25 ソラ、コイを釣る
「今日も大漁でしたねー、ソラ様。こんなに大きなコイは今まで見たことがないですよー」
アルはいつもの人懐っこい笑みを浮かべ、網から大きくはみだした黒コイをそのまま担ぎあげた。
「ふふっ、このぶんだとそのうち池から魚がいなくなっちゃうねぇ」
わたしは竿をぶんぶん振り回しながら、アルに笑いかけた。
「いや、それはございませんな、ソラ様」
うしろを歩いていたソフィアさんが、わたしとアルの間に頭を突っ込んできた。
「ソラ様が本気になったら、池の魚をぜんぶすくっちゃいますよー。ソラ様はお優しいから、そんなことしませんけどー」
アルが楽しそうにわたしとソフィアさんを交互に見つめた。
「まあ、それはそうだが……」
ソフィアさんがふと池のほうに目をやった。
大きな水しぶきがあがり、若者たちの歓声が聞こえてきた。
「ふふふっ、派手に落ちましたな」
舞いあがった水しぶきがここまで届き、ソフィアさんの目がやさしく細められた。
「わたくしも若い頃は、よく落ちたものです。風をうまく捕らえられず、何度も何度も水面に叩きつけられましたな」
アルが目をパチパチしながら、ソフィアさんを振り返った。
「ソフィア様ほどの聖樹様の慈愛の使い手でもですか?」
不思議そうにソフィアさんを見あげた。
「それはそうだ。最初からうまく跳べるものなどいない。ああやって池で練習に練習を重ねて、そうだな……。一万回ぐらい池に叩きつけられて、ようやく空を翔けることができるようになったな」
ソフィアさんは、まるでアルの瞳に昔の自分が映っているかのように、懐かしそうに覗きこんだ。
「そうだ。よろしかったら、ソラ様も明日から池で跳ぶ練習をしてみてはいかがですか。こう毎日、釣りばっかりしてても飽きてくるでしょう?」
ソフィアさんはわたしに不敵な笑みを向けた。
「えー! 午前中はちゃんと働いてるし、そんなに毎日釣りばっかりしてるわけじゃないし、それに明日は朝一番にアルとタケノコを採りに行くんだよ」
わたしは口をとがらせてソフィアさんに言い返した。
「では、あさってからにいたしますか……」
わたしは大急ぎでアルに話を振った。
「アル、タケノコって一週間ぐらい採れるんだよね?」
――まずい、まずい。ソフィアさんに訓練なんか受けさせられたら、わたしの楽しい日常が。
「そうですねー、だいたいそれくらいのあいだは、にょきにょき生えてきますねー」
――よし、これで一週間はかせげる。
「しかし、タケノコ採りは朝だけですから、昼からは暇ではありませんか?」
ソフィアさんはわたしに向かって顔をぐいっと近づけてきた。
「いや、いや、朝早く起きるんだから、昼ご飯のあとはゆっくり昼寝しないと。ねえ、アル?」
アルがきょとんとした顔で、わたしを見つめた。
「え、えーっと、そうなんですか? でも、それじゃあ、僕とも遊べないんですか?」
アルがいつものウルウルした目でわたしの目をのぞきこんだ。
大きな瞳がいっそう大きく開かれ、その淡い緑色の虹彩がわたしの胸を打つ。
――うーん、だめだ。この瞳で見られたら、なぜだか首を横にはふれなくなる。
「じゃあ、昼寝はやめにしておこうかな……」
わたしがそう言いかけたとき、むこうからクラウスさんが大声をあげながら走ってくるのが見えた。
「ソラさまー! ソフィアさまー!」
遠くからでも見てとれるほど、顔中を汗でいっぱいにして、ゼエゼエ言いながら走ってくる。
「ソフィアさん、クラウスさんは跳べないの?」
クラウスさんはよく伝達がかりみたいなことをしているが、そういえば空を翔ける姿を見たことがない。
「あやつは遊び人ですからな。若い頃、跳ぶ練習をさぼってあのざまです」
――あれー? そうなのかー。じゃあ、わたしも練習したほうがいいのかな?
「クラウスさんはうちのお姉ちゃんにもよく声をかけてましたねー」
アルにしてはめずらしく、あきれたような視線をクラウスさんに投げかけた。
――なるほど、要注意人物だね。外見だけなら優男といったところなのに軽いのか。
三人が三人とも白い目で見つめる中、クラウスさんはわたしたちの前に座り込んだ。
「なんだ、クラウス、急ぎの用件か?」
ソフィアさんが水の入った竹筒を差し出しながら尋ねた。
「例のシルヴィアさんがまたやって来まして、ソラ様に面会を求めてます」
そう言ってクラウスさんは水をぐびぐびと飲み干した。
――シルヴィアさんってあのメガネの女の子かー、あきらめないなー。
「またか! 何度追い返してもやって来るな」
ソフィアさんは眉間にしわを寄せて、空を仰いだ。
「俺はけっこう気に入ってますけどね。こう、なんというかメガネが似合う才女って言うんですかね」
クラリスさんは汗をぬぐいながらも鼻の下を伸ばしていた。
――本当だ。クラウスさんって本当にダメな人なんだ。
わたしは、クラウスさんからすこし距離をとりながら、ソフィアさんの腕をつかんだ。
「じゃあ、また村長さんに追い払ってもらおうっかな」
ソフィアさんは空になった竹筒をカラカラと振った。
「まあ、父上がなんとかしてくれるでしょう。それに、わたくしははきもの係ですから、こちらのほうが立場が上ですしな」
ソフィアさんはクラウスさんにニヤッと笑いかけた。
「あれっ? そうなんだ。たしかあのメガネの女の子って、郡の一等書記官だとか言ってなかった? えらいさんじゃないの?」
わたしはソフィアさんの腕をふりながら尋ねた。
「一等書記官などというのはしょせん役職でございます。聖エルフ様についての発言力としては、ソラ様のはきもの係であるわたくしのほうが優先されます」
――はきもの係というネーミングセンスはどうかと思うけどね。でも、そういうことなら、ソフィアさんにはきものを渡しておいてよかったのだろう。
「ソラ様、俺の忠誠もぜひ受け取っていただいて、できればはきもの……」
クラウスさんがしゃべり終える前に、ソフィアさんがその頭を平手ではたいた。
「痛い! 痛いっすよー! ソフィア様はバカみたいに力が強いんですよ! 首の骨が折れたらどうするんですかー!」
クラウスさんの悲鳴が響き渡る中、すっかり傾いた陽の光を背に、わたしたちは屋敷に向かって歩き出した。




