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陸 -1

「お嬢様を元の生活に戻す……。そして、代わりに……」

 アンヌの言葉に、少女は頷く。

 仕方ないことだった。これは上からの決定でもあったのだ。

 倒れているシンにちらりと目配せをする。起きる気配はなかったのに、シンがむくりと起き上がった。

 蓬莱剣が出現していないし、殺気もしていない。その背後に、マモルが立っている。彼はフードを深くかぶって、怯えながらこちらを見ていた。

 そういえばそうだ。マモルはここにいるメンバーの中でも「気配」で相手を追うのではなく、異臭などで存在を感知する。

 双葉と兄の再会を邪魔しないように事務室を出た彼は、おそらくシンとアンヌの気配がある方向を「おかしい」と思ったのだ。ただの直感ではあるが、狼男という野生の直感は侮れないものがある。現にこうして、見られてはまずいものを見られているのだから。

 アンヌとしては誤魔化す算段はとうにつけている。助かったのは、未星が邪魔をしないことだろう。

(お嬢様の次は彼女を排除する予定でしたしね)

 車椅子に座る少女をじっと見て、シンはきょとんとする。やはり先程の記憶はないようだ。

(さっきのは『蓬莱剣』のもの……? どうしてあのような反応をしたのか……)

「なんか、えと、お客さん?」

 シンの戸惑いの声に、少女はふわっと笑う。刹那、マモルが一気に殺気立ったのだ。

 予想外のところからの殺気に、アンヌは思わず、反射的に構えてしまった。ここでは、その反応は「不正解」だ!

「アンヌさん、そのひと、『なに』?」

「こちらの方は」

「フタバに似てて、やだね」

 にっこりと笑顔で言いながら立ちあがるシンに、マモルも頷く。

 やはりだ。

 二人とも、この車椅子の少女が双葉に似ていると気づいている。

 それは……まあ、そう思うのは当然なのだ。そう思わないほうがおかしい。

 ピリリ、と糸が目の前にいつの間にか張り巡らされている。

「部屋で眠っていたかったんですけどね、裏口のほうが騒がしいですし」

(っ! ここでクゥまで……)

 ピンチだ。

 だが、張り巡らされた糸は、音の聞こえない弾丸によってすべて無効化されてしまう。

 少女の背後から、あまりにも顔色の悪い金髪の娘が歩いて姿を現したのだ。そばかすの残るまだシンくらいの娘は、両手に小型銃を持っている。

 マモルが目を見開き、口と鼻を塞いで一気に距離をとった。…………仕方ない反応だ。

 だがシンはそうしない。ゆっくりと笑い、それからまた、車椅子の少女を見た。

「さっき何したかしらないけど、今度は効かないと思うよ」

「……柳シン」

「はじめまして、だよね? フタバに似てるけど、ニセモノだ」

 はっきりと言うシンに悪寒しかない。馬鹿なのだろうか、こいつは。

 明らかにシンの能力で、どうにかなるとでも?

(破壊することにだけ長けているシンでは、どうにかなる相手ではないのに)

