9 聖エルフ、肩こりを治す
ソフィアさんは顔を真っ赤に染め、伏し目がちにもじもじしていた。
「もう一度って、……うーん、どうすればいいの?」
わたしは聖樹様の慈愛がどういうものなのかわかっていないうえに、さっき自分が何をしたかもわからないのだ。
「さきほど、聖樹様の慈愛を感じた時に、体が浮くように軽く感じられたのです。じつは、わたくし左の肩がいつもこっているのですが、それが少し軽くなったように感じられますし、ひょっとして何か特別なちからをお持ちなのではと思うのです」
ソフィアさんはすこし言いにくそうに、切り出してきた。
――肩こりを治す力があるのかもしれないのか。うん、いいね、それは聖エルフの盾なんかよりはるかに人様に喜ばれる力だね。
「さっきと同じことをすればいいの?」
自分の体がお湯の中に溶け込んでいくような、体の境界を広げていくような感覚を思い浮かべながら目を閉じた。
「うぅ、……おぉ……」
ソフィアさんの何かに耐えるような声が、再びお風呂場にこだました。
――えーっと、これ大丈夫なのかな? 外にいる人に変な誤解されないよね?
すこし不安になったわたしは、薄目を開けてソフィアさんの様子をうかがってみた。
――あれ? これはいったい?
ものが二重に見えるというか、色がついて見えるというか、盾の中にあるものすべてが揺らいで、漂っているように見える。
お湯の中を漂い、舞いあがり、沈んでいく無数の極小のなにかが、網膜に映り込み、頭の中で拡大され、そしてまた、視界と重なって消えていった。
目に力を入れてソフィアさんを視線に重ねると、左肩のあたりがなんとなくもやもやして見えた。
「ここ?」
わたしはソフィアさんの後ろに回り込み、左肩の上に軽く手を当ててみた。
「うぅ……」
――なんだろう? もやもやしているというか……。
右肩にも手を当て、もうすこし深く自分の境界をソフィアさんに潜り込ませた。
「ひぃっ、……せいっ、……えっ、……るっ、……ふさまっ……」
ソフィアさんは何かに耐えているように、全身をふるわせていた。
――ソフィアさんの体の中に無数に存在し、そして流れている極小のなにか。これが聖樹様の慈愛と呼ばれるものなのだろうか? その在り様や流れる様子が右肩と左肩ではずいぶんちがっている。
「ソフィアさん、左肩を怪我したことがある?」
ソフィアさんの左肩の皮膚には少し盛り上がっているところがあった。
「うぅっ、……わか、……いっ、ころ……に……」
――うーん、今でも若く見えるけどね。そうか、じゃあ、右肩の状態に近づければいいんだね。
わたしは、右手でソフィアさんの肩の深いところを見ながら、それを真似て左手で聖樹様の慈愛をゆっくりと動かしていった。
右肩を見本にして、左肩だけにあるもやもやを押し流すように、流れが悪くなっているところはその流れによどみがないように治していった。
――聖樹様の慈愛。つまり聖樹様の息吹であり、エルフの力の源。だとすると聖エルフがまとう盾もこの微小な無数の粒子によってつくられているのだろうか? そして、それをエルフは使うことができるということなのだろうか?
左肩のもやもやがとれ流れもよくなった後、ふと思いついたわたしは、ソフィアさんの全身に広がっていたわたしの境界を肩の部分だけおおうように小さくしてみた。
それまでぶるぶると震えていたソフィアさんの体から、力がすっと抜けるのがわかった。
どうやら肩の部分だけ聖樹様の慈愛を使えば、相手がむだに大きな声を響かせることもなく、肩こりを治すことができそうだ。
――この力があれば、もしわたしが聖エルフではなくても、肩こりを治すという仕事で暮らしていけるかもしれない。
そうだ、そうしよう、この自然に囲まれた村で、エルフさんの肩のこりをほぐして生きていくのもいいかもしれない。
お米とか野菜と引き換えにエルフさんたちの農作業の疲れを癒す。うん、いいね。そういう暮らしっていいよね。
「聖エルフさまー! 肩がすっかり軽くなったというか、体がすっかり生まれ変わったようでございます」
すっかり空想の世界に沈みこんでいたわたしは、ソフィアさんの大声で現実へと引っぱり上げられた。
ソフィアさんは立ち上がり、ぶるんぶるんと音を立てて左腕を大きく振りまわしていた。
「そう、よかった」
わたしはゆっくりとお湯に肩がつかるまで体を沈みこませながら、まるで小さな子供のようにはしゃぐソフィアさんに微笑んだ。