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伍 -3

「私は葦原双葉」

「あしはら……? 変わった苗字だ。この地上のことだ」

「は?」

 なに言ってんだこいつと双葉は思うが、カムイはぎょろりと視線を動かす。

「早い……」

 なにが、と問うまでもない。すぐそこに、ロキとセイロンが立っていたのだ。

 どうやらイチョウと戦っているのは残るメンバーのようだ。彼らはどうせ……双葉を助けに来たのだろう。

 間違った判断だ。と双葉は思う。

 先程、カムイに「代わりはいない」と言ったというのに。でも、「支部長」という地位を継げる人間はほかにもいるのだ……!

 カムイの雰囲気がさらにどす黒くなる。それは復讐や怒気のような単純なものではない。美しい水底に沈んだ泥のようなものだ。

 睨み合いが続く。セイロンは結界を解く気はないようだ。ロキもまた、戦闘するにはまだ間合いではないことを理解している。

 カムイは双葉を人質として使うことはそもそも考えていないようで、じりじりと己のほうへと寄せていた。だがその行為は、ロキとセイロンには違うように映っているはずだ。

「問う」

 カムイの声は双葉に対したものとまるで声色が違っていた。絶対的な何かを含んだその声に、だがセイロンは応じない。ロキも平気な顔をしている。

 同等の能力だろうかと双葉は様子を見るが、そうではないだろう。

 こちらが用意した人数は、五人。最速で揃えられてこの人数だったのだ。だから、最低でもこの人数の能力と等価値の力がカムイには「ある」ということになる。

 カムイは静かに続けた。

「この娘は痛みでは従うことがない。是か否か」

 明らかにロキが動揺した。セイロンは静かなものだったが、ここで二人の性格に致命的に差が出てしまった。

 問答に応じたのはセイロンだ。ロキがバカなことを言って、こちらが不利になるようではいけない。

「是だ」

「では次の問いだ。どれほどの痛みでも、この娘は従わないか。肯か否か」

「是だ」

 即答だった。

 セイロンのあまりの早い応じに、カムイは視線の片方だけを双葉に向けた。

「おまえは人間のくせに、痛覚がないのか」

「あるに決まってるだろ!」

 ロキがたまりかねて叫ぶと、カムイは視線をロキたちに戻す。

「では次の問い。痛覚を消した状態でいたぶれば、この娘は従うか。是か否か」

 さすがにセイロンが息を呑む。痛覚があるからこそ、許容を超えた痛みに人間は抗えない。セイロンも双葉もそもそもが似たような思考をしているので、わかっていたのだ。

 双葉は拷問に耐えられるほど神経が保たない。だから、一度でも強い痛みを与えられた場合そのショックで心肺停止に陥ると。

「従うわけねーだろ、ばぁか!」

 ロキがそう言い放ったので、セイロンが「おい!」と声を荒げて止める。何が引き金になって、カムイが双葉をどうするかなどわからないのだから。

 やはり自分は足手まといだったと双葉は悔しく思うが、どうやら違うようだ。セイロンは明らかに双葉が感情に揺れていないことに何か考えているようだ。

 こう着状態だ。どうすればいいのだと双葉は思考する。己には何も手段はない。あるのは。

 あ、る。

 思い至るが、体の自由はきかない。

「オレにはその子が必要なんだよ」

 いつにない低いロキの声に、怪訝そうにする。カムイはちらりとこちらを見たが、そのまま凝視した。

「体に細工はされていないが、何か仕込んでいるか」

 見抜かれたと絶望的になる。口の中に、奥歯に毒を、そして反対側の奥歯には相手を一瞬だが油断させる光の術を組み込まれている。

 不快。とカムイが呟く。

 しかしセイロンの結界が邪魔で思うようには動けない。

「ボス~、終わったけどさ~」

 呑気な声を響かせて現れたのは、イチョウだ。そして、あまりのことに双葉の思考が停止しかけた。リラは髪の毛を持って引きずられているが、反対側の手にはケリーとイーグルの、半分潰れたような首を髪の毛で掴んで揺らしていた。

