022,豪運のミネルバ
迷宮街でのトラブルが尾を引いていたミネルバだけど、壁外での商談をいくつかこなしているうちにいつもの調子を取り戻したようだ。
お昼も近くなってきたので、昨日約束した魚介類の網焼きを出している露店で一緒に食べることにした。
焼ける香ばしい匂いだけで、大混雑を引き起こした醤油の威力をミネルバにも味あわせてあげよう。
「あ! ソラ嬢ちゃん! 待ってたぜ!」
「そうだそうだ! 待ちくたびたれたぜ!」
「早くしてくれよ!」
「遅いぞ!」
昨日の露店のあった場所まで行くと、魚介類の露店の店主だけでなく、その周囲で露店を出している人間たちも待っていた。
でも、好き勝手言ってるのはちょっと腹が立つ。
醤油の焼ける匂いで腹を空かせた人間が集まってきて、その匂いをおかずに周囲の露店で腹を満たしていたのは知っていた。
壁外の料理は、基本的に素材の味を活かした料理、といえば聞こえはいいが、調味料の類がないのでそれしかできないだけだ。
自生している香草とかを使って工夫するという考えがないのか、美味しい料理屋は少ない。
だから醤油という、特に香りが独特でお腹に直撃する匂いは特大の効果をもたらしたのだろう。
彼らがボクの醤油を待っていたのも頷ける。
とはいえ、たまたまその恩恵に与っただけの連中に言いたい放題言われるのはまた違う。
図々しいにもほどがある。
だが――
「やかましい! てめぇらがごちゃごちゃ言ってソラ嬢ちゃんの機嫌を損ねたらどうしてくれんだ! 謝れてめぇら!」
「「すいやせんでした!」」
昨日食べた魚介類の網焼きの露店の店主が声を張り上げて、図々しい人間どもを一喝する。
その勢いとボクの機嫌を害すればどうなるのか理解した人間たちが一斉に頭を下げてきた。
まあ、ボクも魚介類まだ食べたいし、ミネルバにも食べさせてびっくりさせたいから今日のところは許してあげよう。
「……ソラさん、何アレ?」
「気にしない」
ただ、昨日のことを知らないミネルバにとっては意味不明の光景だったに違いない。
キョトンとした表情で頭を下げる人間どもをみて、説明を求めてくる。
なので、万能な必殺の切り返しで応えておく。
気にしなければ大概のことはどうとでもなるのだ。
「ソラ嬢ちゃん、すまねぇな。バカどもが騒がしくて」
「ん。醤油」
「任せてくれ! 今日も新鮮なやつを大量に仕入れてきたぜ! たくさん食っていってくれ! ところで、そっちの美人さんは嬢ちゃんの連れかい?」
「ん」
「初めまして。ミネルバ商会のミネルバ・カッツェです」
「これはご丁寧に。俺はライズだ。……ミネルバ? もしかして、ボックス持ちと契約した豪運のミネルバ?」
店主――ライズに所有を渡すと、ボクの後ろで待っていたミネルバことが気になったようだ。
ミネルバは美人さんだし、結構目を引くからね。
男臭くて、如何にも美人に弱そうなライズなら気になっても不思議じゃない。というか、お互いに自己紹介してくれたおかげでライズの名前をやっと思い出すことができた。
データベースに登録するほどの情報でもなかったし、魔導頭脳の隅っこのほうのジャンクスペースに入っていたからなかなか思い出せなかったよ。
それにしても、豪運のミネルバ?
まあ確かにボクという、目も眩むような美少女と契約できたんだから豪運なのは間違いないよね。
「一部ではそう呼ばれているみたいですね。でも、今後はあなたもそう言われるかもね。ただ、その運にあぐらをかいていては見放されるわよ?」
「もちろんだ。普段の倍以上の仕入れをしてきた。オレは本気だ」
「いい心がけね」
「負けねぇぜ?」
「ええ、お互いに頑張りましょう」
何やらミネルバとライズの間で火花が散っていたと思ったら、固い握手を交わしたりしている。
どうでもいいから早く焼き始めてくれないかな?
