69 聖エルフ、聖樹様の怒りを見る
わたしたちは焼け焦げた大地を吹きすさぶ冷たい風にあおられながら、夜明けを待っていた。
うっすらとしらみ始めた空の下で、聖樹様をぐるっと取り囲む壁が朝もやの向こうにかすんで見える。
風が急かすように朝もやを追いたて、山際から差し込む陽の光が聖樹様の姿をわたしたちに届けた。
ようやく姿を現した聖樹様の姿に雨っちと雲っちがひっと息をのんだ。
その圧倒的かつ神秘的な存在が怒りをあらわにし、吐き出す慈愛すら怒りの色に染まっているように見える。
抱き合った双子がガクガクと脚を震わせながら、わたしを涙目で見た。
「どうすんの? ねえ、ソラっち、怒ってるよ、どうすんの? わたしたちも怒られるんじゃないの?」
「えー、ここまで来たのに怒られんのー? 来なきゃよかったじゃん、だからさー、風っちと氷っちが来ればよかったんだよー」
あわてたマティアスが必死に双子をなだめる。
「いやいや、聖樹様は俺たちに怒ってるんじゃなく、ドワーフに怒ってるんだ。壁を壊してドワーフを追い払えば、きっとほめてくれる。まちがいない。たぶん、大丈夫だ」
そう言っているマティアスもずいぶんと顔色が悪い。
おそらく、前に見たときよりもはるかに聖樹様がご立腹なのだろう。
わたしの記憶の中のピリピリとした聖樹様と比べてもその怒りはすさまじく、直視できないほどだ。
正直言って、見なかったことにしてとっとと逃げ帰りたい。
助けに来るのが遅かったと、怒鳴りつけられそうな気がする。
――うーん。とはいえ、場所が悪いし、壁に囲まれて大砲だらけだし、どう考えても後回しにするよね。
イースタッドの戦いで海上戦力のほとんどを失ったにもかかわらず、ドワーフはエルフとの戦いをやめようとはしなかった。
マティアスによるとドワーフは十三の部族で構成されており、イースタッドの戦いの敗北によって戦争継続派と講和派は六対七となったらしい。
とはいえ、講和派にしても今までに手に入れた土地を手放す気はなく、もともとの境界を変える気のないエルフとは話し合いの余地がなかった。
さらに戦況を有利にしなければ講和が結べないと判断したマティアスは、エルフの総力を挙げて反攻を開始した。
マティアスは東側の沿岸部を手に入れた船を投入して海と陸から北上し、わたしたちはアルフヘイム号に乗って陸からの攻撃と連携しつつ、西側の沿岸を北上した。
制海権を奪われ海からの支援を失ったドワーフはなだれを打って敗走し始め、エルフは奪われていた土地のほとんどを取り戻すことに成功した。
ドワーフ内部も完全に講和派が大勢を占めたらしいが、なお条件をめぐって争いは終わりそうになかった。
そこで、マティアスは聖樹様を囲む壁への総攻撃を決定し、わたしたちも攻撃に参加するために船を下りてやってきたのだった。
昨夜、聖樹様を囲む壁を一望できる丘でマティアスと合流し、陽が昇るとともに壁への攻撃を開始する予定でいた。
久しぶりに出会ったマティアスは歴戦の勇士のようないでたちで、自信にみちた瞳でもってわたしたちを迎えてくれた。
だが、勝利を重ねドワーフを震えあがらせたマティアスですら、聖樹様の怒りを目の当たりにしておどおどした小動物のようになっている。
――うーん。たしかに聖樹様のことはずーっとほおっておいたからね。
聖樹様からしたら、いちばん大切なわたしのところに最初に来るべきだって思ってたのかもしれないな。
マティアスも内心怒られるんじゃないかってビクビクしてるよね、絶対に。
まあ、しょうがないか。
怒られたら、謝ろう。
わたしは大きく息を吐いて、アオの背中をわしゃわしゃとなでた。
「じゃあ、行ってくるよ。今日でこの戦いが終わるといいね、マティアス」
「ああ、とっとと終わらせたいものだ。何から何まで空の聖エルフにまかせっきりですまないが、よろしく頼む」
「んー、ソラっち、聖樹様に怒らないように言っておいてね、お願いね」
「僕が悪いんじゃないってさー、言っといてよー、ソラっち」
――まるで、ドワーフを追い払いに来たというより、聖樹様に謝りに来たみたいになってるけど……。
みんなに軽く手を振ったのを合図に、アオが空に舞い、ぐんぐん高度をとる。
朝もやを蹴散らしながら軽やかに翔け、あっというまに壁の上まで移動したアオは、結界に包まれたそのからだを急降下させ、壁に沿って円を描くように飛び始めた。
ドワーフの築いた石積みの壁が轟音とともに崩れ落ち、配備されていた大砲が弾き飛ばされて宙を舞う。
すさまじいまでのアオの速さが、そのまま壁の崩壊する速さとなり、粉砕された壁から乱れ飛ぶ礫が朝もやとともに陽をさえぎる。
まるでアオが夜明け前に時間を巻き戻したような不思議な感覚に包まれながら、その背中で必死に目を凝らす。
アオが結界をぶつけるまでは何者をも越えさせなかったであろう壁。
その堅牢な壁がまるでこどもに蹴飛ばされた積み木のおもちゃのように散らばっていく。
――うーん。この後片付けはいったい誰がするんだろうね。
結界に弾かれてあちらこちらに飛び散る大きな瓦礫を見ながら、わたしはため息をついた。
広大なスヴァルトヘイムの聖樹様の結界をさらに囲むドワーフの築きあげた壁。
その計算し尽くされた壁が、どこかの遠い昔話で聞いたことのある高い塔のように、聖樹様の怒りに触れて崩れ去っていく。
アオはまるでそれが聖樹様の怒りを鎮める神聖な儀式であるかのように、壁を完全に破壊しつくすまで翔け続けた。




