26 ソラ、村長にまかせる
「お待ちしておりましたわ、聖エルフ様」
シルヴィアさんはメガネの奥の目をするどく光らせながら、ほほ笑みを浮かべていた。
「どうしたの、シルヴィアさん? 忘れ物でもしたの?」
わたしはできるだけ驚いたような表情を浮かべてみせた。
「なにをおっしゃいますやら、聖エルフ様。お迎えに参ったのでございますわ」
シルヴィアさんは眉間にしわを寄せながらも、笑顔をくずさずこちらを見上げた。
「シルヴィアさん、何度も言ってるけど、わたしは聖エルフじゃないからね。そんなにかしこまる必要はないよ」
シルヴィアさんは背筋を伸ばし、メガネを指でくいっと押し上げた。
「聖エルフ様ではないとおっしゃるのでしたら、イザヴェルに連行させていただきますわ」
村長さんは湯のみを持ったまま、楽しげにシルヴィアさんを見つめた。
「ほう、一等書記官殿はソラ様が聖エルフ様には見えないとおっしゃるのですか」
村長さんはやわらかな声でそう言うと、お茶をずずっとすすった。
「そうは言っていませんが、このまま郡の代官様の出頭命令を無視されるのでしたら、こちらとしても考えがありますわ」
不敵に微笑んだシルヴィアさんに向かって、村長さんは湯のみをおいて居住いを正した。
「おや、わたくし歳をとって耳が遠くなったのでございましょうかな。郡の代官様の出頭命令と聞こえたような気がしましたが」
シルヴィアさんは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ええ、たしかにそう言いましたわ。今回はこのように代官様直筆の書状もいただいてきておりますわ」
そう言うと、シルヴィアさんは手に持っていた封筒を開けしようとした。
「開けてもよろしいのですか? そのような物騒なものを」
村長さんは穏やかな笑みを浮かべながら、手のひらをかかげて、その動きを押しとどめた。
「もちろんですわ。いつもいつものらりくらりと逃げおおせられると思ったら大間違いですわ。わざわざ代官様まで話を通していただいてきた書状を、開けずに持ち帰るわけがないでしょう」
村長さんはおどけたような表情を浮かべて見せた。
「ほう、わざわざ代官様までお話を通していただけたのですか」
シルヴィアさんは村長さんに向かって、正座したまま両手を支えにして身を乗り出した。
「村長、わたしをたんなる一等書記官だと思ってらしたら大ケガをしますわよ。わたしは史上最年少の一等書記官であり、つまりは代官様の懐刀だと思っていただいてよろしくてよ」
村長さんは感心したかのように、おおげさに目をまん丸くしてみせた。
「なるほど、これはわたくしの見当ちがいでございましたかな……」
――ありゃりゃ、これは村長さんピンチなのかな? シルヴィアさん、今回は自信満々だし。
「わたくしは、一等書記官殿が雨の聖エルフ様か雲の聖エルフ様の御指示でいらっしゃっているのだと思っていたのですが。……それは、つまりあれですかな? わたくしが書状をお送りしてすでに一カ月になろうとしているのに、いまだに聖エルフ様のもとに報告が上がっていないということですかな?」
シルヴィアさんはすこしとまどったような表情を浮かべた。
「それは、……そうですわ。聖エルフ様方はお忙しいのですから、このようなことでお手をわずらわせたりいたしませんわ」
村長さんは膝をポンと打って、なにやらしたたかな笑みを浮かべた。
「そのとおりですな。お忙しい聖エルフ様のお手をわずらわせるなどもってのほかでございます」
シルヴィアさんは勢い込んで今にも立ち上がりそうになった。
「では、さっそくイザヴェルのほうへ……」
村長さんはそれを押しとどめるように、かかげた手のひらをそっと下におろした。
「ソラ様は常に、ご自身は聖エルフ様ではないとおっしゃっておいでです。しかし、わが村のものでソラ様を聖エルフ様ではないと考える者など、ただのひとりもおりません。一等書記官殿もそうでございましょう」
――あれ? 聖エルフじゃないって村中にお触れまで回してもらってるのに。
「たとえ代官様といえども、エルフでございます。エルフが聖エルフ様に指図などできようはずがございません」
シルヴィアさんは手にした封筒を村長に向かってかかげた。
「しかし、わたしはこうして代官様の書状を……」
村長さんの威厳ある声がその言葉を最後まで言わせなかった。
「それを開けてしまえば、聖エルフ様を連行するなどというバカげた話がおおやけになり、あなたどころか、代官様の立場をも危うくしますぞ」
広間が水を打ったように静まり返り、そこにいたみんなが動きをとめた。
シルヴィアさんが封筒を高くかかげたまま、うつろな目をさまよわせた。
ゆっくりと封筒を持った手をおろし、頭を床に押しつけた。
両腕で頭を抱え、ぶるぶると体中を震わせながら、丸くなった。
押し殺して泣く声が、静まり返った広間に響いた。
――あれ? いつもは勝気に肩を怒らせて帰っていくのに、今日はどうしたんだろう。
「どうしたのですか、一等書記官殿? その書状の封さえ切らなければ、何事もなかったで済みますぞ」
村長さんの思いやる声がシルヴィアさんの嗚咽を優しく包んだ。
「……うぅぐっ、……うう、わたし、……もう、かえっ……、ひっ……、かえれない……、かえれない……、聖エルフ様を、連れてくるまで……、ひっく、くるまで、帰って来るなって、ひっ、言われて……」
――あー、そうか、何回も失敗して怒られたのか。
そうはいっても、偽物の聖エルフとして連行されるわけにもいかないし、郡の代官さんのせいだよね。
「なるほど。それはつまり、有能な一等書記官殿をウルズ村にいただけるということですな。イザヴェル郡きっての神童にして、史上最年少の一等書記官としてその名を知られているシルヴィア殿が、わが村で働いていただけるとはありがたい。さっそく代官殿にお礼の書状をしたためましょう」
村長さんは広間のみんなに聞こえるよう、ことさら大きな声で宣言した。
「さあ、シルヴィア殿。今日はあらたな村人としてあなたを迎える日となりました。ソラ様の釣ってきた大きなコイもございますし、まずは皆で一緒に晩ご飯をいただくといたしましょう」
シルヴィアさんの嗚咽がとまり、しゃっくりが広間に何度も響いた。
しばらくして、ふらふらと立ちあがったシルヴィアさんは、村長さんにしがみついて大声をあげて泣き始めた。




