55 聖エルフ、アオに甘える
河原にころがる石を見ながら、大きなマクラを抱えてとぼとぼ歩いた。
川をわたる風がわたしの盾をなで、すこし渦を巻いて流れていった。
空を広くおおう雲の隙間から、高く昇った陽がすこしだけ顔を見せ、また雲におおわれた。
にじむ視界の向こうで、聖樹様の結界から跳び出したアオが走ってきた。
アオは耳をピンと立ててわたしの顔をのぞきこみ、大きな舌でなめてくる。
わたしは抱えていたマクラを投げ出して、アオの首にしがみついた。
アオはわたしを背中の上に押し上げ、もと来た道をポクポクと歩き始めた。
神口の聖エルフがマクラを拾って、アオの横を急ぎ足で歩く。
「よかったら、わたしも乗せてくれないかな?」
わたしは神口の聖エルフに手を伸ばした。
歩みをとめたアオの背中に、神口の聖エルフがわたしの手をとって飛び乗った。
アオはゆったりと空に舞いあがり、聖樹様の結界をくぐった。
「悩み事があるのなら、わたしでよければ相談に乗るよ」
神口の聖エルフは大きなマクラを抱えたまま、わたしを振り返った。
わたしは深く長い息を吐き出し、マクラを奪い取って抱きしめた。
「前から思ってたんだけど、神口の聖エルフって名前じゃないよね。本当の名前を教えてもらっていい?」
神口の聖エルフはおどけたような表情を浮かべた。
「うん、そうだね。わたしの名前はトールだよ。その名前で呼ばれていたのは、ずいぶんと前だけどね」
アオがギムレーの上空をゆったりと遊覧するように翔ける。
「そうなんだ。……トールね。……ねえ、トール。……聖エルフって何なの? 魂って何なの? 聖樹様って何なの? わたしって何なの? ねえ、わたしって、……死んだの? いつ? どこで? 何をどうしたらこんなことになるの? おかしいよね? ねえ、神様なんでしょう? 聖樹様って神様なんだよね? 神様って何? 何を聞いたら、誰に聞いたら分かるの?」
思考の整理が追いつかないまま、思いついた言葉を放り投げた。
――何を失ったのか、何を忘れてしまったのかすら、分からない。
手の届かないところにあるのか、手を伸ばせば取り戻せるのかどうかも分からない。
いっそ記憶がなかったほうが、聖樹様の御子として幸せに暮らせるの?
そう思ったわたしは、思わず息をのんだ。
雨っちや雲っちには聖エルフとして生まれるまでの記憶がない。
「ねえ、トール。答えを教えて」
アオが聖樹様のたもとの草原をかすめながら、ゆっくりと飛ぶ。
トールは困ったように眉をしかめた。
「残念ながら、わたしは答えを持っていないよ。答えを知ってるとしたら聖樹様だろうけどね。さきほども言ったように、わたしにできることは相談に乗ることぐらいだね。あとは寝こんだときに看病することぐらいかな」
わたしはアオにわたしたちを下ろすように呼びかけた。
アオから下りて、マクラにからだをあずけて聖樹様を仰ぎ見た。
トールがアオから下りて、わたしの横にあぐらをかいた。
「ねえ、トール。聖樹様って神様だよね?」
「うん、そうだね。ところで、きみの言う神様とはどういう存在なのかな?」
――うーん。……そこからか。……言葉って難しいな。
「じゃあ、聖樹様って何なの?」
「わたしが生まれた頃はね、聖樹様というのは万物の霊長だと言われていたね」
アオがわたしにからだをすり寄せて、脚を投げ出して横になった。
「うーん、……トールが神口の聖エルフだって名乗って、聖樹様を神様だって言ったってこと? それはどうしてなの?」
「聖樹様はエルフに救いの手を差し伸べてくれて、獣たちにおびえて暮らす生活から解放してくれたからね。神様とはまさにそういう存在のことを言うんだと、わたしは思うね」
抱えていたマクラをトールに手渡した。
「聖エルフは聖樹様が創造したんだよね? じゃあ、トールが持っている記憶って何なの?」
「うん、確かにそうだね。聖エルフは聖樹様に創造されたものだね。そういった意味では聖樹様は聖エルフにとってはまさしく神であり親だね。ただし、聖樹様は入れ物を作ることはできても中身を作ることはできないんだと思うよ。記憶とか魂とかまでは作れないんじゃないかと、わたしは考えているね」
アオのお腹の上にうつ伏せになってからだをあずけた。
「そこで魂って言葉が出てくるの? じゃあ、魂って何なの?」
「うん、分かるわけがないね。わたしは聖樹様じゃないからね。ただね、あらゆるものに聖樹様の慈愛は宿っているからね。慈愛を使えば中身を移し替えることができるのかもしれないね」
