64 聖エルフ、雲っちの怒りを見る
アルフヘイム号は自然の風を帆に受けて、ゆっくりとイースタッドに近づいていた。
船長さんが舵を取りつつ、これからの作戦を聞いてきた。
わたしは船を結界で包み、雨っちと雲っちを振り返った。
雨っちはアオをわしゃわしゃとなでながら、小首をかしげた。
「んー、ソラっちにまかせてるからね、何にも考えてないよ」
お腹がいっぱいになった雲っちは、大きな望遠鏡で遊んでいた。
豪華な装飾が施された、金ぴかの大きな望遠鏡がお気に入りだ。
釣りをしているときと食べているとき以外は、何もなくともあたりを見回している。
「スヴァルトヘイムってさー、おもしろいよねー、山はあるのに木が生えてないんだよねー、真っ黒だよねー」
雲っちの言葉に、わたしたちは驚いて港の後ろの山に目を凝らした。
イースタッドの港の後ろには、急峻な山がそびえている。
言われてみれば、その山肌は真っ黒で、緑というものがまったく見えない。
お世辞にも性能が良いとはいえない望遠鏡で港ばかり見ていたわたしたちは、雲っちが言うまでそのことに気がつかなかったのだ。
「なに言ってんの、雲っち、木が生えてない山なんて、あるわけないでしょう、もっとよく見なさいよ」
雨っちがたしなめるような声を出した。
「じゃあさー、雨っち、自分で見てみなよー、貸してあげるからさー」
雲っちが口をとがらせて、雨っちに望遠鏡を手渡した。
雨っちがどれどれと望遠鏡をのぞきこんだ。
「んー、どうなってんの、これ? ソラっち、見てみる?」
雨っちから望遠鏡を受け取ったわたしは、嫌な予感にとらわれながら、港の後背の山を見渡した。
望遠鏡をとおして見る山肌は、山火事にあった後のように、見渡す限り真っ黒だった。
生命がすべて奪われた黒い土の色に戦慄を覚え、頭がどこかチリチリする。
――そうだ、ドワーフにとって森はエルフの姿を隠す邪魔ものでしかないんだ。
エルフの土地に攻め込んだドワーフがまず最初にしたことは、森を燃やすことだった。
鉄砲の弾を当たりやすくするために。
わたしたちの姿を見えやすくするために。
頭がキリキリと締めつけられるように痛み、モヤがかかったように視界がかすむ。
望遠鏡の向こうに、炎をあげる森が視界いっぱいに映し出される。
炎の中を逃げまどうたくさんのエルフの姿と、わたしの手を握りしめる男の子の姿が、視界の中にかすんで見える。
衝撃とともに揺らぐ視界の向こうで、大粒の涙を流す男の子の顔がゆっくりと消えていった。
「だめだよー、ソラっち、望遠鏡が壊れるよー、ミシミシいってるよー」
雲っちがわたしの手から望遠鏡を奪い、背中の後ろに隠した。
口をとがらせている雲っちを見て、わたしはようやく我に返った。
――えっ! ……なに? 今の男の子って誰なの?
なお続く鈍い痛みに、両手でこめかみをぐりぐりと揉みほぐした。
「ごめんね、雲っち。森が燃やされてるのを見て、すっかり頭に血が上っちゃって……」
大慌てで謝るわたしに、雲っちが目をまん丸にして言葉をかぶせた。
「燃やされてるってどういうことなのさー、ソラっち、まさかさー、あの黒いのが森が燃えたのだとか言わないよねー」
初めて見る真剣な表情の雲っちに、すこし驚きながらうなずいた。
「うん、そうだよ。ドワーフが燃やしたんだと思うよ。防御のためか港を奪うときの砲撃のせいかは分からないけどね」
雲っちは望遠鏡を目に押し当て、食い入るように焼け跡にピントを合わせた。
「あーあー、そういうことかー、森をぜんぶ燃やしたのかー、それで黒かったのかー、じゃあさー、もうドワーフなんていらないじゃん」
雲っちの握りしめる望遠鏡がミシミシと音を立てて、手もとの装飾がバキッとはがれ落ちた。
「あの山にさー、雨っち、大雨を降らしちゃおうよー、木が生えてない山なんてあっというまに崩れてさー、港までぜんぶ埋まっちゃうよー」
なぜかニコニコと笑いながらも、雲っちがブルブルと肩を怒らせて雨っちを振り返った。
雨っちがひきつった笑みを浮かべ、ゆっくりと雲っちに近づく。
「雲っち、大丈夫だよ、落ち着いてね、ほら、ソラっちがいるんだよ、ソラっちは聖樹様の化身だからね、雲っちが暴れなくても大丈夫だからね、んー、肩のちからを抜いて、んー、よし、よし、ゆっくり深呼吸してね」
雨っちが恐る恐る、かんしゃく持ちのこどもをなだめるようにやさしく話しかけた。
雲っちが目をうっすらと細めて、甲板に視線を落とした。
普段の雲っちからは想像ができないほどの怒りのオーラが、盾から立ちのぼった。
まわりのエルフさんたちも怒りを抑えきれないようで、全身を震わせながら押し黙っていた。
――エルフは森の民だ。
生活のために森林を切り開き里山へと変えるが、意味もなく森を焼き払ったりはしない。
エルフがいればたとえ山火事が起こったとしても、ここまで延焼することはなかったはずだ。
ドワーフには分かっているのだろうか?
あの森が再生するまでに、どれだけの時間がかかるのか。
水を打ったような静けさの中を、パタパタと耳をせわしなく動かしながら、アオがわたしのそばにやってきた。
アオは港からすこし離れた山裾を見つめたまま、しきりと耳を動かしていた。
「港から砲撃しています。どうやら、交戦しているようです」
見張り役のエルフさんが大声を出す。
――うん? 誰かが港を攻めてるってこと? ドワーフがそれに反撃してる?
「雨っち、雲っち。ここで待っててね。もし敵がやってきたらゆっくりと逃げてね」
結界を消してアオに飛び乗り、いっきに翔け上がった。
「ソラっちー、ドワーフに罰を与えてねー、これ以上森を燃やさないようにねー」
雲っちの叫び声に手を振って応え、結界を強く張り直した。
――罰か。……そんなものを与える資格がわたしにあるとは思えないけど。
でも、トールの言うことが正解なら、わたしは三つの魂を持っている。
たぶん、さっき見たのはスヴァルトヘイムのエルフの記憶だ。
つまるところ、わたしの記憶でもある。
森を燃やしたドワーフを追い払って、スヴァルトヘイムの聖樹様とエルフを助け、あの男の子を見つけ出す。
アオと一緒なら、きっとできる。
わたしはアオの首筋をなでて、轟音を響かせて弾を撃ち出す大砲に向かって一直線に飛んだ。




