86 聖エルフ、氷っちと風っちの闘いを見守る
――えっ? 今、なんて言ったの? 空の聖エルフか、それとも?
風の聖エルフがモゴモゴ言ったところが聞き取れず、目を瞬いて首をかしげる。
声が聞き取れたのか、氷っちが胸を張って一歩前に出た。
「風の聖エルフ、お母様は記憶を持っていないわ。でも、今お母様が言った言葉は、まちがいなくお母様の意志よ。わたしも聞いたし、あなたも聞いた。それだけで充分だわ」
「そんなこと分かるかよ! こいつはついさっき言ったんだぞ! 空の聖エルフだってな! 聖樹様じゃないってな! さっきの言葉も空の聖エルフの言葉なんじゃないのか! 聖樹様の意志だって証拠でもあんのかよ!」
「あなたは本当は分かってる。でなければ、ドラゴンを倒しに行くなんて言うはずがない。本当にお母様のことを空の聖エルフだと思っているのなら、今までと同じでギムレーにいればいいじゃないの。なぜ、急におかしなことを言い出したの?」
かんしゃくを起こしたこどものように、風の聖エルフが腕を振って足もとに風の刃を叩きつけた。
本気ではないのだろうが、それでもバンッという音とともに土がえぐれ、土煙が舞う。
「うるさい! おまえが行かないって言うんなら俺ひとりで行く! いや、俺ひとりで充分だ! おまえなんて必要ない!」
「ダメよ! 風の聖エルフ! ひとりで行くなんて死ににいくようなものよ! 絶対に行かせないわ!」
氷っちの悲鳴のような声に、風の聖エルフがいっそう声を荒げる。
「うるさい! うるさい! うるさい! とめられるもんなら、とめてみろ! どうやってやるんだ! やってみろ!」
その言葉に、氷っちが胸をギュッと押さえた。
悲しみが盾を満たし、こぼれ出して渦を巻く。
それでもなんとか伸ばしそうとした手が途中でとまり、凍りついたように冷たい光をまとう。
ちからを失くした手がだらんと垂れ下がる。
銀色の瞳を悲哀でいっぱいにして、こちらを振り返った。
あふれんばかりの涙を浮かべて、噛みしめた唇の隙間から、かすれた声をもらした。
「おか、あ、さまどう、して……」
今にも泣き崩れそうな氷っちの姿に、わたしは心を決めた。
精一杯の笑顔をつくり、きっぱりと言い切った。
「とめられるよ、氷っち」
――そう、とめられる、はずだ。
やってみる価値はある。
氷っちは風の聖エルフをとめられないと思ってる。
氷っちの壁の中で自由に動ける風の聖エルフを、そして、その心を捕まえられないと思っている。
だから、いつも銀色の瞳を悲しみに染めて、風の聖エルフではない誰かを、閉じ込めてしまう。
「えっ……でも……」
――できないと、思いこんでいるだけだ。
きっと、氷っちの壁は風の聖エルフを捕まえられる。
わたし自身そう思い込むために、瞳にぐっと強い意志を込めた。
「ねえ、氷っち。氷っちの壁は風の壁じゃない。氷っちの壁は氷の壁だよ。風の聖エルフを固められる」
「でも、……わたしは、風の聖エルフを守るために……」
――そして、また、ウソをつく。
何度めだろう、もう数えられなくなった。
ウソはウソを呼び、雪玉のように大きくなっていくんだろうね。
「そうだよ、氷っち。わたしは風の聖エルフを守るために氷っちを産み出した。今、とめなければ、風の聖エルフは死ぬんでしょう? なら、とめられる。氷の壁は結界と同じように、選んだものだけを通すことができるの。いつもは、氷っちが無意識に風の聖エルフを選んでいるの。だから、氷っちが強く願えば、氷の壁は風の聖エルフを閉じ込められるの」
悲哀を宿した銀色の瞳が大きく見開かれ、希望の色に塗り替えられていく。
「……閉じ込められる? 風の聖エルフを?」
わたしはにっこりと笑って、疑わしげな眼差しでこちらを見ている風の聖エルフを、人差し指でビシッと差した。
「さあ、氷っち。風の聖エルフを氷の壁で閉じ込めなさい。風の聖エルフの命を守るために」
わかりました、お母様という声とともに風の聖エルフに向き直った氷っちが、盾を光らせて冷気を放つ。
怪訝な表情を浮かべたまま、風の聖エルフが後ろに軽く跳んで距離をとる。
氷っちの盾から巻き起こった冷気が、まわりの空気を凍ったように固めていく。
大きく前に向かって腕を突き出した氷っちに対して、風の聖エルフが仁王立ちで氷の壁を待ち受ける。
氷の壁は風の聖エルフめがけて殺到し、またたくまに風の聖エルフを冷気で包み込んだ。
――どうかな? 閉じ込められるかな? もしも、ダメだったら?
謝ろう、潔く謝って、わたしが結界で風の聖エルフを弾いて、動けなくなるほどの大ケガをさせてやろう、うん、そうしよう。
氷っちが、わたしが、そして、みんなが固唾をのんで見守る中、風の聖エルフは金色の瞳を輝かせてニヤッと笑った。
そして、全身に風の刃をまとわせて、氷の壁を押し返すように溶かし始めた。
――なっ! あの状態から風の刃を撃てるの? でも、一度は固まった! 閉じ込められる!
