79 聖エルフ、トールに敗北を喫する
『今回のイザヴェルの聖エルフたちの言動については、きみのせいではなく、わたしのせいだろうね。わたしはことあるごとに聖エルフたちに向かって、まじめに働かなければ聖樹様の化身が現われて罰を与えると言い続けたからね。聖樹様の化身などというものが実在すると心に植えつけてしまったんだろうね。さらにね、聖樹様は厳格で恐い存在だと思わせてしまったんだろうね。うん、ところがどうだろう。実際に聖樹様の化身が現われたら、罰を与えるどころか、よくやったと手放しでほめてくれるんだよ。うん、おかしいよね。ひょっとしたら神口の聖エルフは聖樹様の威光をかさに着て、でたらめを言っていたんじゃないかと思っても不思議ではないよね。さらに、聖樹様の化身がご帰還されたというのに、出迎えにも行かずにのうのうとギムレーで待っているなんてどういうことだと責め立てられてね』
トールは火箸で炭を掘り起こしては、コロコロと回しながら話し続けた。
『うん、つまりだね。わたしがきみを聖樹様の化身だと認めなければね、いずれ面倒なことが起こるのだよ。ところがだよ、逆にきみを聖樹様の化身として認めてしまえば、すべてが丸く収まるんだよ。きみはすでに聖樹様の化身としてスヴァルトヘイムのほとんどを支配しているからね。それにアルフヘイムの支配者であるという肩書きを付け加えるだけだよ。これならね、どこからも不満が出ないよね。八方丸く収まるという訳だよ』
トールの訳の分からない論理に、わたしは眉間にしわを寄せて考えこんだ。
――うーん、……いや、おかしいよね。うまくだまされそうになってるよね、これ。
それに、聖樹様の化身なんてものになったら立ってるだけで拝まれることになるのだ。
実際に、スヴァルトヘイムではそうだった。
雪遊びしてる聖樹様の化身っておかしいしね。
『眉間のしわはわたしへの不興ととられるからね、やめてもらえるかな』
トールが笑顔で指図してくる。
――トールめ、支配者に指図するってどういうことよ。
そもそも、アルフヘイムはトールが六千年以上にわたって聖樹様の指示なんて受けずに治めてきたんだ。
今さら聖樹様の化身なんて必要がない……。
うん? アルフヘイム?
『トール、わたしってスヴァルトヘイムの聖樹様の化身ってことになってるよね。じゃあ、アルフヘイムの聖樹様の化身にはなれないよね。うん、うん、そうだ、そうだ。残念だったね、トール。百歩譲ってスヴァルトヘイムの聖樹様の化身ってことでいいよ。アルフヘイムの聖樹様の化身じゃないからね。うん、うん、雨っちと雲っちにも今度そう説明しておくから、トールはもう帰っていいよ。じゃあね。アルフヘイムのことはアルフヘイムで決めてね』
わたしは勝ち誇った笑みを浮かべ、トールにそう宣言した。
『うん、そうだね。きみのすごいところは物事を深く考えられないにもかかわらず、案外きっちりと理論構築できるところにあるね。うん、すばらしいね』
――なっ! また、よく分からない悪口を言ったね。
思わず、ありもしないマクラを探して手が宙をさまよう。
『うん、残念ながらね、今日はマクラを持ってきてないからね。うん、そんなことよりもその聖樹様の化身の件だがね、わたしもイザヴェルの聖エルフたちに同じことを言ったのだよ。ところがだね、イザヴェルの聖エルフに限らず、聖エルフは聖樹様は唯一無二だと考えているのだよ。つまりね、アルフヘイムの聖樹様とスヴァルトヘイムの聖樹様は同じ聖樹様だという捉え方をしているのだよ。これにはわたしも少々驚いてね。つまりね、地上から見えるぶんには別々の聖樹様だが、九つの世界をつなぐ聖樹様は繋がっていて存在としてはひとつだと思われているんだよ。実を言うとね、そのことがイザヴェルの聖エルフたちがわたしのことを疑い出した一因でもあるのだがね、聖樹様を分けて考えるのは正統的な考えではないらしいのだよ。だからね、その説明では聖エルフはだれも納得しないよ。きみは聖樹様の化身だから笑って聞き流してもらえるだろうがね、わたしがそんなこと言ったら神口の聖エルフであることを疑われるのだよ』