 うそ、だ。

 あの二人は強かったはずだ。強いはずだ。あんなに簡単に。

 双葉は唇をわななかせると、イチョウがあらまと言いながら前のめりで倒れた。体の後ろ半分がない。

 それなのに、ここまでやって来たのだ。まったく動かなくなったイチョウからリラは逃れ、ぼろぼろの姿で荒い息を吐いて立ち上がる。

 人数としては逆転した。

「セイロン!」

 リラの声と同時にセイロンが符の呪縛を解いた。同時にリラのもっと強力な結界がカムイを覆う。だというのに、まるでそれがわかっていたかのように。

 カムイはその刹那の時間を利用して。

 双葉を結界の中に引きずり込んだ。

「く、この」

 三人の口から怒気を含んだ言葉が洩れる。

 カムイとしてはあまりあの三人に興味はなくなったようで、内側に入った双葉の頬を撫でた。ぞくりと悪寒が駆け抜け、冷汗が背中を伝う。

「不快」

 だ、と続ける前に双葉の唇にカムイが唇を重ねた。口内に仕掛けた術を、毒を彼は『消した』。そのまま口内をなぶるので、双葉は腹立たしさに思い切り睨んだ。

 唇を離せば唾液の糸が垂れる。「悪くない」と呟くカムイは、立ち上がった。結界で抑え込まれているはずなのに。

「術者が特定できれば、もういい」

 それだけで、結界が脆く破壊された。リラが「そんな馬鹿な」と洩らす。

「てっめー! 双葉になにしてんだっ! お兄さんはそんなの許しませんからね!」

 目を三角にして怒っているロキだったが、ふいに、横のセイロンと同じように静かになった。

「あのさ、もういいんだよな?」

「ああ」

 セイロンが頷く。同時だ。

 二人は同時にその場から消えた。一瞬で。

 そしてもう、目の前に立っている。ロキは冷えていて、それでいて同情的な眼差しを向ける。

「ごめんな」

 その言葉の意味は、その時は理解できなかった。

 セイロンが一瞬でカムイの糸を切断して双葉を奪い返す。途端、カムイを囲んでいた薄暗い何かがざわりと蠢いた。

「よせ。その娘はおまえたちには不要だろう?」

 奪うなと言っている。

 横抱きにされている双葉の頭をぽんぽんと撫でると、ロキの酷薄な瞳が目に映った。ああ……。そして理解してしまった。

 彼の能力には「感情」を必要とする。そのために双葉を連れてきたのだ。おそらく……セイロンは知らない。

 互いの能力をひけらかす者はいない。手札を失った時には、そこに待つのは死だ。

 支部長だからと見せてもらったファイルに、ロキの情報は載っていた。口外してはいけないと。

 そして双葉は、わかっていた。

 ロキは優しいけれど、双葉の感情を『喰べて』いたことを。

 パンの一欠けらのような小さな感情。それを彼が摂取していたのを双葉は知っている。時々ロキが妙な目つきをすることに気づいていたからだ。

 拳をばきばきといわせ、ロキは戦闘準備に入る。カムイがゆらりと立ち上がった。不気味なほど、対極な有様だった。

「その娘を、寄越せ」

 問答無用の言い方に、ロキが「あ~らら」と軽く返す。

「うちの可愛い支部長さんはお嫁にいくにはちと若いから~」

 と、そこで言葉を止めて、目を細めた。

「おまえみたいなクソにやるわけ、ねぇだろ」

 飛び出したロキが、双葉から一気に感情を奪っていく。その感情がすべての攻撃の糧となり、敵への致命傷になる。

 感情。そう、感情だ。みえないもの、けっして、手でつかめないもの。得体のしれないもの。

 セイロンは軽く目を見開いている。ロキとは何度か組んだのだろうが、彼が本気で相手を殺しにかかるのを見るのは初めてかもしれない。

 だって彼は、セイロンは、腕の中の双葉を見下ろした。

「ふたば……?」

 その弱々しい声に、双葉はまったく応じない。リラも痛むであろう体を引きずってセイロンの傍にきて、こちらを見下ろす。

