49 聖エルフ、天馬に釣られる?
――うん? また、変なこと言ったね。
「あー、そう、そう、わたしはウルズ村に住んでるんだけどね。今日は神口の聖エルフに挨拶にやってきたんだよ。雨っちと雲っちが一度会っておいた方がいいって言うからね。明日には帰るからね」
わたしは神口の聖エルフの言葉を無視して、軽い口調でそう返した。
「うん、そうらしいね。イザヴェルの雨の聖エルフがそう言ってたね。わたしもきみに仕事をまかせたら、その村に住もうかな。きみが気に入るようなところだからね、ずいぶんといいところなんだろうね。今から楽しみだよ」
神口の聖エルフも軽い口調でわたしに返した。
わたしは語気を少し強くしてみた。
「わたしに任せなくていいよね。風の聖エルフに任せるとか、他の聖エルフに任せたらいいんじゃないの?」
「残念ながら、聖エルフはそれぞれ使命を持って生まれてくるんだ。風の聖エルフは戦う以外のことはさっぱりでね。それ以外の聖エルフも使命以外のことはあまり得意とはいえないね」
――うーん、風の聖エルフについては反論できないかもしれない。
「でも、雨っちも雲っちもがんばってイザヴェルの街をあんなに大きくしてるし、ギムレーにも聖エルフはいるんでしょう?」
神口の聖エルフはかすかに眉をひそめた。
「たしかに天候の管理という使命はしっかりと果たしているがね、行政能力があるかといえば、イザヴェルの聖エルフに限らずどの聖エルフもさっぱりだね」
――そういえば、雨っちが神口の聖エルフはほめてくれないって言ってたな。
「天候の管理だけしてあとはエルフに任せたらいいんじゃない。そもそもエルフ自身のことなんだから」
神口の聖エルフは渋い表情を浮かべた。
「問題はそこでね。わたしもかつては獣たちの脅威を取り除くためにあちらこちらに出かけて、エルフに留守を任せっぱなしの時期が長く続いてね。そうするとね、ダメなんだ。権力を握った一部の者がだんだん好き勝手に振る舞い始めてね、貧富の差が広がり、ちからのない者がひどい目に会うんだ。わたしの使命はエルフが豊かに公平に暮らす社会を作ることなんだよ。それができないのなら、何のために聖樹様に選ばれたのか分からなくなるからね」
――あれ? エルフの世話にうんざりしてるって言ってたのに。
「うーん、使命なのなら神口の聖エルフが一番うまくやれるってことだよね。自分がやるしかないんじゃない」
神口の聖エルフはゆっくりと深い息を吐き出した。
「きみも六千年もエルフのために働いてみたら分かると思うよ。いつまでこんなことを続けるんだろうって思ってしまうんだよ。いっそエルフたちに全部任せてしまったほうがいいんじゃないかとね。それが本来の姿であって、わたしがいつまでもエルフの世話を焼いているほうがいいとは限らないのではないかとね」
――うんざりしてるっていうより、悩んでるってことなのかな。
「うーん、じゃあ、すこし休んでみたら? しばらくエルフに任せてゆっくりして、様子を見たらいいんじゃないの?」
ポンと手を打ってうんうんとうなずいてみせた。
「いきなりわたしがいなくなると困るだろうしね。きみが代わりにやってくれれば、わたしは休めるよね」
うなずいていたあごが上がったままとまった。
「うーん、そもそもわたしは聖エルフじゃないしね。働きものでもないから無理だね」
神口の聖エルフは考え込むように宙を睨み、またわたしに視線を戻した。
「きみは聖エルフであることを認めるのを嫌がっているようだけれど、何か理由があるのかな?」
「わたしは記憶を失くしているだけで、そのうち思い出すからね」
わたしはきっぱりと、そう言い切った。
「うん、そうだろうね。だが、それが聖エルフではないと言い張ることと、どういう関係があるのかな?」
「だって、聖エルフって聖樹様に創造された存在なんでしょう。生まれたときから知識とちからを聖樹様から与えられているんだよね」
神口の聖エルフが頭を軽く傾げた。
「うん、そうなのかな? それは誰から聞いたのかな?」
「雨っちも雲っちもそう言ってたよ」
「なるほど、そうだね。彼らにとってはそういう認識になるだろうね」
――ん、なんか引っかかる言い方だね。
「それは、……本当は違うってこと?」
「うん、どうかな? 正しいと言えば正しいだろうし、間違っていると言えば間違っていると言えなくもないね」
――ん、妙な言い回しだね。
「ねえ、どこが間違ってるの?」
「うん、世の中にはね、知らないほうが良かったということがあるものだよ」
耳がぴくんと動いた。
「えっ、……わたしが知らないほうがいいことなの?」
「うん、そうだね。少なくとも、わたしは、そう思うね」
「それは、でも、……わたしが決めることだよね」
神口の聖エルフは少し悩む素振りをみせた。
「うん、そうだね。でも、聞いた時にはもう手遅れじゃないのかな。聞いたことを聞かなかったことにはできないからね」
好奇心が頭をもたげて、わたしの背中を押した。
「うーん、じゃあ、ちょっとだけ言ってみて。ちょっとだけ、試しにね」
「うん、そうだね。では、きみに都合がいい部分だけ言ってみようかな」
警戒心が頭をもたげて、耳がこころなしか後ろを向いた。
「うん、うん、それがいいね。嫌な部分はとりあえず隠しておいてね」
「うん、そうだね。では、いくよ。きみは記憶を失くしている」
そう言って、神口の聖エルフは軽くうなずいてみせた。
――あれっ?
