47 聖エルフ、がらんどうで叫ぶ
聖樹様のたもと一面をおおう下草をかすめながら、天馬たちはまるで遊んでいるように大きくステップしながら飛んだ。
聖樹様の息吹である慈愛が頭上から降りそそぎ、わたしと天馬の盾をキラキラと輝かせた。
あっというまに聖樹様のがらんどうの前に着地した天馬は、まだ遊び足りないといったふうに、わたしの盾に鼻を押しつけた。
すぐそばで見る聖樹様は、視界をいっぱいに埋め尽くし、どこまで広がっているのか分からないほどその枝葉を広げている。
ふだんは自分の盾が光っているなどと感じたことのないわたしが、聖樹様の足もとではその慈愛をいっぱいに浴びて、自分のまぶしさのあまりくらくらした。
「やはり、きみはすごいね。空の聖エルフ。そんなに光っている聖エルフは初めて見たよ」
振り返ると、聖樹の慈愛を盾いっぱいに浴びてなお、薄暗いオーラを放つ神口の聖エルフが、目を細めてまぶしそうにこちらを見ていた。
「うーん、聖樹様の息吹がどんどん降ってきてるからかな? やっぱり盾も結界も聖樹様の慈愛でできてるんだね」
神口の聖エルフは天馬たちに遊んでくるように言って、軽く背中を叩いた。
二頭の天馬はじゃれあうように連れだって、はずむように翔けていった。
「うん、そうだね。それにしても、きみは聖樹様によほど必要とされているのかな? それとも溺愛されているのかな? きみのもっている使命が知りたくて、わたしはこの身を焦がしそうだよ」
よほどまぶしいのか、神口の聖エルフは目の上に手でひさしを作って、こちらに楽しげに見つめた。
「使命って、……どういうこと?」
わたしは思わず、神口の聖エルフに向かって一歩踏み出した。
「うん、それは聖樹様に聞いたほうがいいだろうね。そのためにここに来たわけだしね。わたしはここで待っているから、きみはがらんどうの中に入って、聖樹様と言葉を交わしてみてはどうかな。中は真っ暗なんだが、きみはそれだけ輝いているんだ。まわりが見えないということもないと思うよ」
神口の聖エルフはそう言うと、くるっとむこうを向いて歩いていった。
ひとり取り残されたわたしは、意を決して聖樹様のがらんどうの中に足を踏み入れた。
そこにはウルズ村のお屋敷の広間ほどの空間が広がっていた。
すこし湿気を含んだ空気が盾をおおうようにまとわりついた。
勇気を出していちばん奥まで忍び足ですすんだわたしは、聖樹様のごつごつした木肌にさわって呼びかけてみた。
「おーい! 聖樹さまー! 聞こえてるー? 聞こえてたら返事してー!」
わたしの大声ががらんどうに反響して、頭の中で何度も繰り返された。
しばらくのあいだ聖樹様の返事を待っていたが、わたしの耳にも心の中にも何も聞こえてはこなかった。
ためしに木肌にからだを密着させて、心の中で聖樹様に呼びかけてみた。
――うーん、なんにも反応がないね、ひょっとして言葉が通じてないとか?
そう思ったわたしは、今度はわたしの思考言語を使って心の中で呼びかけた。
――うーん、変化なしか。
あとは、わたしの思考言語で大声を出してみて、それでダメなら聖樹様とは意思が疎通できないってことだね。
わたしは目覚めてから初めて、自分の思考言語を口に出して叫んでみた。
『聖樹さまー! これで最後だよー! 一回しか言わないよー! 聞こえてたら応えてねー! いくよー! わたしはだれー! わたしはなぜここにいるのー! 知ってたら教えてー!』
自分でも耳をふさぎたくなるほどの大声ががらんどうに反響したが、しばらくしてわたしだけがぽつんと取り残された。
――うーん、だめか。ケチだな、聖樹様って。教えてくれてもいいのに。
わたしはがっくりと肩を落として、がらんどうから外に出た。
――まあ、いいか、そもそも神口の聖エルフでなければ聖樹様と話ができないわけだし。
うん? そうか、神口の聖エルフに聞いてもらえばいいのか。
なんだ、うっかりしてた。
そうだ、一緒に来てるんだから聞いてもらえばいいんだ。
わたしはきょろきょろとまわりを見回して、神口の聖エルフを探した。
「きみは本当にわたしを驚かせてくれるね。さきほど、きみが話していた言葉は、ひょっとして聖樹様の言葉なのかな? その言葉を使えば聖樹様の意志を聞き出せるのかな?」
いきなり神口の聖エルフの声が背後から聞こえて、びっくりして振り返った。
