弐 ―1
グリードの事件以来、日本支部は明らかに忙しくなった。とはいえ、社員は少ないのでどうあっても仕事を選別していかなければならなかったし、嫌がらせも増えた。
勘違いで依頼に来る人間も増えたので、授業の合間の双葉は疲労でぐったりとなっていた。そもそも学校と仕事の両立ができるほど、双葉は器用ではないのだ。
(う、ぐ、ぐ。でも目を通さないといけない書類が……)
ああ、気が遠くなる……。
視界が徐々にぼやけてくる。
鞄から資料の入ったファイルを出そうとしたところで意識が……おちた。
「……?」
しばし、瞼を開けてから双葉はそこがどこかわからなかった。見覚えのない天井だったからだ。
目を細めてから、見えにくいのは眼鏡がないせいだとわかった。枕元にあった眼鏡をかけて、起き上がる。保健室だった。
カーテンを開けると、保健医と目が合った。
「もう大丈夫? 寝不足だったみたいね」
ふくよかな保健医に「そうですか」と告げて、双葉は上履きを履いて保健室をあとにした。いま何時だろう。もう夕方のようだ。
ということは。
(昼から全部無駄にしたってこと!? ぐぬぬぬ!)
悔しくて肩をいからせて廊下をずんずん歩いていると、曲がり角で誰かにぶつかった。
「あ、わりぃ」
「それがひとに謝る態度!?」
ぎらっと睨むと相手の男子生徒はびくっと震えてしまう。怯えてしまったのはわかったが、そんなことは今はどうでもいい。完全に放課後とみていいだろう。早く事務所へ行かねば。
「あ! お、おいおまえ、芦原だろ!?」
「見知らぬ相手には『さん』をつけるのが常識じゃないの!」
またも通り過ぎざまに睨むと、相手は「ご、ごめんなさい」と半泣きになってしまう。
(……や、やりすぎたかしら。でもこっちも急いでていらいらしてるのよね)
どうでもいいことに構っていられる暇はない。
「わ、わりぃ。あの、さ……噂で聞いたんだけど、おまえ、幽霊退治ができるのか?」
「…………」
露骨に目を細めたので男子生徒がさらに後ずさる。
「それは……依頼したいということかしら?」
「へ?」
双葉は鞄の中から名刺ケースを出して、名刺を渡す。
「正式に依頼したいならここに連絡して。言っておくけど、同じ学校の生徒だからって無料にはしないわよ」
そう言うなり、双葉が駆け出していく。
呆然として、残された男子生徒……佐東一和が苦笑した。
「か、金とるのか……」
その背後には一般人には決して見ることのできない霊がいたのだが、やはり誰にも気づかれることはなかった。
*
「ごめんなさい、遅れたわ!」
事務所に入ってきて、双葉はアンヌが「おかえりなさいませ」と迎えを言うのを聞きながら、自分の席へとつく。鞄から資料を出して慌てて目を通し始めた。
紅茶を淹れながら、アンヌは心配そうに双葉を見る。
「お嬢様、最近無理をしておられませんか? なんだか目の下に隈もあるような……」
「適度に睡眠はとってるから大丈夫よ。今日は予定通りに全員夜に出るのよね?」
「はい。昼間の間にそれぞれ現地を下見させて場所を覚えさせてきておりますわ」
「そう……」
ほっとしたように息を吐き出すと、ティーセットが目の前に置かれた。まずは心を落ち着けることだ。
少ない人数で仕事をこなせというのは思った以上にハードだ。もちろん、すべての仕事を引き受けるわけではない。こちらの人員には得意な分野が分かれていて、不得手な仕事は極力請けないようにしているのだから。
壁掛け時計を確認する。全員が出る時間は夜の九時にしている。まだ一時間は時間があるようで、双葉はまた安堵の息を吐いた。
「こんばんはぁ……」
覇気のない声に怪訝そうにしているが、アンヌが素早く迎えに衝立の向こうに消えてしまう。
(ん? なんだか聞き覚えがある声のような……)
気のせいかしらと思っていると、アンヌが「来客だ」と合図をよこしてきた。双葉は立ち上がり、応接用のソファに移動して腰掛ける。
待ち構えていると、先ほど学校でぶつかったあの生徒が入ってきた。相手はびっくりして一瞬動きが止まっている。
「どうぞ」
双葉が真向かいの席に座るように促すと我に返ったようで彼はソファに腰掛けた。
アンヌが紅茶を淹れている間に、きょろきょろと見回す生徒を双葉は観察した。見た感じ、二年生のようではあるが……。
お茶を置くアンヌに彼はお礼を言う。
「それで、ここに来たということは依頼でってことかしら」
冷たく言うと、彼は怯みつつ頷く。アンヌはじっと彼の背後のほうを見ているので、もしや何か『見えて』いるのかもしれない。
(そういえばアンヌの得意分野は霊視だったわね)
「オレ、佐東一和と言います。えと、そんなにお金ないんですけど依頼うけてもらえますか?」
「分割払いも請け負うけど?」
「っ! あ、葦原さんてがめつい……」
「仕事なんだから当たり前でしょ。それで、依頼っていうのは?」
一瞬無言になる佐東だったが、決意したように口を開く。
「最近、毎晩変な夢を見るようになって……」
「夢?」
「ああ。肌も目も薄青い女の人が泣いてる夢っていうかさ……起きるとあんまり覚えてないんだけど」
曖昧な情報に眉間に皺を寄せていると、隣に立っていたアンヌが静かに言う。
「それは日本で言うならば『つくも神』の一種だと思いますわ。その女性の姿をそれなりにイメージはできます?」
「え? は、はい」
アンヌは衝立の向こうに消えると、ノートパソコンを持って戻ってきた。そこに表示されている写真はすべて骨董品の類いだ。
「青色のものを、あとはわたくしの勝手なイメージで今から表示していきます。なにか感じたらストップ、と言ってくださいませ」
カチカチとマウスを動かすのを双葉は横で見る。ある程度進むと、佐東が「これ!」と声をあげた。停止された画面には、美しい小さな蓋つきの壷が映っていた。
「香炉ですわ。日本にも収集家はいますでしょう。どこかでこの香炉を見かけたことは?」
「いや、ないけど……」
困惑する佐東に、アンヌはしばし考え込む。
「所有者を探してみます。お嬢様、しばらくよろしくお願いいたします」
「わかったわ」
衝立の向こうに消えたアンヌを目で追っていた佐東は、視線を双葉に戻す。そして怖々と言う。
「こ、こういうのマジであるんだ……」
「マジ? なにが? ひとじゃないものを退治したりするところってこと?」
「う、うん。マンガとかラノベとかだけかと」
らのべ、というのが何かはわからなかったが、双葉はいつものように眉間に皺を寄せて応じる。
「探せばいくらでもあるわよ。ただ、中には詐欺みたいなことをしてる連中もいるからそこは用心深く見極めるのが大切よ」
「そ、そっか……葦原さんと会えてラッキーだったのか」
ラッキー?
