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さまよえる聖エルフ  作者: ハイエルフスキー
第四章 聖樹の化身
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82 聖エルフ、歴史の裏を知る

 氷っちの銀色のまつげがぴくぴくと震え、銀色の瞳が憂いを帯びる。


 さっきまで男性陣の熱気で暖かかった広間が、すーっと冷えていくのを感じる。


 ソフィアさんの横にいるシェーナがぶるっとからだを震わせ、あれっという顔であたりを見回した。


 ――ああ、そうか、ソフィアさんと氷っちって……。


 出航式で風の聖エルフに肩を抱かれていたソフィアさんの姿が脳裏をよぎる。


 と同時に、ふたりを見つめる氷っちの目が、盾とともにあやしく光っていたのを思い出した。


 ――あっ! そういえば、あの後、どうなったんだろう。


 氷っちが現われてからのソフィアさんの動きがおかしいことに、わたしはようやく気がついた。


 まるで、ヘビに睨まれたカエルというか、肉食獣に出くわした草食獣というか……。


 まちがいない。


 氷漬けにされたんだ。


 ふだん、風の聖エルフが女の子をほめるだけで氷漬けにされるんだから、肩なんか抱かれた日には……。


「お母様。あの者はお母様の知り合いですの?」


 氷っちが眉間にしわを寄せながらも、氷の微笑を浮かべて問いかけてきた。


 ほほ笑みの奥に見え隠れする氷の刃が、ピタピタと盾に突きつけられているような気がする。


 思わず、知らないと応えたくなるほどの迫力だ。


 しかし、ソフィアさんが氷漬けにされたのは、わたしがスヴァルトヘイムに連れて行かなかったせいだ。


 風の聖エルフは気を利かせて、ソフィアさんをわたしから引き離してくれただけだ。


 そのせいで、おそらくは氷っちの風の壁で氷漬けにされたのだろう。


 ソフィアさんはもちろん、風の聖エルフのせいでもない。


 はっきり言わせてもらえれば、わたしのせいですらなく、嫉妬深い氷っちのせいだろう。


 とはいえ、そんなことを面と向かって言えるほど、わたしは強い心を持っていない。


 わたしにできる精一杯のことは、すこしだけ語気を強くして、笑顔を返すことだけだ。


「うん、紹介するね。わたしのはきもの係のソフィアさんだよ。わたしが命をあずけているエルフさんだから覚えておいてね」


「……えっ! そうでしたか。そうとも知らず、ずいぶんひどいことをしましたね。ごめんなさい、ソフィアさん」


 氷っちの申し訳なさそうな言葉とともに、盾から流れ出ていた冷気がおさまり、広間を支配していた緊張感がやわらいだ。


「いえ、とんでもない。その折りは天馬でイザヴェルまで送ってくださり、感謝こそすれ、謝られるようなことは何ひとつございません」


 これ以上ないほどさらに丸くなったソフィアさんが、恐縮と怯えが入り混じったような声を広間に響かせた。


 ――うん? 氷漬けにされたわけじゃないんだ。


「そうなんだ。氷っちがソフィアさんをイザヴェルまで送ってくれたんだ。よかったー。村まで遠いもんね。ありがとうね、氷っち」


 じゃあ、なんで氷っちはソフィアさんに謝ってるんだろう? 


 ソフィアさんの怯えかたも尋常じゃないし。


「いえ、いえ、お母様。お礼を言われるようなことではございません。それに、わたしの天馬は少々気まぐれでして、エルフの身ではなかなか大変だったでしょう。なるほど、お母様のはきもの係でしたか。どおりで泣き言ひとつ言わず耐えておりました。わたしも少々やりすぎたかと。……あ、いえ、天馬がやりすぎたのですが……」

 