「ん、……うん、そうだよ」
「それだけだよ、きみに都合のいい部分はね」
「えっ、……もっと他にあるよね。他はぜんぶ聞かないほうがいいことなの?」
「うん、そうだね。少なくともわたしはそう思うよ」
好奇心がまだ聞きたりないと心の奥でささやいた。
「もしね、もしもだよ。隠していることを全部聞いたらどうなると思う?」
「うん、そうだね。三日は寝こむんじゃないかな」
「うん? 三日以上ふとんの中で泣き続けるってこと?」
――うーん、それは遠慮したいね。
「うん、そうだろうね。ただ、試したことがないからね。実際はどうなるか分からないかな。わたしの場合は寝こんでいる暇がなかったからね」
「それは、……どういうこと?」
「うん、そうだね。わたしには記憶があるってことだね」
――ん、今、なんて?
「うん? 記憶がある? 何の? どういうこと?」
「うん、そうだね。きみは言っていたよね。生き物とは親から生まれて、いろいろな経験をして、そうやって大きくなっていくものだとね。わたしにはその記憶があるんだよ。きみが失くしている記憶というものがね」
思いもよらなかった言葉が、わたしの心に波紋を広げていく。
「えーっと、じゃあ、わたしにも親がいて、生まれて、大きくなって、……えっ、じゃあ、いいことじゃないの? そうだよね? じゃあ、わたしは聖エルフじゃな、……あれっ? 神口の聖エルフは聖エルフなんだよね? それは本当なんだよね? じゃあ、どうなってるの?」
「うん、そうだね。つまり、わたしは記憶を持っている聖エルフだということだよ」
「うん? じゃあ、いいことずくめだよね。記憶は持っているし、聖エルフだし。……それなら何ひとつ悪いことはないよね?」
神口の聖エルフは黒いオーラをゆらめかせてうっすらと目を細めた。
「うん、そうだね。では、解決だね。きみも記憶を持っているが、今のところ忘れていて思い出せない聖エルフということでいいね」
――あれっ? うん、問題ないよね。じゃあ、なぜ神口の聖エルフは聞かないほうがいいって。
「えーっと、他に何か隠していることがあるの?」
わたしは好奇心を抑えきれず、神口の聖エルフからもっと情報を引き出そうとした。
「うん、そうだね。もちろん隠しているよ。ただ、これ以上はわたしの個人的な昔話も含まれてしまうからね。たしかに、きみはわたしにとって特別な存在であるわけだが、今日出会ったばかりだしね。もっと親しくなれば個人的な秘密も話せるかもしれないがね。きみもそうじゃないかな。出会ったばかりの相手に自分の大切な秘密を話したりはしないのではないかな」
神口の聖エルフは心底残念そうな素振りをみせながら、首を傾げてみせた。
「うーん、まあ、確かにそうだけど。けど、親しくなるっていっても明日には村に帰るし、もう会う機会もないだろうし……」
「イザヴェルの聖エルフの話によると、きみは村で働いているそうだね。それならば働く場所だけをギムレーに移してみてはどうかな? 例えば、そうだね。七日はギムレーで働いて、三日は村で休むというのはどうかな? もちろん遠く離れているからね、天馬をあげるよ。それなら村との往復には困らないよね」
天馬という言葉を聞いて、わたしの心が漆黒の瞳に吸い寄せられる。
「えっ、天馬をくれるの? 天馬をわたしに? でも、七日もずっと働くっていうのはちょっとどうかな。でも、天馬をくれるんだよね? でも、遠いしね。だけど、天馬をくれるんだよね? それに、神口の聖エルフの仕事って難しそうだしね。それでも、天馬をもらえるんだよね?」
――天馬、いいよね。天馬ってかわいいし、ものすごい速さで飛べるし。そういえば、わたしって空を翔けたりできないんだよね。でも天馬がいれば飛び放題だよね。うん、うん、いいよね天馬。欲しいなー、天馬。
「うん、そうだね。きみは深く物事を考えるのには向いていないようだし、できることをやってもらえばいいよ。何日働いて何日休みにしようかな? きみが決めていいよ」
――うん? 今、さらっと悪口を言われような気がしたけど。
「えっ、本当に? うーん、じゃあ、五日働いて五日休むっていうのはどう? うん? 休みすぎかな?」
「うん、そうしようかな。ただし天馬での移動は休みの日にしてくれるかな。五日働いて、六日目に村に帰って、十日目にはギムレーに帰って来るということでどうかな?」
「うーん、それなら問題ないね。村でもゆっくりできるし、天馬にも乗れるしね」
「うん、そうだね。それでは神殿に戻ろうかな。ずいぶん日も傾いてきたことだしね」
神口の聖エルフは唇に指を押しあてて、高い音を響かせた。
遊んでいた天馬たちがこちらに飛んできて、わたしの盾に鼻を押しつけた。
――ふふっ、天馬かわいいなー。村につれて帰ったらみんなびっくりするぞー。
わたしは天馬をわしゃわしゃとなでて、背中に飛び乗った。




