17 聖エルフ 煎餅を食べる
――あっ……。まずい。
ふつうなら盾が服も包んで守ってくれているはずなのだが、油汚れを盾で包んでいたりしたせいだろうか、気がつくとわたしの服の膝あたりにべっとりと肉の油汚れが染み込んでいた。
思わずわたしは自分の膝とみんなを交互に見た。
気を使っているのか、わたしと目があうとだれもが目をそらして、ご飯やおかずに箸を伸ばした。
さすがの村長さんだけは、わたしが目を向けた時にはすでにまっすぐ前を見つめて、漬物をポリポリと噛んでいた。
――うん、みんなが気を使ってこっちを見ていないうちに、この汚れを取れば大丈夫だ。
わたしは膝の上においた手のひらで汚れを挟み込むようにして、そこから盾をゆっくりと広げ、服の生地の中に染み込ませた。
目に力を入れて聖樹様の慈愛をとらえ、繊維の隙間に入り込んでいる油汚れだけを盾の上にのせてすくい上げた。
そして、すくい上げた油汚れをこぼさないように、ゆっくりとお皿に戻した。
――よし! これでもとどおりだ!
……って、うん、もとどおりすぎてお皿がきれいになってないよね、これ。
なにをしたかったのか分からなくなってしまったが、とりあえず服は無事だ。
あとは、何事もなかったように座っておけばいいよね。
わたしはゆっくりと安堵の息を吐きながら、お茶の入った茶碗に手を伸ばした。
「ほぅ、たしかに汚れがすっかり取れておりますな」
いつの間にか横に座っていたソフィアさんが、まじまじとわたしの膝のあたりを覗き込んでいた。
驚いて顔をあげると、ソフィアさんだけではなく村長さんも、お互いがわたしをはさんで向かい合う形で、膝をついて体ごと目線をこちらに向けていた。
「汚れがすでに服に染み込んでいたはずなのに、どうやって汚れだけを取ることができたのですか?」
ソフィアさんが興味津々といった目で訊いてくる。
「うーん……。わたしにもよくは分かってないんだけど……」
わたしはお茶をすすりながら、考えをまとめようと視線をさまよわせた。
「盾を広げて包み込んで目を凝らすと、そこに含まれている聖樹様の慈愛が見えるの。たぶん聖樹様の慈愛は、わたしたちのまわりのすべてのものに含まれてるんだと思う。わたしたちの体やまわりの空気……、木や水やお皿や服だってそう……。すべてのものに聖樹様の息吹である慈愛が染み込んでいる。……と思うの」
頭の中で漠然と漂っている思いは、すこしずつ言葉に変わっていく。
「その染み込んでいる慈愛は、それぞれ微妙に色がちがうというか……、なにかまとまりみたいなものがあるというか……。うーん、そのへんはいまひとつ分からないんだけど、なんとなく見分けることができるの」
言葉はつたないながらも、わたしの口から紡がれて出ていく。
「だから、盾を使えば服の中にもぐり込んでいる汚れだけを、すくい上げることができるの」
――うん、たぶんそういうことだ。これ以上は自分でも分からないしね。
わたしは自分の思考を追っていた意識を現実へと戻し、ソフィアさんに目をやった。
すると、そこには滂沱の涙を流すソフィアさんの姿があった。
――またかー! 今度はどこ? どのへんが琴線に触れたの?
こんなときはさすがの村長さんに訊けば解決だ、と思ったわたしはすぐさま村長さんのほうに振り返った。
すると、そこではあっちの方角を向いた村長さんが、全身をぶるぶる震わせていた。
――あれ? 村長さん、さっきまでこっち向いてたよね?
わたしは膝から上だけ身を乗り出して、村長さんの顔を覗き込んだ。
すると、村長さんはいきなり立ち上がり、天井に顔を向けて動きを止めた。
――だめだ、たぶん村長さんも泣いている。涙がこぼれないように上を向いたんだ。
わたしはこのふたりをあきらめて、他のみんなに目を走らせた。
エレンさんは蜂の子を箸でつまんだまま、動きをとめていた。
口に運ぶご飯を持ったまま固まっている人、湯のみ茶碗をかかげたままの人、膝の上で拳をかたく握りしめたまま震えている人など、ひとりの例外もなくみんな動きをとめていた。
――えっとー、もしかして時間の流れが遅くなってる?
わたしは手を伸ばして急須を引き寄せ、ご飯茶椀にお茶をなみなみと注ぎ、ふーっと息を吹きかけてゆっくりと一服した。
そして、急須の横にあったお茶うけからせんべいを取ってバリバリと食べた。
さらにもう一杯お茶を飲み、せんべいをバリバリ食べていると、ようやく村長さんがあちらの世界から帰ってきた。
「聖エルフ様、見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした」
村長さんは居住まいを正すと、深々と頭を下げた。
「われわれエルフは日々、聖樹様の慈愛を感じ、感謝を捧げながら暮らしておるのですが……」
村長さんはここまで言って、赤く充血した目を大きく開いた。
「このたび、聖エルフ様直々に、聖樹様の慈愛が万物に宿り、われわれを見守ってくださっているというありがたいお言葉をいただきましたこと、感激に堪えません。ウルズの村長たるこのヨルゲン、このことを村の皆にも伝え、よりいっそう聖樹様への感謝を深く捧げる存念でございます」
村長さんの熱い言葉の余韻で静まりかえった部屋には、みんなのすすりあげる鼻水の音と、わたしの噛み砕くせんべいのバリバリという音だけが、ただ繰り返し響いていた。