 ――ああ、そういえば、盾のないエルフが天馬に乗るには、一緒に乗っている聖エルフがよっぽど気を使わないと、大変なことになるんだった。


 氷っちは盾が強いから天馬もそのぶん速いだろうし、恐いどころではなかったんだろうね。


 わたしの知らないところで、随分がんばってたんだね、ソフィアさん。


「しかしながら、お母様。お母様のお世話をなさっているのでしたら、聖樹様の世話係ということになるのではないですか?」


「うーん、わたしは空の聖エルフでもあるからね。はきもの係がいてもいいよね」


 そう応えながらも、わたしが聖エルフを名乗っていいのかどうかはっきりとしないため、大急ぎで話題をかえる。


「あー、そういえば、はきもの係って言えば、天馬ソフィスティスが風の聖エルフのはきものをギムレーに届けて、それで氷っちが生まれることになったんだよね」


 ――うん、うん、エルフの物語では氷っちとはきもの係とは切っても切れない関係にあるはずだ。


 エルフさんもみんな、ドラゴンの罠にはまった風の聖エルフが、救援を求めて愛馬に靴を託すシーンが大好きだ。


「はきものですか? ああ、そういえば、そういうことになっておりましたね」


 氷っちが首をかしげながらも、手慣れた動きで冷気で冷えた湯呑みのお茶を、温かいものと代えてくれる。


「えっ? ちがうの?」


 わたしは湯呑みに手を伸ばし、口もとに運びながら首をかしげた。


「ええ、はきものではなく、脚そのものですね。ですので、はきもの係という名前もどうなのかと、ずっと思っていたのです。このさい、お母様に新しい名前を決めていただいた方がよろしいですね。どうも、神口の聖エルフの名前の付け方はいただけません」


 氷っちの言葉に、わたしは思わず湯呑みを落としかける。


 氷っちの美貌に見惚れて、いつもよりゆっくりとご飯を食べていた男性陣が、運んでいた箸をとめる。


 ソフィアさんが弾かれたように頭を上げ、聞きまちがえたかと、耳をぺしぺし叩く。


 さすがの村長さんまでもが、驚愕の表情を浮かべ、頭はそのままに目だけをこちらに向けた。


 先ほどの氷っちの冷気を上回るほどの冷え冷えとした雰囲気の中、言葉の分からないシェーナだけが幸せそうに豆を口に運んでいた。


 ――風の聖エルフの靴を見て神口の聖エルフは三日三晩祈り、氷っちが遣わされたとエルフの物語にはある。


 言われてみれば、はきものだけを見てトールがそこまでの緊迫感を感じ取れるだろうか?


 でも、ソフィスティスの運んで来たものが風の聖エルフの脚だったら?


 それに、その後、大ケガの治療のために癒やしの聖エルフが遣わされている。


 癒やしの聖エルフのちからが必要だということは、つまりは氷っちの言うとおりなのだろう。


 トールも大慌てで聖樹様に祈ったにちがいない。


「どうでしょう、お母様。はきもの係の名前も他の名前に……」


「あー! いいと思うよ! はきもの係で! うん、うん、いい名前だと思う! それはそのままでね!」


 おそらく、広間にいるみんなの頭に同じ情景が思い浮かんだはずだ。


 そう言われてみれば、なぜ今まで気がつかなかったのだろうという衝撃も手伝って、より鮮明に思い浮かべてしまっただろう。


 食事時には決して思い描きたくない絵だ。


 男性陣がすっかり食欲を失くしてうなだれている様子を、女性陣がどこか冷笑の混じった目で見つめている。


 氷っちに見惚れてさえいなければ、とっくに食事を終えている時間なのだ。


 同情の余地がないのだろう。


 わたしは湯呑みをしっかり両手で持ち、ずずっとお茶をすすった。


 歴史の改ざんにしろ、はきもの係という名前にしろ、以前はどうかと思っていたが、今回だけはトールの判断に賛成せざるを得ない。


 ――不思議だね。氷っちが来てからなんだかトールに少しずつ同情してきたよ。

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