陸 -2
マモルは部屋から出なくなり、シンは幻影を使われていいように操られている。
その中で、マモルと同じように姿を見せなくなったのはクゥだ。
双葉の兄が戻って来てから、日本支部はしばらく仕事を請け負うことを中断することにしたらしい。なので、クゥが姿を現さなくてもなんら不思議はなかった。
事務室の支部長席には双葉の兄が。その横には車椅子の少女。アンヌは無言でお茶を淹れている。
暇だな~と言ってはシンがここにやってくるが、なにか途中で面倒になって部屋に戻ってしまうことも多い。
「イーグルの報告によれば、フタバは無事に家に帰って通常通りに学生生活をしているそうね」
「はい」
頷くアンヌは、未星の行方を気にしていた。元々こちらがスカウトしたフリーの人材ではなく、彼女の一族から条件を出されてレンタルしていたこともあり、所在をつかむことは容易ではなかった。
アンヌは天井を見上げる。あれほど活気に満ちていた日本支部……。それが、まるで蝋燭の火を消したように静まり返っている。
「イーグルが常に見張っているけど……」
「っ」
死人を動かしていることにアンヌはわずかに手が震える。その姿を見てはいない。見たくも、なかった。
ゆらりと、日本支部の建物を包む泡のようなものが揺れる。ここではシンの暴走を止めるために常に幻影と強力な麻薬のようなものが漂っているのだ。
シンの背後には常に蓬莱剣が実体化して浮かんでいる。宿主を誤魔化せても、そもそも生きているという概念が通じないモノには関係がないのだ。蓬莱剣にあるのは、シンの血脈を絶やさぬこと。ただそれだけなのだ。
アンヌはぐっと唇を引き締める。ここまでやったのだ。今さらという気もする。
いつかこの日が来るとは覚悟もしていたけど、あまりに居心地が良くて……少し、情が移ってしまったのかもしれない。それとも。
(あの姿のお嬢様を見ているか、ら……)
絶望的だった。自分は彼女と出会ってまだ数時間だけだったというのに、ロキの必死さがまるで伝染したように必死に彼女の魂を引き留めていた。
あの場所でもう自分たちも死ぬのは決まっていた。けれどまだ生きている。惨めに。
ティーセットを運びながら、窓際に近づく。車椅子の少女は窓から外を見ていた。
「葦原双葉……。どうだった? あなたから見て」
「……素質もあり、勇敢であり、決断も早く……良い人間の部類に入るかと」
「そうね。勇敢……か。そうともとれる」
「?」
くるりと、彼女はこちらを振り向いた。
「葦原双葉はロキに喰い潰されていたのだから、おそらく……決断が早いのも、直感的に失くした感情が働かないから迷わないだけでしょう」
右手に持つティーソーサーごとカップを落としそうになる。
そうだ。あの男は双葉の感情を喰っていた。そのことに、カムイは激怒して、あの惨状が起きた。
「……どうされるのですか」
「どうって? そうね。シンが死ぬまではしばらく様子見かもしれないわ」
「っ、ど、どういう……?」
「シンは思った以上に厄介なの。気づかない?」
薄く笑われるが、アンヌとしてはよくわからない。
シンの蓬莱剣は警戒すべきものだが、それ以外は特に何もないはずだ。
「この結界の中で彼女は緩やかに毒されていく。蓬莱剣はそれに気づいているから、ああして常時実体化しているわけ」
「シンの命を……?」
「彼女に最初に攻撃をした時、あれで終わりだと思った」
少女は視線を窓に戻す。そして細めた。
「なのにシンは起き上がった。蓬莱剣の加護があるとはいえ、もはやアレは人間を超越しつつある。
……いや、それはあの黒い娘もそうか」
「シンは頭が悪いただの魔剣憑きですわ。放っておいても」
「そうはいかない。蓬莱剣はどうかわからないけど、柳シンは葦原双葉に明らかに執着をしていた。同性であるにも関わらず」
「ただの信頼関係ですわ。疑り深すぎますわ!」
焦るアンヌに、少女は窓ガラスごしに笑って見せた。
**
部屋が安全だという確信があったのは、部屋の四方にクゥからもらった符を貼っているからだ。
彼はまるで事態を見越していたようにあれこれ準備していたらしい。
そしてマモルに、合図があるまでは部屋から出ないように言ってきた。しかしいくらなんでも徐々に空腹になってくる。まるで我慢比べだ。
膝を抱え、毛布をかぶって部屋の中心にいる。座って、ずっとドアを見つめていた。誰も侵入はしてこないが、明らかにこの建物が異様になっているのは感じ取れる。
(もう一週間だ……そろそろ、ちょっと……)
我慢にも限度というものがある。
目が霞みはじめ、マモルはそのまま力尽きたようにごろんと横に倒れた。
*
一週間、だ。
葦原双葉が消えてから、それくらい経つ。
部屋に徐々にこもりがちになっていたシンは暗闇の中で赤く輝く瞳をしていた。カーテンなどすべて締切、ごみだめの中に彼女は自分が座るぶんだけの広さを作ってそこに鎮座していた。
幻に惑わされる馬鹿な魔剣使いを演じるのもそろそろ難しい。そもそも、だ。
己に殺意を抱いている相手の真意などわかるわけもない。
(殺したいのに)
早々に。
だがそれをしないのは約束をしていたからだ。
部屋の四方には符を貼ってある。マモルのものとは違う。
シンはまるで刀を研ぎ澄ませるように感覚を鋭くしていった。矛盾に、夢に、幻に、その己にまとわりつくものたちを振り払うのではなく利用した。
シンの幻影はまるで実際に居るように建物の中を動き回っている。そしてその背後には、蓬莱剣をつけている。持ち主からそう離れていないのだから、遠隔操作くらいはできる。
クゥやアンヌあたりだと、術式がとか、あれこれいいそうなことではあるが、すべてシンは本能でやっていた。
支部長が双葉の兄ではないと知ってから。
どうやって、やつらを追い出そうかと。
そしてどうやって双葉に戻って来てもらうかを。
……最後のそれだけはどうしても浮かばない。双葉の性格から、戻ってくるとは考えにくいのだ。正当な、支部長がいるのだから……。
だがアレは双葉の兄ではない。双葉の兄はどこにいるのだ? そもそもあの女はなんなのだ。
「ん」
小さく洩らす。
窓を叩く音。ああ、雨か。
冬の雨は大嫌いだ。寒いし、痛い。
不愉快そうに顔をしかめるシンは、ぎく、としたようにその場から立ちあがる。
何かが、接近してくる。
気配からして未星だろう。だが彼女は気配を完全に消せるはずだ。なぜこうもあからさまに……。それに。
(双葉……?)