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ん~っ! おいひぃ~っ!」
「ん」
「ちょっと! ライズ! 次はまだなの!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! ほかの客もいるんだよ!」
「私たちが優先でしょ! というか、ほかにも人を雇いなさいよ!」
「無茶いうな! でも、明日からはそうしたほうがいいかもな!」
昨日と同じようにボク用に用意されていた席に急遽ミネルバの席も追加して、さっそく醤油を垂らして焼いた魚介類に舌鼓を打つ。
醤油の焼ける香ばしい匂いにミネルバは見たこともないような蕩けた表情をしていたけど、実際に食べるとその表情はさらに蕩けていた。
そして、ボクと先を争うように焼きあがった先から食していく。
ボクの分まで食べようとするんだから、すっかり我を忘れているようだ。
でも、あげないよ。これはボクんだ。
ライズの露店の周囲には、すでに人だかりがすごい。
皆、昨日同様に醤油の焼ける香ばしい匂いに惹かれてやってきたようだ。
ボクたちが食べる分以外には、当然醤油は垂らされていない。
提供した醤油の量自体が少ないからだ。
ムーンシーカー島で補充できるようになるのはまだまだ先のことだろうから、ほかの客の分なんてあるわけがないのだ。
それでも、醤油の香ばしい匂いだけで十分なようで、ライズの露店を中心とした露店では飛ぶように売れている。
その光景からは、焼肉屋の匂いだけで白米が食べられるという某芸人を思い出す。
欠けた記憶のせいで名前までは思い出せないけど。
聖竜湖でとれる豊富な魚介類のおかげで、壁外にいる人間でも魚介類なんて食べ飽きた食材でしかない。
調理する方法も限られている環境では、似たような料理しかないので、飽きる速度は相応に早い。
迷宮フィーバーでこの地にやってきた人間たちも早々に飽きてしまっているだろうに、今やそんなもの関係ないとばかりに群がっている。
やはり、醤油は強い。
そんな確信を得られる程度には、この一角だけが大混雑だ。
無論、醤油を垂らして焼いた魚介類を欲しがる人間もいるが、販売はできないとライズがうまく捌いているようだ。
強硬手段に訴えてくるような輩も中にはいたが、すべてボクが魔糸で事前に排除した。
おかげで、混雑している中で突然気絶するやつがちらほらとでている。
昨日も同じようなことをこっそりやっていたので、大した問題じゃない。
むしろ、ボクのものに手を出そうとしたんだから、気絶で済んでラッキーだったと思ってもらわなくては。
忙しいライズを余所に、ミネルバはお腹がぽっこりするくらい醤油を垂らして焼いた魚介類を満喫したようだ。
満足そうにお腹を尻尾でさすっている彼女だけど、ボクはまだまだ食べる。
ミネルバに分けてあげた分だけボクへの供給が減ったし、昨日同様に大人買いしてあるのでまだまだ残っているのだ。
「ソラさんって、意外と健啖なのね。私はもうお腹いっぱいだわぁ……。こんなに食べたのは本当に久しぶり。もう動けないわ」
「まだまだ」
「いったいどこにそんなに入るのかしら? 強い人っていっぱい食べるって聞いたことがあったけど、本当だったのねぇ」
我を忘れて夢中になって食べるほど美味しい料理に満足して、やっと喋る暇ができたのか、ミネルバがそう零す。
実に満ち足りた表情のミネルバは、普段のキリッとした商売人としての顔とは違った魅力がある。
今日だけで彼女の様々な表情をみることができている。
これからも付き合っていけばもっと色んな顔をみれることだろう。
それが少し楽しみに思える程度には、ボクはミネルバのことに興味を持ち始めているみたいだ。
まあ、今は目の前のエビモドキを食すことのほうが優先だけど。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「いやー売った売った! ありがとな、ソラ嬢ちゃん!」
「ん。美味しかった」
「ええ、本当に美味しかったわ。それにしてもすごい調味料よね、そのショーユ」
結局、お昼時もまだまだ終わらないうちに、ライズの露店は完売となった。
ボクが買い上げた分も食べ尽くしたので、本日の営業は終了らしい。
周囲の露店も完売したところも多く、完売までいかなくても十分な売り上げになっているようだ。
お礼の声をかけにこちらまでやってくるものも多い。
だが、中には醤油を売って欲しいと詰め寄る人間もいて、そういう輩はライズが追い払ってくれている。
「オレだって欲しいのに我慢してんだ。ほかのやつになんて誰が渡すかよ」
「まったくね。大体、あれほどの効果のある調味料ですもの。販売するならかなり高くなるわ」
「や、やっぱりそうなのか?」
「もちろんよ。実際に効果のほどはみての通りだったし、垂らして焼くだけであれほど美味しくなるのよ? 貴族たちが欲しがっても不思議じゃないわ」
「それほどかぁ……」
実際に、港街ダンズの中にも醤油がないことは、情報収集の結果明らかになっている。
見つけた調味料は、せいぜい塩と砂糖、少量の胡椒と香草くらいだった。
塩以外は、すべて富裕層クラスしか手がでないようだったし、スラムに近い壁外では入手できたとしても原価が高すぎて元をとれないだろう。
未知の調味料である醤油なら尚の事。
しかも、その効果は抜群で、味だけでなく、匂いだけで食べ飽きた食材を大量に売ることができることは、実際に証明してさえいる。
そんな調味料が安いわけがない、とミネルバは結論付けたようだ。
まあ、貴族なんかが求めてきても売るつもりはないけどね。




