2 聖エルフ、森で叫ぶ
「聖樹、……って見たことがあるような気が……」
そうつぶやいたわたしに、エルフさんは目をキラキラ輝かせて、こちらに身を乗り出した。
「もちろんそうでしょうとも。わたくしは田舎者ゆえ村から遠く離れた事がなく、聖樹様をこの目で拝見させていただいたことがございませんが、見たことがある者から伝え聞くその荘厳なお姿を思い浮かべない日は一日たりともございません。その慈愛はこの遠く離れたウルズ村からも感じることができますが、今日、初めて聖エルフ様を目の前にいたしまして、よりいっそう……」
わたしは途中から異国の言葉についていけなくなっていた。
――何だろう、この聖樹様信仰というか聖樹様愛みたいなものは。
クールビューティーな見た目でこうも熱く語られると、とてもではないが、聖樹様って何ですかとは聞けない。
かろうじて頭に入ってくるエルフさんの言葉をつなげると、聖エルフは聖樹と関係があるみたいだ。
しかも、ものすごくえらいさんで、こんなところにいるはずがないらしい。
うーん、……とはいえ、なんだってわたしが聖エルフだということになっているのだろうか?
しかも、今日はじめて聖エルフを見たと言ってるし。
耳が長いだけならたんなるエルフでいいんじゃないの?
なにか外見的な特徴でもあるのだろうか?
いまだに聖樹様について熱く語っているであろうエルフさんの話に、わたしはよく分からないながらもふむふむとうなずきながら、何気なく人差し指で髪を一房とってくるくる巻き続けていた。
そして、ふとその巻かれた髪がエルフのような淡い緑色でないことに気がついた。
「青い、……えっ! ……ひょっとして、髪が青いから聖エルフなの?」
突然話をさえぎられたエルフさんは、淡い緑の目を軽く瞬かせ、一呼吸おいてわたしに告げた。
「いえ、そうではございません」
――えー! ちがうのかー、髪の色以外にも違うところがあるのか。
そうだ! わたしははだかで倒れてたんだ。
服を着て隠れた部分に何か特徴が……。
そう深く考えこんだ時だった。
「聖エルフ様……」
エルフさんが今までとはうって変わった沈んだ声で、わたしの目をのぞきこんだ。
――まずい。……ばれた?
聖エルフではないことが?
いや、そもそもエルフでもないことが?
でも、待って。
わたしは一言も自分がエルフだなんて言ってないし、ましてや聖エルフだなんて。
そもそもそちらが勝手にかんちがいして……。
心臓がギュッと縮みあがり、頭に言い訳の言葉がぐるぐると回る。
――そうだ、謝ろう、何に対してか分からないけど、ここはとりあえず謝っておこう。
「ごめんなさい」
自分の声が震えているのが分かる。
「でも、……わたしはエルフではないし、ましてや聖エルフなんてものでもないの!」
あふれてくる言葉が止められない。
「目が覚めたらここにいたの!」
視界がゆがむ。
「記憶がないの!」
叫んでいた。
「ここがどこかもわからないし、わたしが誰かもわからないの!」
謝ろうと思っていたのに、なぜか途中から大声を出していた。
怒っているように聞こえるかもしれないと思ったが、感情が抑えきれなかった。
もやもやとした気持ちをさらけ出したせいだろうか、心がすーっと落ち着いていくのが分かる。
最初からそう言えば良かったんじゃないか、何も責められていないのに被害妄想も甚だしいなと、思わず涙がこぼれそうになった。
「申し訳ございませんでした。そのようなこととはつゆ知らず、わたくしの思いばかりを押しつけてしまっておりました」
見ると、エルフさんは片膝をついたまま、地面に着かんばかりに頭を下げていた。
「ただ、あなた様が聖エルフ様であることは間違いございません。ご安心ください」
――やさしい声だ。さっきの低い声も、思えばわたしを心配しての声色だったのだろう。
「なぜ?」
なんとか息をととのえて、声にかえた。
「聖エルフ様は常にその身に盾をまとっておられます。エルフであれば誰でもその盾を見ることができます」
――盾?
そんなものを身につけている覚えはないのだが、わたしには見えなくても彼女には見えるのだろうか?
「聖エルフ様が倒れているのを見つけた者が、お体に布を被せようとしたのですが、盾にはじかれかなわなかったのです。わたくしもここに服を持ってきてすぐにかけようとしたのですが、やはり盾にはじかれまして、いたしかたなく傍らにてお目覚めになるのを待っていたのです」
――えーっとー、……その盾って、本当にわたしを守ってる?
逆に、邪魔してるんじゃないの?
とはいえ、その話通りならわたしが聖エルフである説もうなずける。
わたしのはだかを見た人が少なくとももう一人増えたという悲しい現実は、とりあえず横に置いておこう。
森の中で倒れていた見知らぬわたしを助けようとしてくれた。
今はそれだけで充分だ。
「ありがとう」
そう言って、わたしはエルフさんの名前を未だにを知らないことに気がついた。
「あなたの名前は? わたしは記憶がないから名乗れないけど……」
エルフさんはパッとはじけるような笑みを浮かべた。
「わたくしはウルズの村長の娘のソフィアと申します。このような森の中ではおからだも休まらないでしょう。まずは、わたくしどもの村に来ていただき、おくつろぎ下さい。ウルズ村には疲れによく効く温泉が湧いております。村を挙げて歓待いたします」
村を挙げてはどうかと思うが、温泉という甘美な響きには逆らえない。
それに、この森でひとりで生きていくという選択肢はない。
よろこんで村でお世話になるとソフィアさんに伝えると、彼女は人差し指と中指を口に当てた。
そして、甲高い鳥の鳴き声のような音を、森の奥に向かって響かせた。
すると、すこし離れた木の陰から三人の男性のエルフが現れ、ソフィアさんの後ろに同じように片膝をついてひざまずいた。
「この者たちも聖エルフ様をお守りいたします。さあ、まいりましょう」
ソフィアさんは朗らかな声で出発を告げた。
――この中の誰かが、ひょっとしてはだかのわたしを見つけたのかも……。
恥ずかしさのあまり、そらした視線が宙をさまよい、気分と一緒に沈みこむ。
足元をじっと見つめたまま、わたしは熱を帯びた長い耳をギュッとつかんで、山を下り始めた。