神口の聖エルフはがらんどうの入り口のそばに立って、こちらに向かって興味深そうに漆黒の瞳をゆらめかせていた。
「うーん、ひょっとしたらと思って、ためしに使ってみたんだけどね。だめだったの。何をしても聖樹様はわたしに応えてくれなかったの」
わたしは、ふーっと息をこぼした。
「ねえ、さっきのわたしの言葉を聞いてたんだよね。その、……神口の聖エルフはさっきの言葉の意味が分かった?」
――ひょっとしたら、聖エルフの思考言語が同じという可能性も。
「申し訳ないんだが、さっぱり分からなかったね。わたしとしては、さきほどのきみの言葉で聖樹様の意志が聞けるんじゃないかと心を躍らせていたのだが。そうか、ちがうのか……」
神口の聖エルフは残念そうに聖樹様を見上げたが、思いを振り切るように頭を振って、わたしに視線を戻した。
「では、さきほどのきみの言葉は、誰と話すための言葉なのかな? よかったら教えてくれないかな?」
神口の聖エルフの問いかけに、思わず大きく息を吸いこんだ。
吐き出された息が聖樹様の慈愛を震わせ、盾を光らせた。
「うーん、……誰と話すためか、……そうだよね。言葉だからね。誰かと話すためにあるのにね。この言葉はわたしが頭の中で考えるときにしか使わないの」
神口の聖エルフは額を人差し指でトントンと叩きながら、わたしに向かって首をかしげた。
「ふーむ、不思議だね。つまり、わたしたちの言葉と、さらにもうひとつの言葉をしゃべることができるが、その言葉を使うものはまわりにはいないと、そういうことでいいかな?」
わたしはすこし考えて、うなずいた。
「うーん、そうだね。……そうなるね」
「うん、なるほど。それはいいことを聞いた。おそらくは、それも聖樹様にとって必要なことなんだろうね」
神口の聖エルフは考え込むように、あごに手をやって視線をさまよわせた。
「あっ、そうだ、ねえ、神口の聖エルフ、あなたって聖樹様の声を聞けるんでしょう? わたしのこと聞いてみてくれない?」
わたしは最後の望みをかけて、胸の前で両手を組んで、神口の聖エルフに頼みこんだ。
「なるほど、わたしは神口の聖エルフだからね。神の言葉をエルフに伝える聖エルフだから、わたしが聖樹様に問いかければきみのことも教えてくれるんじゃないかと、そういうことでいいかな?」
神口の聖エルフは、その漆黒の存在に似つかわしくない、おどけたような表情を浮かべてみせた。
そして、どこから取り出したのか、一枚の金貨をわたしの目の前にかかげ、くるっと回して光を反射させた。
「この金貨がどちらの手に握り込まれているか当てることができたら、きみのことを聖樹様に問いかけてあげるよ」
神口の聖エルフはそう言うと、両手を背中の後ろにまわして、楽しそうに追いかけっこをしている天馬たちをじっと見つめた。
わたしもつられて、聖樹様の慈愛を全身に浴びてキラキラと輝きを放つ天馬たちに、ふと視線を送った。
ふたたび視線を神口の聖エルフに戻したとき、わたしの目の前にはふたつのこぶしが並べられていた。
「それでは、選んでもらえるかな? どちらにしようか? ゆっくり選ぶといいよ」
――えっ、当たったら聞いてくれるってことは、当たらなかったらどうなるの?
そう思いながらも、しばらく迷った後、わたしは右のこぶしを指さした。
神口の聖エルフがゆっくりと右のこぶしを開いたが、そこには金貨はなかった。
「えーっ! はずれたー! ってどうなるの? わたしのことを聖樹様に聞いてくれないの?」
わたしは神口の聖エルフの左のこぶしをがしっとつかんで、握り込まれている指を強引に広げて金貨を奪い取った。
「はい! こっち! こっちね! さっきのは指さしただけだから! 選んだわけじゃないよ! わたしが選んだのはこっちね!」
わたしは神口の聖エルフの目の前に金貨を突きつけた。
神口の聖エルフは切れ長の細い目を何度か瞬かせて、顔をそむけ、小さく肩を振るわせて笑い声をあげた。
「きみはおもしろいね。何千年振りかで笑わせてくれたお礼と言ってはなんだが、ひとつだけわたしの秘密を教えてあげるよ」
神口の聖エルフはわたしから取り返した金貨を手に、たいしたことではないかのように軽い口調でこう言った。
「わたしはね、生まれてから六千年ちょっとになるがね、聖樹様の声を一度たりとも耳にしたことがないのだよ」




