57 聖エルフ、黒く染まる
エルフの聖地であるアルフヘイムの神口の聖エルフ様は、姉マティルダの子孫をことごとく召しだされ、こうおっしゃられた。
『聖樹様より賜ったお言葉をお前たちに授けよう。これよりずっと北に行った海の最果てに、我らが聖樹様の妹君であらせられるスヴァルトヘイムを統べる聖樹様がおられるそうだ。わたしの姉の血をひく者は皆ちからを合わせてその大地を見つけ出し、聖樹様の妹君に忠誠をつくすのだ。さすれば我らエルフにいっそうの繁栄がもたらされるであろう』
神口の聖エルフは完全無欠の万能の聖エルフであり、その姉の血を受け継ぐエルフは聖樹様直々に指名を受けた選ばれた民として、大船団をもって大海原に帆をあげた。
――うーん、歴史って誰かの都合に合わせて変わってるんだね。
わたしは開いたまま閉じなくなった口を、両手ではさんで強引に閉じた。
そして、ため息をひとつついて、そわそわしながら待っている完全無欠の万能のトールに、マティアスの言葉を伝えた。
トールはスヴァルトヘイムの歴史を聞いて、満足気にうなずいた。
「うん、なるほどね。誰でも考えることは同じだね。自分に都合の悪い真実は隠されるんだね」
漆黒のオーラを楽しげに揺らしながら、ご満悦といった表情でこちらを見た。
「うーん、まあ……よかったんじゃないの。トールもずいぶんと評判がいいみたいだしね」
トールはマティアスの肩を親しげに抱いて、長く伸びた髪をかきあげた。
「うん、そうか、そうか。わたしの敬愛した姉の子孫だからかな。思えば、わたしに似ているとは思わないかな?」
――えー、何言ってるのよ。
聖エルフのからだは聖樹様が創ってるって言ったのはトールなのに。
そもそも、それ以前にまったく似てないのに。
マティアスは褐色の肌を持つ精悍な青年だ。
キリッとした目つきといい、たくましい体つきといい、ドラゴンの魂を持っているだけのことはある。
それにくらべて、トールはどこか眠たげな切れ長の目といい、華奢な体つきといい、まさしく正反対の存在だ。
聖エルフの盾にしても、トールの盾は薄暗くぼんやりとしているのに対し、マティアスの盾はどちらかといえば赤みがかっている。
姉の子孫に完全無欠の万能の聖エルフとして崇拝されているという話を聞いて、気を良くしているのだろうが、普段のトールとのギャップがありすぎて見ていられない。
「うーん、そうだね。そう言われれば、どことなく似てるね……」
わたしは心のこもっていない声で、当たり障りのない相槌を打った。
「うん、そうだろうね。マティアスのケガが治る頃には船も出来上がるだろうから、大船に乗ったつもりでいていいと、伝えてくれないかな。なにせ、わたしの姉の子孫だからね。できる限りのことはさせてもらうとね」
上機嫌のトールは肩に回した手でマティアスを親しげにバンバンと叩いた。
「そうなんだ。さすがは完全無欠の万能の聖エルフだね。そんなにすぐ大船団を用意するなんて、さすがだね」
わたしはマティアスにトールの言葉を伝えた。
「うん、そうだね。とはいえ、今あるいちばん大きな船を外洋に耐えられるように補強しているだけだからね。一カ月もあればなんとかなるよ」
トールはマティアスの肩を揺さぶりながら、にこやかにうなずいた。
「えっ! ……それって、……その、……何隻なの?」
トールの言葉に引っかかりを覚え、思わず疑問が口からもれる。
「うん、そうだね、一隻だよ。とはいえ、われわれが持っている船の中では一番大きいから安心していいよ」
トールの意気込みと今までの流れから、大船団に屈強なエルフさんがいっぱい乗り込んで、スヴァルトヘイムに向かうんだろうと思っていたわたしはあぜんとした。
「えっ、一隻なの? ……それで大丈夫なの?」
トールは意味ありげな表情でうなずいてみせた。
「うん、そうだね。では、マティアスに聞いてみればいいよ。五千年前に送り出した千隻におよぶ大船団のうち、いったい何隻がスヴァルトヘイムにたどり着いたかをね」
トールの言葉を伝えたわたしにマティアスは記憶を探った後、七隻だったかなと応えた。
――えっ! ほとんどたどり着けなかったってこと?
