56 聖エルフ、神の遣いを叩き飛ばす
「うーん、たしかにそれはひどい話だね」
いい返答が思い浮かばず、わたしはアオのお腹に頭を乗せたまま、軽く相槌を打った。
トールは驚いたように、がばっとからだを起こし、非難がましい目を向けた。
「うん、そうだね。ところで、イザヴェルの雨の聖エルフはきみのことをとても優しいと言っていたんだがね。うん、どうなんだろうね。ここは、わたしをなぐさめる言葉を言うところじゃないのかね?」
――うーん、そっちだったか。
とはいえ、そう言って欲しいんなら、そう言えばいいのに。
自分のことだけで頭がいっぱいなのに、人の心配までできるわけがないでしょうよ。
意外と面倒くさいな、トールって。
「五千年も前のことなんでしょう。もう誰かになぐさめてもらったんじゃないの?」
わたしは軽く手を振っておざなりに応えた。
「いや、誰も言ってくれなかったね」
トールは大きく首を横に振った。
「うーん、それは誰にも相談せずに黙ってたとかじゃないの?」
トールのすこし責めるような口調に、しぶしぶ頭を起こした。
「誰に相談すればよかったのかな?」
トールは深く息を吐き出して、わたしの目をのぞきこんだ。
「まわりにいるエルフさんに相談すればよかったんじゃないの?」
――五千年も前に終わったことを、今さらわたしに相談されてもね。
「姉の一族を追放したあとにね、歴史をぜんぶ書きかえてね、わたしには姉などいないことになってるんだよ。聖樹様から遣わされた聖エルフは聖樹様の御子であって、エルフとは何の関係もないことになってるんだよ」
またしても、あっさりと歴史の改ざんを告白するトールに、わたしはめまいを覚える。
「えー! じゃあ、風の聖エルフでもいいし、……そうだ。癒やしの聖エルフに相談すればよかったんじゃないの。癒やしっていうぐらいだし、心も癒やしてくれるんじゃないの?」
癒やしの聖エルフの豊満なすべてを包み込むような胸を思い返しながら、そう応えた。
「残念ながら、わたし以外の聖エルフはエルフだったときの記憶を持っていなくてね。相談したところで、わたしに一族がいるなどと信じてもらえないと思うよ」
――あれっ? そういえば、なぜトールだけ記憶を持ってるんだろう?
「そういえば、雨っちと雲っちは聖樹様から盾とちからと知識を与えられてるって言ってたよ。じゃあ、聖樹様は聖エルフの中身も創造できるっていうことじゃないの?」
――そうなると、トールの言っていた聖樹様は入れ物は創れても中身は創れないなんて話は、いったいどこから出てきたんだろう?
トールは額をトントンと指先で叩きながら、軽く首を振った。
「姉の一族のこともあってね、わたしは聖樹様に聖エルフを遣わして欲しいと願うときにはね、エルフであったことを覚えていないようにとも願ってるんだよ。だから、わたし以外の聖エルフは自分がエルフであったころの記憶がないんだと思うよ」
――うん? 今、何か大切なことをさらっと言ったよね。
わたしは目を閉じて、トールの言ったことを頭の中で繰り返した。
念入りに、何度も、何度も、トールの言葉の意味を考えた。
うん、うん、つまり。
雨っちや雲っちの記憶がないのは……。
こ・い・つ・の・せ・い・か!
わたしはくらくらする頭を抱えながら、アオのからだを支えになんとか立ち上がった。
一歩、二歩とトールに歩み寄り、トールの抱えていた大きなマクラを両手でつかんだ。
マクラを引っ張って奪い取り、盾で包んで大きく振りかぶった。
そして、トールの頭めがけてマクラを叩きつけた。
トールはとっさに腕で頭をかばったが、マクラにはじかれて草原の上をゴロゴロと転がっていった。
「なに勝手に記憶を消してんのよー! 大切な思い出も忘れちゃいけないことも消してどうするのよー! そうやってわたしの記憶も消したんじゃないでしょうねー!」
叫んだ後に肺から空気がなくなって、ひゅーうと音を出しながら息を吸い込んだ。
しかし、わたしの心の叫びを投げつけた相手は、草原のはるか向こうに倒れ込んで動かなくなっていた。
――うーん、あんなに遠くだと聞こえてないよね。せっかくちからいっぱい叫んだのに。
わたしはがっくりと肩を落としたまま、とぼとぼとトールのもとに向かって歩いた。
アオがやってきて、わたしを背中に乗せようと頭をこすりつけてきた。
わたしはアオのからだに手をそえて、マクラを引きずりながら歩いた。
――うーん、聖エルフの肉親や一族がいると権力が集中するってことなんだろうか?
エルフのためには聖エルフは記憶がないほうがいいってことなんだろうか?
いちど死んで手放してしまった記憶を望むほうがまちがってるんだろうか?
雨っちも雲っちも記憶がないって悩んでいるわけでもない。
トールのやってることは、正しいことなのかもしれない。
でも、そんなことを考えたって、自分が納得できるわけがないことも分かっている。
いろいろな考えが浮かんでは消え、思いついては打ち消されて、答えが出ないままトールのそばに立った。
「うん、さすがは空の聖エルフだね。これほどの攻撃を受けたのは生まれて初めてだよ。今のは姉の一族を追放した罰なのかな? それとも聖エルフの記憶を消した罰なのかな?」
トールはからだのあちこちを痛そうにさすりながら、おどけた表情をみせた。
「今のは、わたしが記憶を思い出せないことへの八つ当たりだよ。だって、トールがわたしの記憶を消したってわけでもないんでしょう?」
わたしはトールを盾で包んで、ケガをしたところがないか探った。
「うん、そうだね。それにね、マクラで攻撃してくる聖エルフを聖樹様に遣わして欲しいと願った覚えもないしね」
「お姉さんの一族がトールのことをどう思っていたかは、マティアスに聞いたらいいんじゃない? トールのこともきっとスヴァルトヘイムの歴史書に書いてるんじゃないの? とりあえず、もういちどマティアスのところに行って話を聞いてみようよ」
わたしはそう言いながら、トールの聖樹様の慈愛をかるく整えて、マクラを手渡した。
「聖エルフの記憶については、うーん、どうなんだろうね? 分からないね」
わたしたちはアオに乗って、もう一度、マティアスのいる河原に向かった。