 気づかないほど馬鹿ではないとは思いたいが、一番後ろに控えているクゥが露骨に車椅子の少女を無視している。

 この三人の誰もが、双葉と似ているが別人の少女の存在を……歓迎していない。

「ヒサシブリ、じゃあない」

 にぃ、とシンが笑う。記憶はないはずだ。それなのに。

 アンヌがじりじりと嫌な汗をかいていく。予定が、崩れた。それは未星が来た時点で決まっていた。

 この窮地を一人では脱せない。

「双葉さんが、出て行った……」

 ぽつんとマモルが呟く。その言葉と同時に、シンの殺気がぶわっと大きくなった。蓬莱剣が完全に出現し、彼女の手におさまっている。

「そっか~。じゃ、殺してもいいかな? だめかな、クゥ?」

「止めませんけど、あなたでは勝てないと思いますけどね」

 クゥの言葉に一番驚いたのはアンヌだ。クゥはシンとコンビをよく組んでいて、彼女の能力はよく知っている。

 そのクゥが、初見でこの少女の能力を見抜くとは考えにくかったのだ。

「ああん? なんで勝てないんだよ? できるっての!」

「無理ですね」

 すっぱりと言うクゥが、動いた。同時に、弾丸が音もなくシンの目の前で弾かれる。クゥが防御したのだろう。

 マモルは一気に顔色が悪くなり、そのまま嘔吐しそうな勢いで駆け去っていく。そのまま、ここから離れてくれたほうが助かる。

「フタバさんのお兄さんの、お連れの方ですよね? アンヌさん」

「え? ええ、そうですわ」

 クゥに問われて、どきりとしたものの、最初の設定をそのまま利用する。

「お嬢様に似ているのも、縁者だからですわ。シン、そんなに近づいては失礼ですわよ」

「だって……こいつ、病人を装ってる」

 ギク、とした。今度こそ。

 シンのこういう時の直感は恐ろしいほどに的を射ている。

「シン、失礼なことを言わないように。フタバさんのお兄さんのお連れ、ということは本部からの来客かもしれませんしね。

 アンヌさんの様子だと、退散したほうがいいでしょう。ほらシン! さっさと部屋に戻りますよ!」

「え、ええ~っ!?」

 戦う気満々だったシンの不平そうな声は、クゥがじろりと睨むと止まった。彼女はすごすごと肩を落としながらそこから去っていく。

 もしかしたらシンはクゥに、何か弱味でも握られているのかもしれない。

 よかったと安堵したアンヌは、現れた無表情の銃を持つ娘に視線を遣る。彼女の名はケリー。魔弾の使い手として妖撃社にいた……人間だ。

 車椅子の少女は小さく笑う。

「魔剣の使い手より、あの小さいほう……クゥ、かしら? あちらはかなり頭が回るようね。詮索もしなければ、関わりもしない。組織にとっては一番ありがたい人材だわ」

「……ええ」

「イーグルがきちんと見送ってくれたと思うのだけど……フタバに混乱が起こらなければ何も問題はないわ」

 問題など山積みだった。吐き気がする。アンヌとて、本来ならばこんなことに関わりたくはなかったのに。

 少女はそこで、ふいに悩ましげな表情になる。

「大事にされているのね、フタバは」

「……はい」

「それはいいことだわ。だけど」

 だけど。

 少女の瞳が酷薄に染まる。

「『葦原双葉』は『彼のもの』なのよ」



 走って逃げた先で、思わず胃の中のものを出してしまう。まだ建物の裏手だったので、後で掃除すればなんとか……。

 マモルはあの腐臭に完全に拒絶反応しかおきなかった。

 そんな中、背後にクゥが立ったのに気づく。

「? く、クゥ?」

「背中、擦りましょうか?」

「だ、だいじょうぶ。ほとんど出しちゃったし……ほぼ消化されてたから」

 困ったように笑う。けれど気づく。クゥは元々無表情に近い感じだったが、今はさらにそれに近い。そう……あの、未星のようだ。

「マモルから見て、どうでした?」

「え?」

「あの車椅子の女の子ですよ」

「……双葉さんに、似てるなとは思ったけど……。何かが決定的に違うってのは、感じた」

「でしょうね。別人ですから、それはまあ当然の感覚でしょう」

「? クゥは、もしかしてあの子のこと、知ってるの?」

「どうでしょう。知っていてもいなくても、知らされないなら……知るべきではないのでは?」

 怠惰な口調で洩らすクゥに「シンは?」と尋ねると、「部屋で大人しくビール飲んでます」と答えが返ってきた。

 あまりにも動揺していないクゥに、マモルは怪訝そうだ。くさいものには蓋をする、性格……とは思っていなかったのだが。

「全員でここから離れると不審に思われますしね」

 ぽつんと、クゥが洩らす。

 意味がわからずに困惑していると、クゥはやっと、眉間に皺を寄せた。

「傀儡使いの僕の目を誤魔化せるだなんて思っているはずがないですからね……。なにかあるんでしょう、フタバさんをここに近づけさせないために」

「え……?」

「安全だと思いますよ。未星さんの姿が見えませんからね。彼女がフタバさんについていると思います」

「どうして」

 本当に、なぜ、と思った。

 確かに未星はここにいる日本支部のメンバーではダントツに強いだろう。だが双葉に固執はしていないはずだ。

「フタバさんの傍のほうが安全でもあり、一番危険でもあるからじゃないからですか?」

「矛盾してないか?」

「いいえ、矛盾はしてませんよ」

 ……そう、だろうか?

