66 聖エルフ、入港する
朝の陽に包まれたアルフヘイム号の甲板の上で、わたしたちは朝ごはんを食べていた。
昨日の夜ずっと、イースタッドの街の治安確保に走り回っていたマティアスが、眠たそうな目で食べ物を口に放りこんでいく。
街は完全にエルフの手に取り戻されようで、夜遅くまで散発的に響いていた銃声も今は聞かれなくなっている。
ようやくマティアスもひと心地ついたのか、雲っちと同じ速さでどんどんお皿を平らげていく。
雲っちとふたりでさんざん食い散らかした後、マティアスは大きく伸びをして海を見渡した。
「やっぱり海はいいな。俺はずっと海が見えるところで暮らしていたからな。ようやく、自分の居場所に帰ってきた気がするよ」
マティアスは懐かしい思い出に浸るような表情を、一瞬だけ浮かべた。
一緒に苦い記憶も思い出したのか、顔をゆがめて頭を軽く振った。
そして、強い意志を瞳に宿して、わたしに向きなおった。
「空の聖エルフ、船が必要だ。船を手に入れれば、この嫌な戦いを終わらせることができる」
――うーん。と言われても、港にあった船はぜんぶ沈めちゃったしね。
昨日の戦いの後、イースタッドの港は漂う船の残骸でいっぱいで、入港するのにも苦労した。
結界を強く張って、アルフヘイム号で港の中をぐるぐると周回して掃除をしてから、ようやく港に停泊できた。
何度も水しぶきをあげて火薬が爆発したため、ふつうの船はおろか小船さえ満足に浮かぶものは残っていない。
「うーん、すこしは船を残しておいた方がよかったかな」
――念のためとはいえ、ぜんぶ船を沈めたのはやり過ぎだったかな。
「いや、そういう意味じゃないんだ」
マティアスは赤い目にちからを込めて、こちらに身を乗り出した。
「昨日の段階では、船をぜんぶ沈めるのが最善の手だったと俺も思う。俺たちと連携も取れていなかったし、港も掌握していなかったから、船を沈めたほうが安全だった。でも、きみたちのおかげで、こうして港を取り返すことができた。この状況をうまく利用して、ドワーフから船を奪って俺たちのものにするんだ。そもそも、エルフがここまでドワーフに追い込まれたのも、船からの砲撃によるところが大きい。沿岸部の土地を取り返しても、陸と海から攻撃されて撤退を余儀なくされるからな。ドワーフに奪われている制海権を取り返すことができたら、戦局をひっくり返すことができる」
なにか作戦でもあるのか、マティアスはこぶしを強く握りしめて熱く語った。
「でも、どうやって船を手に入れるの? 壊しちゃだめなんでしょう?」
「そこでなんだが、実はいい方法があるんだが、きみじゃないとできないことなんだ。ぜひとも協力して欲しいんだ」
あぐらを組んだまま、マティアスがにじり寄ってきた。
「まあ、わたしでできることなら協力するけど……」
わたしはマティアスの勢いにすこしのけぞりながら応えた。
「結界というのは、昨日のようにすべてを弾き飛ばすんじゃなくて、選ばれた生き物だけを通すことができると思うんだ。聖樹様がわれわれエルフを加護して、結界の中に入れるようにしてくれているように、きみの結界もそういうことができるんじゃないかい?」
のけぞったぶんだけ、ぐいっとマティアスの顔が近づいてきた。
「うーん、強くするとか弱くするとかはできるけど、あんまりよく分かってないからね。そういえば、獣だけというか、毒狼だけ弾き飛ばしたことがあったね」
――あとは、ソフィアさんを入れるとか、風の聖エルフだけ入れないとかかな。
「毒狼だけを弾き飛ばせるということは、ドワーフだけを弾き飛ばせるということじゃないかい?」
マティアスの言葉を聞いた耳が、すこし後ろを向いた。
わたしはすこし間をおいて、ため息とともに声をもらした。
「ふー、……たぶん、……それはできるだろうね」
熱くうなずいたマティアスは、禁じられた呪文を解き放つように、そっと言葉を転がした。
「ドワーフだけを弾く結界を張って船の上を飛んだら、船は無傷のままで無人になるんじゃないかい? その無人になった船にエルフを送り込めば、ドワーフの船を手に入れることができると思うんだ」
めまいを覚えたわたしは、ぎゅっと目を閉じた。
――マティアスはエルフの価値観を持っているから、そんなことを考えられるんだろうな。
たしかに、船ごと沈めるのもドワーフだけ弾き飛ばすのも、わたしが奪う命の数は同じだ。
ただ、わたしのものさしはエルフのものさしとはちがう。
それをしてしまえば、しばらくのあいだアオの背中の上で暮らさないといけなくなる。
同じ行為だとは分かっているけど、うまく自分の心をだませなくなるのだ。
昨日からずっと、罪悪感というものを心のどこかで、雨っちとアオに押し付けて知らんぷりしているのに。
いつもながら、わたしという面倒くさい生き物にうんざりするね。
感情と理性が折り合いをつけようと、わたしの頭の中で渦を巻く。
閉じられた視界の向こうで、マティアスがあわてて頭を下げる気配を感じた。
「もちろん、無理だというならあきらめる。きみと天馬を守るものが盾だけになるからな。船なんかより、きみたちの命のほうがはるかに大事なのはまちがいない」
命という言葉を聞いて、わたしの耳がビクンと跳ねた。
――ん、そうか。結界の仕組みがよく分からないけど、少なくとも結界の内側に大砲や鉄砲が入りこむようになるね。
そのときに弾が飛んで来れば、盾だけでアオとわたしを守れるのだろうか?
ドワーフもわたしもアオも命がけなのは同じなのか。
「船があれば、この戦いは早く終わるの?」
わたしは目をつぶったまま、マティアスに問いかけた。
「エルフもドワーフもお互い憎み合って暮らしていたという訳ではないんだ。ずっと長いあいだ、お互い交流していたし、良き隣人だったんだ。エルフの土地でもドワーフが暮らしていたし、ドワーフの土地でもエルフが暮らしていた。海の向こうまで追いつめなくても、こちらが圧倒的なちからを見せれば、ドワーフ内部の親エルフ勢力が政権をひっくり返して和平を結ぼうとするだろう。船を手に入れれば、まちがいなくこの戦いを早く終わらせることができる」
わたしの感情は目を固く閉じたまま、なにも応えなかった。
理性がマティアスの言葉にうなずき、わかったと応えた。
アオがポクポクと歩いてきて、わたしを背中に乗せてくれた。
「船がいっぱい手に入って、早く戦いが終わるといいね」
わたしはマティアスがいる方向に目をつぶったまま手を振った。
「まかせておいてくれ。三日後には百隻を超える大艦隊が押し寄せる手はずになっている」
――えっ! 今、なんて言った?
わたしはアオから飛び降りて、腰に手を当ててマティアスの前に立った。
マティアスの赤い目の前に、震える指先を突きつけた。
「な、な、なんで、そんなことになってるの?」
マティアスはポケットから手紙を取り出して、恭しく頭の上にかかげてみせた。
「神口の聖エルフ様の立てた作戦なんだ。アルフヘイムを旅立つ日に僕にくれたんだが、さすがは完全無欠の万能の聖エルフ様だ。すべて作戦どおりいっているから、空の聖エルフも大船に乗った気でいてくれ」
――そういえば、トールってわたしに簡単な辞書を作らせたんだった。
あれを使ってマティアスに指示を出してたのか。
おのれ、トールのやつ、わたしに内緒でこそこそと。
帰ったら海の向こうまでマクラで叩き飛ばしてやるからな。