トールは笑顔のまま、唇の隙間から静かにため息を吐きだした。
『うん、そうだね。きみは気乗りがしないようだから、わたしが背中を押してあげるよ。このままでは、いずれ聖エルフ同士でもめ事が起こる。その結果としてね、きみは聖樹様の化身としてアルフヘイムの支配者に祭り上げられ、わたしは隠居してどこかでのんびり暮らすことになるね。もちろん、きみが争いを避けて逃げだすという手もあるね。その場合、アルフヘイムでは暮らしにくいよね。きみはイザヴェルの聖エルフたちとともにスヴァルトヘイムに渡り、そこで聖樹様の化身として楽しく暮らすことになるね。せっかくだから、きみに決めてもらおうと思ってね、はるばるやって来たんだよ』
――またか、トールめ。いつもわたしに決めさせるふりをして、最初から全部決まってるんだ。
わたしは笑顔のまま奥歯をおもいっきり噛みしめた。
『ふー、……何を決めたらいいの? というか、そんな心配しなくてもわたしはおとなしく村で暮らすつもりなんだけどね。別にトールに恨みを持ってるわけではないしね?』
トールは目を細めて楽しそうに笑った。
『うん、そうだね。わたしもきみに恨まれるようなことをした覚えはないからね。それにね、わたしはこう見えても聖樹様に忠誠を尽くしてきたからね。できれば、わたしのことをほめてもらって、神口の聖エルフの名で呼んでくれると助かるね。わざわざギムレーまで来なくともここで言ってもらえればいいよ。エルフの口に戸は立てられないというからね。噂というのはすぐに伝わるからね。うん、それが嫌であればね、わたしに隠居するように命じてもらってもいいよ。どちらでも、きみの好きなほうを選んでいいよ』
――トールめ、どちらを選んでもわたしが聖樹様の化身ってことじゃないの。
あとは、スヴァルトヘイムに逃げて、……って、それも聖樹様の化身コースじゃないの。
うーん、六千年か……。
これが、六千年の重みか。
六千年エルフのためだけに生きてきたトールの選択が、エルフですらないわたしを上座に座らせて聖樹様の化身として働かせることなのか。
しゃくだけど、みんなの幸せにつながるんだろうね。
わたしは揺れる座布団の上で居住まいをただした。
そして、広間にいるみんなに聞こえるように、アルフヘイムの言葉でトールに話しかけた。
「神口の聖エルフよ、息災でなによりです。ずいぶんとエルフに慕われているようで、わたくしもうれしく思います。わたくしはこの村が気に入ったので、ここで暮らすことにしますが、あなたは今までどおりギムレーでエルフたちの面倒を見なさい。ああ、それと、神口の聖エルフよ、今日はもう遅いからイザヴェルで泊まりなさい。そして、イザヴェルの雨の聖エルフと雲の聖エルフをほめてあげなさい。スヴァルトヘイムではふたりとも随分がんばりましたからね。必ずほめるのですよ。それと、船長さんや船員さんたちにもあなたからお礼を伝えなさい。分かりましたね?」
トールは笑顔のまま眉毛をぴくんとつりあげた。
その漆黒の瞳がやや不満げに揺らいだ気もしたが、笑顔で無視した。
一拍おいて、トールは得体の知れない笑みを浮かべ、深々と頭を下げた
「もったいないお言葉をいただき、この神口の聖エルフ、感謝の念に堪えません。今後もお母様のご期待に添えるよう日々精進いたします」
――お・か・あ・さ・ま?
それを先に聞いてたら、絶対にトールの思いどおりにはさせなかったけどね。
なんとか保っていた作り笑顔が消え入りそうになったとき、トールの髪の毛が火鉢の炭でチリチリと焦げているのが目に入った。
ふと顔のこわばりがとれて、ゆがんだ笑みがじわっと胸の奥からこみ上げてきた。




