88 聖エルフ、夢を見る
どこか見覚えのある、遠くどこまでも続く地平に、女の子がひとり、ぽつんと座りこんでいた。
――あっ! あの子はたしか、わたしのこどもの頃の……。
気が付くとともに、女の子の拗ねたような、刺すような眼差しを思い出し、伸ばしかけた手がとまった。
その気配を感じとられたのだろうか、女の子はすくっと立ち上がり、全力疾走でこちらに走ってきた。
ずいぶん遠くにいたのに、ものすごい速さで、みるみるわたしとの距離を詰める。
――ひっ! 怒られる! ぜったい怒られる!
そう思ったわたしはくるっときびすを返し、逃げだそうと足を踏み出したが、わずか二歩目で女の子に追いつかれ、腕をガシッとつかまれた。
「ちょっとー! 毎回、毎回、逃げようとするのやめなさいよー! ちっとは覚えなさいよー!」
女の子はゼーゼーと息を切らしながら、つり気味の目をいっそうつりあげた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! もうしません! ……って毎回って、その、……どういうこと?」
わたしは全力でペコペコ謝りながらも、女の子の言葉が腑に落ちず、おずおずと尋ねた。
「あんた、毎日ここに来てるからね! 覚えてないだけで、毎日わたしと会ってしゃべってんのよ!」
「えっ! そう、なんだ。……えーっと、ここって夢の中なの?」
「そうよ。ここは、あんたの夢の中。あんたは毎日ここにきて、毎日、わたしの顔を見て逃げだして、捕まって、しゃべって帰っていくの。先に言っておくけど、わたしはもうあんたを怒ってない。むしろ仲良しだから、逃げる必要はないの。分かった?」
「えっ、仲良しなの? そうなんだ、よかった。でも、前に会ったとき、わたしが記憶を消したって怒ってたよね」
ドワーフとの戦いで出会ったときに刻み込まれた強烈な印象が、わたしをおどおどした小動物のようにさせる。
「毎日、会ってるって言ったでしょ。それも、もう説明した。何回言ってもあんたは忘れるから、もう言わない。はい、その話はもう終わり」
そう言って女の子はふーっと息を吐き出して、つり上がった目をすこしだけ下げて、目を輝かせた。
「そんなことより、風の聖エルフ、おもしろかったね。真っ赤な顔して、お、お、お、お母様、疑って悪かったな、俺は頭が悪いからなって、ぷっ、頭が悪いって自覚があるんだね。ぷぷぷぷっ、笑っちゃうよね。しかも、あの図体でお母様って、きゃはははっ、そんなガラじゃないって、ぷぷぷぷっ、あーおかしい、笑いがとまらなくなったわよ」
――えーっと、この子、こんな子だったっけ? というか、わたしの頭の中で笑ってたってこと?
でも、ずいぶん親しげに話しかけてくるということは、きっとこの子の言うとおり、わたしが忘れてしまっているんだろう。
「あー、それと、あれもおもしろかったわね。風の聖エルフが女の子に声を掛けまくって、氷っちが怒りだすやつ。結局、トールのせいだって分かって、氷っちの額に青筋入ってたじゃない。あれ、ぜったい次にトールに出会ったら氷漬けにするよ。二千六百年だっけ、ずーっとトールのせいで、そうなってたわけじゃない。しかも、トールをボッコボコにしても、聖樹様であるあんたはとめたりしないわけじゃない。ぜったい、ふたりが次会うとき横で見てたいわ。ぷぷぷぷっ」
――たしかに、あれには驚いた。
まさか、風の聖エルフが女の子をほめる理由が、おまえは愛想がないから、女性には特に気を使ってウソでもほめるようにしろ、というトールの指示だったとは。
氷っちがみんなを氷漬けにしているのを間近で見て、なにも思わなかったのだろうか?
それとも、トールの策略か何かなのだろうか?