 双葉は虚ろな瞳で唇から唾液を一筋流したまま、完全に動かなくなっていた。死んでいるわけではない。ただそこに、彼女の感情がないだけだ。

 セイロンたちのような者よりも、双葉のような一般人のほうが「感情」はとても強い。その強弱は、よく、わからないけれど。

 だからロキは双葉と会った時、なによりもまず食欲が刺激された。なんて美味そうな感情を持つんだと。

 怯えるし、怒るし、喜ぶし。彼女の感情の起伏は一般人の人間として最適で、そして……健全だった。

 体が震える。双葉の感情を遣っての攻撃は、おそらく、カムイには届くだろう。

「粉々になれよ」

 ロキの拳がカムイの腹部にめり込んだ。カムイが防御する時間などなかったのだ。

 そしてカムイは己に流れ込んでくる「異質」なものに対してロキに殺気を向けた。粉々になるはずのカムイは、すぐに判断する。

 己の中に入って来たのはあの人間の娘の持つ「もの」だ。そしてそれは己にもあるもの。

 他人の感情が流れ込んでくれば、普通ならば、即死ものだろう。その部分は破壊される。

 それは「攻撃」という単純なものではない。己の拳を当て、己の力を相手にぶち込む……そんなものではない。

 使われた感情はおそらく「迷い」だ。彼女の中にあった、すべての曖昧な部分……迷いという部分の9割以上を使ってこの男は攻撃してきた。

 迷い。

 そう。

(この男は、的確に使う感情を判断している)

 カムイの体内でその感情は破壊衝動をもって動いている。そう、腹部の中……内臓が「迷う」。脳の信号、カムイの命令ではなく……外からの命令伝達をもとにして。

 正常な動きができないから、ねじ曲がり、動きを止め、それはおそらく死に至るほどの強力なものだ。

 戦い慣れていない一般人の娘が来ている理由がわかった。同時に、それはカムイにとってよくわからない、覚えのない感情の発露となった。

 ロキは続けざまにカムイの頭部を攻撃した。使ったのはおそらく「悲しみ」。哀の部分だろう。迷いと同じく負の感情のほうだ。怒りなどの肉体強化に繋がるものではなく、体全体が力を失うものだ。

 おかしい、とロキは思った。

 この攻撃は、「絶対」なのだ。つまりは、相手を「正常」な状態から「異常」へと転換させる攻撃。

 なのに。

 カムイはじろりとこちらを見た。

「よくも」

 なぜだ。

 なぜ、怒っている。

 怒りの感情の発露はありえない。その真逆を大量に入れたのだ。ありえない!

「あの娘を『欠けさせた』な」

 言っている意味が、最初はわからなかった。だが同時にロキの戦闘本能が一気に働き、カムイから距離をとった。

 カムイはぼんやりと突っ立っている。だが、衣服のあちこちから血が肌を伝って流れ落ちていた。肉体が「まがる」。

 倒せるかと、今問われたならまず無理だろう。無理だ。誰もがそう判断した。

 カムイには五人で立ち向かうはずだったのだ。予定が狂った。三人でもだめだ。

 セイロンがまだ戦えるが、カムイと戦ってまともな死に方ができるとは思えなかった。だから。

 ロキは、走った。セイロンのところへ。

 カムイが、まだ動かないうちに。己の感情発露に戸惑っているうちに。

 セイロンは動揺した目でロキを見る。ロキはほぼ人形のようになっている双葉の姿に少しだけ悔しそうにしたが、そこまでだった。三人に逃げるように指示を出す。

 三人は一斉に駆け出した。

 だが、それは本当に。

 正しい選択とは言えなかった。双葉は動けなくてもわかっていた。

 己をカムイに渡せば、あの場であんなことは起きなかった。

 カムイを中心に、彼が制御できない力が物凄い爆発を起こした。光と、熱と、表現しがたいすべてを持って。

 三人は距離をとっていたが巻き込まれた。周辺の木々も、土も、何もかもが巻き込まれて、彼らは…………負けたのだ。

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