「氷っち! どんどん壁を増やして! 気を抜いたら破られるよ!」
「はい、お母様! 絶対に逃がしません!」
氷っちの弾むような歓喜の声が、盾を輝かせ、さらなる冷気を生み出していく。
まるで風の聖エルフが竜巻の渦の中心なったみたいに、溶かされても、溶かされても、氷の壁が押し寄せる。
――うん、閉じ込めて、いる、ね、かろうじてだけど。
次から次へと殺到する氷の壁が、風の聖エルフを厚い壁の奥へ、奥へと押し込める。
ただ、さすがは戦闘バカと言うべきだろう。
ほとんどからだを動かせないにもかかわらず、腕や脚や頭や背中などいたるところから風の刃を作り出して、四方八方に飛ばしている。
しかも、楽しそうだ。
無邪気なこどものように金色の瞳をキラキラと輝かせ、大口を開けて笑いながら風の刃を生み出し続けている。
氷っちはといえば、これまた見たことないほどの楽しそうな笑顔で、氷の壁を生み出し続けている。
ふたりの顔だけを見ていると、遊んでいるようにしか見えないが、やっていることは危険極まりない。
氷っちが勝てばいいが、風の聖エルフが勝った場合、風の刃がまわりにいるみんなに当たって大ケガどころではすまないだろう。
氷の壁はずいぶん分厚いから大丈夫そうだけど、もしもの時は結界でふたりとも閉じ込めようかな。
などと思いを巡らせながら、チラッとまわりをうかがうと、みんな一生懸命こちらに向かって祈りを捧げていた。
唯一、ソフィアさんだけが恋する乙女の瞳で、風の聖エルフをウルウルと見つめていた。
――さすがはソフィアさんだね。氷っちの本気のちからを見て、あれが自分に向かってきたらとか思わないのかな?
ため息のような笑いのような息をこぼしながらも、ちからを使うとお腹が減ることを思い出したわたしは、アルに駆け寄ってお菓子を少しだけ分けてもらう。
そうしている間も、ずっとふたりのちからくらべは続いていた。
――うん、うん、氷っち優勢だね。
一度壁で囲んでしまえば、あとは持久力勝負ってとこかな。
わたしは氷っちの傍まで戻って、アルからもらったお菓子を盾で包んだまま、氷っちの目の前に差し出した。
「そういえば、お母様はわたしの壁の中でも動けるのですね」
氷っちはわたしから受け取ったお菓子を、笑顔のまま口に放りこんだ。
「あれっ? そう言われてみるとそうだね。うん、動けるね」
「おーい! 今、何か食ったよな! 食っただろ! 俺にもよこせよ!」
まばゆい光に包まれて、氷の壁の外なんてとうてい見えそうにもないのだが、風の聖エルフが大声で叫ぶ。
「うん? 無理だよ。だって風の刃が当たるから、お菓子を手渡せないでしょう?」
「そりゃあ、まあ、そうだな! でもよ! 俺はギムレーからずっと飛んで来たんだ! 飯食ってないしよ! 腹減ってんだよ! 土の聖エルフは飯も食ってんだろ! お菓子ももらえるんだろ! ずるいよな!」
お菓子をゴクンと飲み込んだ氷っちが、会心の笑みで叫ぶ。
「なにを言っているの、風の聖エルフ! 闘いとはそういうものよ! 闘いに正々堂々などあるの? 負ければ死ぬのよ! ずるいもなにも、死んだら終わりよ! あなたを死なすわけにはいかないわ! だから、もうこれ以上、勝手なことはさせない!」
「ちょっ! おいおい! そんな楽しそうな顔で言うセリフかよ! 性格変わってんぞ! どうなってんだ! 土の聖エルフはこんな奴じゃなかったぞ!」
「風の聖エルフ! 覚えておいて! わたしは土の聖エルフじゃないわ! 氷よ! 氷の聖エルフ! 風の壁じゃなくて、氷の壁よ! とっとと、降参しなさい! お腹を減らして倒れる前にね!」
「おいおい、勘弁してくれよ! そりゃあ、楽しいけどよ! 腹がペコペコなんだよ! いつでも闘ってやるからよ! このままじゃあ、風の刃も撃てなくなるって言ってんだよ!」
「選びなさい、風の聖エルフ! このまま、みじめに氷の壁の中で動けなくなるか! それとも、負けを認めてお祭りに参加して、お接待してもらってご馳走を食べるか!」
「祭り? 何だ、祭りなのか? お接待って何だ? 飯が食えんのか?」
「今日はお祭りだからね。いっぱい家を回って、いっぱいご馳走を食べるんだよ。風の聖エルフも一緒に回ったらいいんじゃないの?」
「そうか、祭りか! おぅ! そりゃあ、いいな! よしっ! じゃあ、休戦といこう! えーっと、氷の聖エルフだったな! 飯食ってからやり直そうや!」
「では、ひとつだけ約束して、風の聖エルフ! ひとりでドラゴンのところに行ったりしないと! それすら約束できないと言うのなら、このままみんなが見ている前であなたを叩きのめすわ!」
「よしっ! 約束する! もう腹が減って目が回ってるんだ! 頼む!」
「よーし、じゃあ、風の聖エルフが先に風の刃をとめてね。そうしないとみんなに当たるからね」
みんながほっと安堵の声を上げ、風の聖エルフが刃をとめ、氷っちが壁を消す。
わたしが渡したお菓子を手に、氷っちが風の聖エルフに歩み寄る。
お菓子を差し出した氷っちに、風の聖エルフが照れたような顔で、ゴニョゴニョと何かをつぶやいた。
一瞬きょとんとした氷っちが、みるみるほころばせた顔を両手でおおった。
桃色に染まった氷っちの耳を見ながら、風の聖エルフは口に放りこんだお菓子をそのままゴクンと飲み込んだ。