それと、もうひとつ、気配が。
(? 憶えがあるけど、どうして?)
『彼』はこの建物から一切外には出ていないはずだ。なのになぜ。
*
事態は一週間という時間を経て変わろうとしていた。
日本支部の者たちには閉鎖空間での生活。我慢を強要される時間であった。だが。
葦原双葉と、夜限未星にとっては…………まったく違う時間となっていた。
長いおさげ髪を揺らしながら、傘を持って彼女は建物に近づいていく。
そのすぐ背後には黒のライダースーツ姿の未星と、中国服を着た麗しい青年が居た。彼女を、護るように。
建物から十メートルほど離れた位置で停止すると、そこからでも見えた。窓際に己に似た少女が居るのが。
彼女は驚愕に目を見開いている。それはそうだろう。
イーグルの報告では、葦原双葉は『いつもの日常』に戻っているはずなのだから。
では「いつも」とは。
双葉は眉をひそめる。
たった一週間で自分は変わった? いいや、何も変わっていない。
今だって、術も、異能も使えないただの人間の矮小な娘にすぎない。でも。
ゆっくりと瞼を閉じて、そして息を、呼吸を整える。
認識せ、よ。
ここ、は。ちがう。世界。ここは、ここ、は、チガウのだ。
ゆっくりと今度は瞼を開ける。何も変わっていない。閉じる前と。
けれども双葉を見る少女の顔つきがあからさまに変わっていたのだ。あれは、なんだろう。みっともない印象は受けるが……。
そうだ、あれは。
「怖いのね、私が」
嫌なのね、『また』私が壊れるかもしれないから。
窓にへばりついてこちらを凝視している少女の形相は、今度は鬼のようだ。
けれどそう。あなたに私は攻撃できないのを知っている。
あなたはただの人間を攻撃することが、できない。
だから私は殺せない。
両手を広げて、双葉は後ろの二人を庇うようにした。背後の二人は黙ってその様子を見ている。
そして、双葉はゆっくりと視線を動かした。
こちらに銃口の狙いをつけている、ケリーがすぐそばに迫っていた。
ケリーの銃弾がどんなものなのかわからない。けれどその弾丸の威力は相当なものだろう。ただの、銃ではないとしても、だ。
しかし確信があったのだ。ケリーは双葉を攻撃できない。そうしてしまうことは、彼女を遣っている主の本意ではないからだ。
彼女から思考や言葉を奪ったのは、おそらくカムイだろう。ネクロマンサーでもある彼は、死体を動かすのを得意とする。それは過去の記憶と、背後の青年の説明から知ったわけだが。
「未星さん、お願いするわ」
そう一言放った次の瞬間、未星はどこからともなく取り出した、漆黒の鎖鎌を持っていた。そして、「終わった」と洩らす。
ケリーの首がずる、り、とゆっくりと地へと向かって落ちて…………いく。体が銃を構えたまま、傾いで、ゆく。
あまりの速い攻撃に双葉は内心驚いてしまう。……本当に、なんというか……。
「得策ではない、と思う」
再度言ってくる未星に双葉は微かに苦笑する。確かにそうだろう。
彼らはまさか双葉が戻ってくるとは、しかもこんな短い期間で戻ってくるとは予想していなかったはずだからだ。
双葉は未星を肩越しに見遣った。
「私は、私のやるべきことをしに戻っただけよ」
「…………」
はあ、と未星が呆れたように溜息をつく。もういい、と諦めたようだ。だが横にいる青年は小さく吹き出した。
「元気になったな、双葉」
「そうかしら? 私としては、あなたのほうが印象が随分変わったように思えるけど」
「つれない。ほとんど毎日会っていたのに」
からかうように微笑む青年に、双葉は困ったような顔をする。
真正面を向いて、双葉は「行くわよ」と呟いた。