「うん、なるほどね。もちろん五千年前より船の性能は上がっているだろうがね、エルフはそれでも森の民なのだよ。長い航海に耐えられる船を必要としたことがないからね。先日聞いた距離を無事に渡り切る大船団など、どうやっても建造不可能なのだよ」
至極当然といった口調で話すトールに、わたしはあわててバタバタと手を振った。
「じゃあ、どうやってスヴァルトヘイムの聖樹様とエルフを助けるの? それよりも、その一隻ですらスヴァルトヘイムにたどり着けないんじゃないの?」
――そうだ、鉄砲どころか火薬すら持ってないんだ。
航海技術だってないだろうし、羅針盤だって持ってないかもしれない。
「うん、そうだね。普通に考えるとそうなるね」
「えっ、……ということは、何か秘策があるの?」
「うん、そうだね。まず船を進めるためには風のちからが必要だね。雨の聖エルフと雲の聖エルフのちからで風を吹かせば、船を高速で目的の場所までたどり着かせることができるよね。あとね、航海で危険なのは船が座礁することなんだがね、これに関しては結界を張って船が障害物にあたる前に排除してしまえば問題ないよね。どちらにしても大船団より船の数が少ないほうが成功率は上がると思うよ」
――結界って、……わたし以外に誰が張れるの?
「……ひょっとして、わたしが船に乗り込むってこと?」
トールは大きくうなずいて、わたしの目をまっすぐのぞきこんだ。
「うん、そうだね。きみをスヴァルトヘイムに送り届けることが、聖樹様の意志だとわたしは確信しているからね」
今までどこか他人事のように考えていたわたしは、トールの言葉がにわかに信じられず思考がとまる。
「えっとー、……ねえ、スヴァルトヘイムに聖エルフが何人か行ったとして、ドワーフと戦って勝ち目なんてあるの? ひょっとして、トールって秘密を知ったわたしを追いだそうとしてるんじゃないの?」
――そういえば、トールの歴史の改ざんとか聞いちゃったから?
あっ! さっきマクラで叩き飛ばしたことを根に持たれて?
トールの漆黒のオーラのゆらめきが、どんどんわたしの心を黒く染めていく。
「うん、なるほどね。きみは自分の盾の強さと結界のちからというものを分かっていないからね、そう思うんだろうね。考えてみればいいよ。ドワーフは壁を作って聖樹様をぐるっと取り囲んでいるんだよね。つまり、どんな攻撃をしても聖樹様の結界が破れないからだよ。さらに言うとね、聖樹様の唯一の欠点をきみは補うことができるんだよ」
――聖樹様に欠点? しゃべらないとか?
いや、いや、きっと秘密を知りすぎたわたしがジャマになんだよ。
疑心暗鬼な思いにとらわれ続けるわたしに、トールは待ち切れずに答えを言った。
「うん、そうだね。聖樹様は動けないんだよ。だからね、結界の外にいるドワーフに手を出せないでいるわけだがね、きみはちがうよね。天馬にだって乗れるから、ものすごい速さで好きなところに移動できるよね」
トールの言いたいことがよく分からず、首をかしげた。
「でも、移動できたってわたしは風の刃も作れないから何にもできないよ。そもそも、戦いたくもないけどね」
――うん? 移動できるから、追い出そうってことなの?
いや、いや、移動できるからね。どこからだって帰って来て、トールの悪口を言うからね。
「うん、そうだね。きみはやさしいからね。戦おうなどと思わなくてもいいんだよ。ただ、結界を張って天馬に乗って翔ければいいんだよ。結界というのはね、風の刃や壁など比べるまでもないほどにね、とてつもなく強いんだよ。イザヴェルの聖エルフも言っていたよね。きみは聖樹様の化身じゃないかとね。きみはそれほどのちからを与えられているんだよ。つまりね、ドラゴンなどよりね、きみの存在そのものが聖樹様の究極の一手なんだよ。きみの謎めいた知識も含めてね」




