
警戒レベルを引き上げ、前方と後方の集団を油断なく観察し続ける。
しばらくすると、後方の集団がボクを捉え、少し警戒しつつも速度は落とさない。
道は幸いにして馬車二台が余裕をもってすれ違える程度には広い。
そして、後方の馬車が遂にボクを追い越していった。
特に何事もなく、追い越していった馬車だが、どうやら本当に彼らの武装はあの原始的な装備だけのようだ。
至近距離まで近づいたことで、魔導技能『詳細探知』を用いて周辺探知では拾えない詳しい情報を探ってみたのだ。
情報戦用の防御系魔導技能を展開しているわけでもなく、あっさりと詳細探知で情報を根こそぎ拾えてしまったことからも、統一大陸時代より大幅に文明が後退している可能性が高い。
魔導技能は便利な反面、敵が使うと非常に厄介なのはいうまでもない。
だからこそ、様々な防御系魔導技能があり、それらの大半は資格を取得しなくてもインストールすることが可能だった。
身を守る魔導技能に関しては、規制が非常に緩かったともいえる。
そういったこともあり、あれだけ警戒している相手が情報戦用の防御系魔導技能を何も展開していないというのは、それだけでおかしい。
現実味を帯びてきた姉の言葉に、不安がこみ上げてくるのを感じる。
文明レベルが低すぎれば、それだけ物資や情報の収拾の難易度が高くなる。
物資と一括りにいっても、加工されたものとそうでないものとでは大きく違うように、高い文明レベルがなければ作れないものはたくさんあるのだ。
特にムーンシーカー島で必要としているのは、加工された特殊な物資がほとんどだ。
もちろんムーンシーカー島で加工ができないわけではないが、加工するための施設の復旧や道具の整備が必要になる。
ひとつの物を作るために、三つも四つも過程が必要になってくるのだ。
情報の場合は、さらに輪をかけて収集するのが大変だろう。
統一大陸には、地球のインターネットに似たもの――魔導情報通信があったが、まだまだインターネットに比べて脆弱な情報システムだ。
まだ魔導通話と呼ばれる電話と同じシステムのほうが普及していた。
まあ、地球でだって電話のあとにインターネットが普及したのだから、時間をかければ魔導情報通信が地球のインターネット並になった可能性もあるだろう。
それでも、魔導情報通信が使えるのと使えないのとでは、情報収集の面からみて雲泥の差がある。
基本的に魔導情報通信は整備の行き届いた街中でのみ使えたようなので、まだないとはいえないが。
しかしそれも望みは薄そうだ。
もし、あの集団が現状の統一大陸のデフォルトだとすれば、それはもう剣と魔法の中世ファンタジーの世界を地でいくようなものだろう。
これから向かう先にあるかもしれない街に行くのが、怖いようなそうでないような複雑な気分だ。
欠落してしまっていてあまり思い出せないけれど、ボクはそういったサブカルチャーが大好物だったような気がする。
そうでなければ、不安の中に隠せないほど大きな興奮があるのを説明できない。
とにかく行ってみないことにはわからない。
先を進む彼らにいらぬ警戒を与えぬ程度に、歩みを早めることにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
後方からボクを追い抜いていった集団と接触したのは、統一大陸標準時午前十時ごろ。
それから五時間ほど歩いたところで、小さな丘を越えた先に多数の魔力反応を捉えることができた。
その中にはボクを追い越していった集団と同じ魔力パターンもあったので、追いついたということだろう。
自然とボクの歩みも早くなる。
そして、丘の頂上から見えたのは、大きな石壁に囲まれた街だった。
しかもただの街ではない。
ボクが統一大陸に転移してきたときに落ちた湖に面した港街だ。