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陸 -3

 足を一歩、踏み出す。

 天秤は…………傾けられた。

 そして双葉は選んだのだ。あの時と同じように。

 結界が、邪魔をしてくるはずだ。でも双葉には、効果が……。

 ないはずと思っていたら、内側から凄い力で結界が破壊されたのが双葉でさえ「見えた」。

 力ずくで淡くも強い檻を、叩き壊した。それは、その人物は自室がある場所でどうやら…………自前の武器を全力で使ったらしい。

 思わず双葉の背後の青年が口元をおさえて笑いを堪えている。未星のほうは「やはり邪魔な存在だ」という呟きだけ。

 破壊された壁と窓の向こうから、彼女は笑顔で剣を振ってくる。

「フタバ~! 待ってた! おかえり~!」

 おかえり~、おかえり~、と何度も連呼するシンはなぜか笑いながら泣いていた。嬉しくて仕方がないというのは伝わってくる。

 双葉は思わず「ただいま」と言いそうになるが、それを押しとどめ、眉を吊り上げた。

「修繕費は給料から引くわよ! いいわね!」

「は~い!」

 素直に笑顔で頷くシンが、次の瞬間表情を引き締め、持っている蓬莱剣をす、と下に下げる。彼女の瞳が徐々に赤黒く怪しく輝いていく。

「……まずい。シンのやつ、この建物そのものを壊す気だ」

「えええっ?」

 じょ、冗談じゃない! 双葉は慌ててしまう。よほど我慢していたのだろうか。シンとしては暴れ足りないに違いない。

「す、ストップストップ、シン! 壊すの禁止!」

 双葉の声にシンがぴた、と動きを止めて不機嫌全開の顔でこちらを見てくる。

「だって壊さなきゃここから出られないもん!」

「…………相変わらず単純」

 ぼそっと青年が嫌味っぽく洩らす。

「そんなことしなくても迎えに行くから、そこにいなさい」

 双葉の言葉にシンは驚きに目を見開き、それから小さく頷いた。さっと部屋の奥のほうへと隠れた……とは思うが、まさかと思うが事務室へ向かったのではないだろうか?

 腕組みをする未星が「まさか魔剣憑きがあんなに従順とは」となにやら洩らしていたが、双葉は気を引き締める。

 そう、迎えに来た。いいや、取り戻しにきた。

 一歩もう一度踏み出す。

 邪魔を、やはりされない。

 踏み込んで進んでいく双葉の背後の二人はその場にとどまっている。何かあったら駆けつけてくれるが、今のこの不安定な場では彼らの存在は逆効果となるらしい。

 双葉は正面から入り、エレベーターを使おうとしたがやめて、外階段をあがっていく。

 二階へ通じる廊下はしんと静まり返っていた。

 ただの人間にも効果のある結界というのは張ることは可能だ。だがそうすれば二重三重とかさねていき、結局『この場所』がおかしな空間になるという。そう、未星は言っていた。

 彼らはシンやマモル、クゥをなるべく抑えつけたい。そして、双葉が戻ってくるように算段をとる。

 手の込んだことだと未星は言っていたが、そうだろうかと双葉は思う。

 彼らはおそらく、『今が好機』そして、実験にはうってつけと考えたのではないだろうか?

 廊下を進み、事務室のドアを開ける。きぃ、と簡単に開いた。そして奥へと進む。

 衝立の向こう。

 自分が一週間前まで座っていたそこには、揺れる影だけ。その横にいる車椅子に座っている少女が本体だ。そして、付きそいをしているアンヌは視線を逸らしている。

 双葉は気にせずにまっすぐに少女を見た。

「ロキ、悪ふざけはやめて。たとえ、カムイの命令でもね」

 その言葉に少女は歪んだ笑みを見せる。

「思い出したんだ?」

「すべては思い出してないけど、状況からあなただと判断しただけよ」

「? どういうこと……?」

 怪訝そうにするロキに、その面影すら残っていない『彼』に、双葉はまっすぐに視線を向けている。そう、迷いが一切ない瞳で。

「私が死んだのは把握したわ。だけどこうして私は生きてる。

 そこで護衛についていた未星さんは色んな推論をした。だけど、私はどの仮説も頷かなかった」

「?」

「というか、彼女の言っていることの半分以上が理解できなかった。平行世界がどうだの、えっと、錬金術で創る、なんだったかしら? あれとか、クローンとか、まあ色々よ」

 でも、と双葉は続けた。

「理解できなかったけれど、リラがそこに居るってことはあなたはロキだと思っただけなの」

 びくっとアンヌが反応する。そして青ざめた顔を双葉に向けた。

「もちろん、『一年前』のリラじゃない。アンヌとして、カムイに何かされたんでしょう? あなたと同じようにね、ロキ」

「…………」

「あなたは私が死ぬ間際、『私』の精神的な部分を大量に摂取していたわ。味覚も痛覚も、ありとあらゆるものをね。考える力すらなかった私は抵抗もできなかったし、あの時にあそこにいたのはあなたとリラだけだったもの」