アオのお腹の上でゴロンところがってトールを見た。
「じゃあ、その、……トールも中身を移し替えられたの?」
「うん、そうだね。ずいぶんと昔のことになるがね」
「うーん、……生きたまま移し替えられたっていう可能性はないのかな?」
すこしだけ希望を込めて尋ねてみた。
「うん、そうだね。わたしの最後の記憶から推察すると、土の聖エルフと癒しの聖エルフがその一瞬あとに現われたとすれば、まだ助かった可能性もあったかな。もちろん、きみでもいいけどね」
――うーん、あっというまに希望が打ち砕かれたね。
「マティアスがエルフの魂とドラゴンの魂を持っているって言ってたけど、どういう意味なの?」
「うん、それはわたしも驚いたね。ドラゴンの手を借りるためには、ドラゴンの言葉が理解できなければならないということだろうね。そこで赤い聖エルフのからだという入れ物に、エルフの魂とドラゴンの魂という中身を入れたのではないかな」
「そんなことをして大丈夫なの? というか、いいの? そんなことをして許されるの?」
聖樹様のしたことに違和感を感じて、声が鋭くなった。
「うん、そうだね。きみはやさしいからそのような考え方をするのだろうがね。許すも何も誰の許可がいるのかな? 聖樹様が生き残るために打った手なんだろうね。神の一手と言ってもいいし、万物の霊長が打った究極の一手と言ってもいいだろうね」
――うーん、価値観の違いというか、ものさしの違いが出るよね。
「ということは、……それは、わたしに当てはめるとどうなるの?」
「うん、そうだね。きみはわれわれの言葉を話すことができるね。そして、赤い聖エルフの言葉も話すことができるね。さらに、もうひとつ言葉を操れるんだったね。つまり、どういうことになるんだろうね?」
思わず頭を抱えそうになって、アオのお腹をわしゃわしゃなでて気持ちを落ち着かせた。
「うーん、……まさかとは思うけど、三つの魂を持ってるとか言わないよね」
トールはあっさりとうなずいた。
「うん、そんなところだろうね。われわれとスヴァルトヘイムはまったく交流がないからね。すくなくともふたつの魂は持っていることになるね」
――うーん、やっぱりそうなるのか。
とはいえ、話が飛躍しすぎて実感がわくはずもないよね。
おかげで寝込むほどの衝撃も受けないのが助かると言えば助かるけど。
「あれっ? そういえばスヴァルトヘイムのエルフってトールのお姉さんの子孫なんだよね。どうして交流がないの?」
トールはすこし考え込んだ後、迷いを振り切るかのように、大きくうなずいた。
「うん、そうだね。せっかくだからこの機会に話しておこうかな。わたしには姉がいてね、とはいってもエルフだった頃の話だがね。聖エルフに生まれ変わった後も、やはり肉親の情というものはあるものでね。政治に関しては姉の一族に任せきりでね。わたしは主にエルフを率いて獣たちを倒しては、村を作っての繰り返しでね。どんどんエルフの生活圏を広げていくことに夢中になっていた時期があるんだよ」
――そうか、開拓時代にはトールが獣たちを倒してたんだ。風の聖エルフが生まれるのはもっと後なんだ。
「そしてね、気がついたときには、エルフの社会はひどく歪んだものになっていたんだよ。千年にわたって聖エルフの姉の一族に権力が集中した結果、貧富の差が拡大し、公平なんてものはこれっぽちもなくなってしまっていたよ。もともと、わたしも姉も結界の中で暮らせない貧しいエルフだったんだ。獣が襲ってくると結界の中に逃げ込んで、また森に戻って暮らす毎日でね。エルフだった頃は結界の中で暮らしている裕福なエルフが憎くてね。すべてのエルフが公平で豊かに暮らせる社会を作るのが、わたしの使命だと思っていたのにね」
トールは何千年も前の記憶を、まるで昨日の出来事かのように、苦しそうな表情で吐き出した。
「そこでね、わたしは姉の一族をすべて捕らえてね。罪があろうとなかろうとね。船をあつらえて海の向こうに送り出したんだよ。ひどい話だと思わないかね。聖エルフの姉の血をひく縁者すべてをだよ。あるかどうかわからない海の向こうの大地を見つけ出すという名目でね。それが五千年もたって、まさか姉の子孫が生き残っていて、ドラゴンに乗ってやってくるとはね」
トールはそう言って、草原にごろんと仰向けに寝転がった。