「まあ、でも、あれよね。氷っちも風の聖エルフともっと話しあうべきだったわよね。ちょっと話をすれば分かった訳じゃない? 聖エルフって、そろいもそろっておかしいわよね。まあ、それも、トールのせいなんだろうけどね。まあ、でも、氷っちが風の聖エルフを閉じ込められるようになったから、ずいぶん変わると思うわ。性格もずいぶん前向きになったじゃない? 風の聖エルフの氷っちを見る目もずいぶん変わったし、ひょっとしたらうまくいくんじゃない? ちょっと意識してるみたいだし、おもしろくなってきたわね。ぷぷぷっ」
「うん? トールのせいなの? その、聖エルフが変わってるのって……」
「それは、前にも話したからいいじゃない。それより、今日もアオはかわいかったね。見た? 風の聖エルフの天馬にキュッて首突き出して。ホントにかわいいわよね、アオって。あんた、もっとアオをかまいなさいよ。もっとワシャワシャしてあげて、もっと飛んであげなさいよ。毎回、毎回、何度言わせんのよ」
――あー、そういえば、前に出てきたときもアオを気にしてたね。
うん、うん、この子はアオがお気に入りなんだね。
うん、そうだね、そうする、と応えたわたしに、ジロッと白い目を向けながら女の子はため息をついた。
「まあ、いいよ。どうせ忘れるんでしょ。まったく、あんたときたら……」
初めて会ったときの、拗ねたような雰囲気に戻りかけた女の子に、わたしは慌てて声をかける。
「ごめんね。ねえ、どうして、忘れちゃうのかな? その、……記憶も失くしちゃってるし、ね?」
「またその話? 何度もしゃべったわよ。子守話みたいに何度もよ。ちっちゃなこどもだってこれだけ繰り返し話したら暗記するわよ、まったく……」
「うーん、ごめんね。寝てるからかな。起きてるときに会えたら、覚えていられると思うんだけどね」
「なに言ってんの。起きてたら、無理やり頭痛起こして忘れるくせに。それなら、寝てるほうがましだわ。ほら、今、向こうでパウラがビクついたわよ」
「えっ? パウラって、……アルのお姉さんの? どういうこと?」
「あっ! そういえば、あんた今日アルと手をつないでたじゃない。なかなか、あんたもやるようになったわね。うん、うん、アルもシェーナもいい子だからね。大事にしなさいよ」
急にテンションが上がった女の子が、口角をキュッと上げて笑う。
「あ、うん、そうね」
「シェーナも今日はいっぱいお菓子食べられてよかったわね。どんどん食べておっきくならないとね。シェーナは大きくなったらものすごくかわいい男の子になるわね、きっと。はー、楽しみだわ。ぷぷっ」
うなずくわたしの背中を、女の子はバンバンと叩き、満足そうに笑い声をあげた。
「でも、男の子だから、かっこよくなるんじゃないのかな?」
「まあ、そうかもしれないわね。どっちでもいいけどね。ソールはかわいいほうがいいって言ってるからね。わたしもどっちかっていうと、かわいいほうがいいかな」
「えっ? その、……ソールとしゃべれるの? どこかにいるの?」
思わず、詰め寄ったわたしに、女の子は眉をしかめた。
「また、その話? もちろん、それも話したわ。あんたが忘れただけよ」
「ねえ、わたし、ソールと話してみたい。どこにいるの? ここに部屋でもあるの?」
だだっ広い、どこまでも続いているような空間だが、隠し扉でもあるのだろうかとキョロキョロあたりを見回しながら尋ねた。
「はー、……ソールとは会えないわよ。というか、自分を消すかもしれない相手と誰が会おうと思うのよ」
「えっ? 消す? ソールを? ……ああ! 頭痛のこと? でも、今は眠ってるんだし、頭痛は起きないよね」
女の子はあきれたように首を左右に振って、コキコキ鳴らした。
「結局、毎度、毎度、同じ話になるわね。こうなったら儀式みたいなものね。賽ノ河原で石を積んでる気持ちになるわよ、まったく」
「覚える! 覚えるから! ねえ、教えて! もう、絶対に忘れないから!」
必死に頼みこむわたしに、観念したのか女の子が渋い顔で口を尖らせた。
「それも、毎度言ってるセリフだけどね。じゃあ、最後ね。これっきりって……毎回、言ってるんだけどね。で、何が聞きたいの?」
「本当? やったー! ありがとう!」
ようやく出たお許しに、わたしは思わずピョンピョン跳び上がる。
「じゃあ、えーっと、……さっきのソールを消すってどういうこと?」
「ふー、じゃあ、言うけど、あんたはソールの記憶をバラバラにして、消し去ろうとしたのよ。だから、ソールはあなたを恐がって出てこない。これ以上、壊されたらたまらないからね」
思いもよらなかった殺伐とした話に、心がビクンと震える。
「えっ? ……なんで、そんなことを? ケンカでもしたの?」
女の子は退屈そうに座り込んで、白いワンピースの裾に足を押し込めた。
「あんた自身、前に言ってたわよね。無理やり三つの魂を人形に押し込めたら、なんとかなると思ったのかって。ドワーフと戦うのなら、せめてエルフの記憶を持った人形をつくるべきだったんじゃないのかって。そのとおりよ。もちろん、聖樹はエルフの記憶を持った人形を作ろうとしたわ。聖樹が選んだのはドワーフに憎しみを持つスヴァルトヘイムのエルフ。つまり、ソールね。聖樹は三番目の魂としてあんたを利用しただけだった。それに怒ったあんたが、泣いて、叫んで、暴れて、投げつけて、聖樹の究極の一手を、すべてを壊そうとしたの。自分ごと、すべてなくなってしまえばいいってね」