 不思議になるマモルは、空を見上げる。もう、双葉に会うことはないのだろうか……。



 薄暗い自室で、ビールを飲み干してから、缶を揺らすシンは、その汚い部屋の中でごろんと横になった。

 さっきの女はなんだ。

 ああ、正直な話、面白くないのだ。

 傍にいたアンヌもいつもと違って様子が変だったのも見抜いていた。

 ひさしぶり、という言葉だけは憶えていた。だがシンはあの女に会ったことはない。

 なによりも、双葉に気配や見た目が似ているのが癇に障った。

 兄と喋った後、彼女は立ち去ってしまった。それはつまり、代理人を返上したということだろう。もう、普通の生活の中で双葉に接点を持つことはできない。

 未練も何もないように、挨拶もなく。

 シンは胸の奥がぞくぞくするほど重く、気持ち悪いのを自覚している。これはまさに執着というやつだろう。

 怖くないとはっきり言い切った双葉は正真正銘、シンにとってはありえない人間として映った。本人は無自覚だが、学校生活で疲れてうとうとしているところも時々見ていた。

 がんばっているんだ、となんだかむず痒い気持ちになることが多くなった。

 彼女は自身の努力を決して口にしない。そして、基本的には面倒なのが嫌いなようで、必要ならやる、そうでなければやらない、という思考の持ち主だった。

 本部からの仕事の割り振りも、アンヌと相談しながらではあるが決してシンたちには負担をかけないようなものばかりを選んでくれていた。

 いつか彼女はいなくなる。

 わかっていたことだ。

 彼女の兄が。

 兄。

 そこまで考えて、シンは「うーん」と洩らして………………気づいた。

 おかしい。事務室で顔を会わせて、そして兄と妹の再会を邪魔しないようにと退散した。そう、でもあの時に起こるはずのことが『起きなかった』。

 がばりと上半身を起こしてから、彼女は赤く鈍く光る瞳で室内を凝視する。

 頭の悪い自分でさえ、気づくことができた。では。

「フタバの、兄さんってのは……嘘、か?」

 嘘は、キライ、だ。

 目を細める。

 ゆらゆらと、明かりのついていない部屋の中で、シンの赤い瞳だけが不気味に瞬いている。

 感情のコントロールがつかない。ああ、まずい。

 そう思って、またビールの缶を開ける。いつになったらこういうの……やめられるんだろう?

 そう思ったのは一瞬で、また微妙に思考が乱れる。

 ぼんやりと眼の前に淡い紫の光を纏った蓬莱剣が浮かんでいる。シンの血族にだけ継がれていく……魔の剣。

「……おまえが喋れればいいのに」

 そうすれば、この気持ちの答えをくれるかもしれないのに。

 小さく笑うシンは、頬杖をつきながらビールを口にした。

「戻って来てくれないかな……。あたし、頭悪いから……フタバがいないとうまくできないよ」


**


 コンコン、とノックの音がした。ぼんやりと、瞼を開ける。ああ、もしかして……あのまま寝てしまった?

 ドアを開けるといつもと同じようにアンヌが立っていた。

「おはようございます、シン。支部長がお呼びですわ」

「へーい」

 そう、いつものようにするしかない。

 いつものように。

(あれ……あたし、なんか忘れてる?)

 首を傾げながらドアから外に出たシンは、アンヌではなく廊下のほうを見遣った。

 しん、と静まりかえっている。

 不気味だった。なにが、とはうまく言えないけれど。

 事務室に行き、ドアを開ける。そこには…………。


***


 葦原双葉が、居た。

「おー、フタバがこんな朝から居るとか珍しいなー」

 呑気にそう言いながら笑うシン。

 いつもの通りに何か文句を言うクゥ。

 フードを深くかぶるマモル。

 いつもの通りだ。

 いつもの通り。


 チ ガ ウ


 直感が告げるというのに、シンの頭はぼんやりとしている。思考と体が合致しない。

 この気持ちの悪い感触に、シンは表面上は笑顔を浮かべているしかできなかった。

 それが、決定的になった。

 アンヌの計画はわりと順調に進んでいた。シンには彼女独自のビールを絶えず与えていたし。

 双葉自身にも薬を混ぜたお茶をよく飲ませていた。

 だというのに。

 笑顔で頷いているシンの背後に蓬莱剣が出現しているのだ。これはおそらく、シンを守護するための自衛だ。

(オート機能……。確かにその可能性も考えましたけれど)

 これから先、アンヌだけではどうにもできない。なにせ、彼女が来てしまったのだ。

 計画は予定通り進ませなければならないし……逆らうことなどできないのだから。

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