そうだろうかと双葉は考えてしまう。少なくともアンヌには佐東に何かが『憑いている』のが見えていたはずだ。そして取り憑くということは、その相手を「侵食」していることになる。
夢の中に出てきたというならば、佐東一和に良くも悪くも『何か』は影響を与えているに違いないのだ。それが害になるかどうか……は、別として。
わざと双葉に会わせたとも考えられる。そうだとすれば、佐東に憑いている存在は、悪意があるわけではないだろう。妖撃社はおもに『退治』を専門としているところなのだから。
「お嬢様、持ち主を特定できました」
衝立の向こうからアンヌが現れる。双葉は「そう」と応じるだけだ。アンヌはいつものように微笑んでいるが、様子がおかしい。
双葉は佐東に向き直った。
「それで、あなたの依頼は?」
「え、と。その変な夢をどうにしかして欲しいっていうのが目的だけど」
「わかったわ。原因を取り除くだけでいいのね」
アンヌに見積書を出すように指示をすると、佐東が苦い笑みを浮かべているのが見えた。本当にお金をとるとは思っていなかったのだろう。
見積書の金額はそう大きなものではなかったので、彼は安心して去っていった。
残された双葉はアンヌを渋い表情で見上げる。
「持ち主がよくないの? それとも、香炉の由来が悪いの?」
「どちらもですわ。今夜の仕事が終わったら、この件はクゥとわたくし、お嬢様の三人で当たられたほうがいいと思われます」
「? 珍しいわね。私じゃ戦力にならないのに」
驚く双葉に、アンヌは困ったように笑う。
「依頼をされたあの方は、間接的に持ち主と接触しています」
「? 親戚か何かってこと?」
「いえ、彼の姉が……」
*
ありがたいことに次の日は土曜日だった。午前中で授業の終わった双葉は早々に事務所に行くと、珍しくクゥがいた。
いや……彼は今日の仕事の担当者なのだから居て当然だ。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
いつものようにアンヌが迎えてくれる。クゥは逆にじっと見ているだけだ。相変わらず嫌われているようだ。
「最近仕事が多くて休めないんですけど」
ぼそっと文句を言われる。それもそうだろう、連日働きっぱなしの彼らとて、体力が無尽蔵にあるわけではない。
双葉はクゥを見て、それから目を細めた。
「今日の仕事に行きたくないならそう言えばいいでしょ。回りくどいことしてないで」
「そう聞こえました? 僕は正当な休養を要求しているだけなんですけど。普通は週休二日とかですよね?」
嫌味ったらしく言うクゥに双葉はまったく動じない。アンヌが二人を交互に見る。
双葉は「そう」と洩らした。
「じゃあ今日の件からクゥは外れなさい。協調性のない人とチームを組んでうまくいった試しはないわ。今日は休んでいいから自由にしなさい」
きっぱりと来るなと命じられ、さすがにクゥは度肝を抜かれたようだ。
「僕が必要だから呼び出したんじゃないんですか?」
「そうだったけど、嫌なら来なくていいわ。やる気のない人がいると、モチベーションがさがる。
アンヌ、クゥの代わりでなんとかなりそうなのはいる?」
「そ、そうですわね……場所が場所だけに、シンだと破壊されると困るので……マモルでいくのがいいかと」
「じゃあマモルを呼んできて」
「かしこまりました」
アンヌが一礼して事務室を出て行く。双葉は手早く今日持っていく荷物のチェックをする。残されたクゥは双葉を睨みつけた。
「行きますよ」
「?」
何か小さく聞こえた気がして、双葉がクゥのほうを見る。「行く、って言ったんです」と彼は続ける。
「いいわよ来なくて」
平然とした顔で言う双葉に彼はさらに腹が立ったようだ。
「僕もプロです。公私混同しません。仕事なんですから、遂行します」
「…………」
「お嬢様、マモルなんですけど今日は満月なので気が昂ぶってるようですがそれでよければ」
「いいわ。クゥが行くって言ってるから」
「そうですか」
アンヌはまた事務室を出て行く。それを肩越しに見てから、クゥは双葉を強く睨んだ。だが双葉は平気な顔のままだ。
双葉は手荷物を二つほどクゥに渡す。
「アンヌが戻ったらすぐに出るわよ。今日の作戦は聞いてるわね?」
「ええ」
「ならいいわ」
あまりにあっさりとしているので、クゥとしてはなんだか納得がいかない。それが余計に彼に苛立ちを覚えさせることも。