 双葉は微笑んだ。

「私は経緯を聞くつもりはない。あなたたちは私を結果として、完全とは言い難いまでも元の状態に近いところまで『戻した』。けれどやはりうまくいかなくて、私自身の脳の欠損はひどかったんじゃない?」

「……お嬢様」

 アンヌが泣きそうな顔をしているので、双葉は安心させるように微笑んでみせる。

「カムイの傘下につくしかなかったのよね。脅されたのと、まあ、罪悪感もあったんでしょうし」

 ぎり、と少女が、ロキが歯を軋ませる。

「…………どうして怒らない。おまえの人生をぐちゃぐちゃにしたんだぞ?」

 そして。

「カムイはおまえを諦めてない……! あの方は、今でもおまえが元の状態に戻って、問いに答えるのを待っているのだから……」

「そう。じゃあ普通に会いに来ればいいわ」

 さらっと言う双葉に二人は驚愕してしまう。

 双葉は肩をすくめた。

「カムイが何を考えているのかは、本人に聞かないとわからないわ。そして、私に問いかけがあるなら…………『今の私』が応じるわ」

「…………」

 ロキは喉を掻き毟り、苦しそうに何度も口を開閉する。

「お、まえは……わかって、ない……あの方の、ことを」

「そりゃそうよ。だってほぼ初対面なんだもの」

「そういう簡単な、ことじゃない!」

 怒鳴るロキが、己を見下ろす。

「この体を、観ろ。みろ、よ。おまえに似てるだろ……? おまえの体の復元のために、オレは、オレも、」

 泣きそうになっている。

 嗚咽が洩れそうになるのを我慢している。

 双葉はつかつかと近づく。そしてロキを見降ろした。

「私の偽者なんてしなくていいわ。あんたの姿がそうなって、今もそうなのは、カムイの悪趣味のせいなんだから」

 きっぱりと言い放ち、双葉は屈んでロキに視線を合わせた。

「たぶん、大がかりな計画なんでしょう? ここでやめられないのよね?」

「…………ごめん」

「いいのよ。でも、だったら私も抵抗するわ。だから、ここからあなたたちは去った方がいいと思うの」

「………………」

「殺される可能性が高いわね。死ぬのが怖い?」

 ロキは頬につぅ、と汗が流れていた。図星だった。双葉の言い当てたことが、すべて、正しくて。

 だけど。

「大丈夫、だ。殺されても、また、再利用されるだけだから」

 無理に笑うロキを見つめる双葉の瞳は真剣だ。ロキの今の姿を見れば、どれほどおぞましく、酷いことをされてきたかは容易に想像がつく。結果だけ、ならば。

 その過程をおそらく、横に立っているアンヌは知っている。一年前のリラは集中して何かをする時は音楽を聞いていたが、ここではしていない。つまり、彼女もなんらかのことをされているのだ。

 ぽんぽん、と双葉はロキの頭を撫でるように優しく叩いた。これは彼がよく双葉にしていた癖のようなものだった。

「ありがとう。助けられない私は不甲斐ない上司ね」

 ロキは、両手を伸ばした。

 もう一年前のあの体じゃない。あの体はもうない。

 けれど、双葉を抱きしめた。

 一年前よりも、確かに成長した彼女を。

「なに、言ってんだ。こっちが守るのが、役目だ……って、の」

 とうとう堪え切れずに涙が溢れた。

 一年だ。その一年で彼らに何があったのか双葉にはわからない。

 だから、受け止めることしかできない。そして双葉には彼らを助けることもできない。それは当たり前のことで、当たり前だからこそ……残酷だった。

「結界を解いて、ロキを連れていってあげて。それとも、あなたはここに残って私の監視を続ける?」

 双葉はアンヌを見遣る。彼女は気まずそうにしている。

「……わかりません。あの方の指示を、ただ、実行するだけですもの」

「…………」

 ああ、と双葉は俯いてしまう。

 そういえばこの事務室にはテレビもラジオもない。ただ、そういうものを買う予算がないだけかと思っていたけれど。

 違うのだ。

(アンヌは、『音楽』というものが……もう、だめなのね)

 リラだった頃の彼女とは違うのだ。

 ロキは少し離れて囁く。

「…………依頼、だ」

「え?」

 耳を疑う双葉に、ロキは笑った。

「オレを、殺してくれ」



 車椅子を押して、正面から外に出て行く。

 雨の降る中、そこで待ち受けていたのは未星と一人の青年だ。

 青年が皮肉な笑みを浮かべる。

「因果応報だ」

 その声に、ロキが反応した。アンヌもだ。

 二人同時に彼を注視する。

「依頼は確かに引き受けた。だから」

「日本支部の我らがおまえに引導をくれてやる」

 未星が手に持つ漆黒の鎖鎌が揺れた。たったそれだけで車椅子ごと粉砕される。そこに追い打ちをかけるように散った肉片がすべて爆発された。

 どちらも、目の前のこの二人のしたことだろう。アンヌは呆然としてしまう。

 そして「お嬢様を頼みます」と言って二人の横を通り過ぎた。

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